27 『あの鐘を鳴らすのはどなた?』
監視塔の当番員、オットーは冷めきった茶を啜りながら、不快そうに鼻を鳴らした。
視線の先では、黒衣を纏ったエドワードの部下たちが、なりふり構わず通用門から転がり出てくるところだった。普段は顎で人を使い、監視員など目もくれない連中が、今は靴が脱げるのも構わず街の方へ敗走していく。
「……おいおい、開けたら閉めろよなぁ、行儀の悪い」
誰に言うでもなく愚痴をこぼす。ハンターにとって「開けた扉は閉める」のは鉄則だ。ダンジョン内の魔物を外へ出さないための決まりも、エドワードの部下たちにとっては守る価値のないものらしい。
オットーは、通用門に魔力を流すレバーに手をかける。今回のように、ダンジョンを使用した者が扉を閉め忘れた際に、監視塔から魔力を送り込んで閉めることができる仕掛けだ。
「あいつら、一体何に怯えて――」
レバーに力を込めるオットーの手が一瞬硬直する。
はい出してきた魔物は一匹、二匹ではなかった。小さな通用門に魔物がひしめき、我先にと這い出ようとしている。個の意思を持った群れというよりは、一つの意志に支配された群体が重なり合い、文字通りの黒い泥流となって溢れ出すかのようだった。
その異様さに呆けているオットーの視線に、魔物の一匹が気づく。すると這い出してきた魔物のすべてが、ぎらついた殺意を向けて突撃してきた。
「嘘だろ!?」
我に返り、強引にレバーを引き倒した。魔力を供給された通用門が、悲鳴を上げながら閉じはじめる。通り抜けられなかった魔物が、門に挟まって潰れる不快な音が響いた。
「一体何をやらかしやがったんだ……?」
震える手で冷や汗を拭い、この異常事態をギルドへ報告すべく共鳴鐘の紐に手をかける。
その時だった。
視界の隅で、デスクに備え付けられたランプの火が、見たこともないほど強く発光し始める。ダンジョンの正門全体を固定している、封印魔力の状態を可視化した魔導具だ。発光が強くなるほど、封印を解こうとする外的圧力が加わっている事を示す。
「……冗談だろ?」
顔を上げ、正門を振り返った。巨大で分厚い鉄の扉が、内側からの圧倒的な力によって不気味にたわみ始めていた。
――カン、カン、カン、カン!
オットーは無我夢中で共鳴鐘の紐を掴み、狂ったように振り回した。
塔の中に響く乾いた音は、対となる魔力を宿した「親鐘」があるギルドホールへ、物理的な距離を超えて伝播していく。
それは、ラグニール開闢以来、一度も鳴らされたことのない全門崩壊の警鐘だった。
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王国騎士団を引き連れ、決然とギルドへ乗り込んだガルドは、その異常な光景に呆気に取られた。
大理石の床には、折れた警棒やひっくり返った書類の山と共に、無残にのされる屈強な男たちの姿があった。エドワード配下の衛兵たちは、ある者は昏倒し、またある者は捕縛されている。ガルドたちが手を下すまでもなく、ギルド内はすっかり鎮圧されていた。
その奥でギルドの受付嬢たちは乱れた後れ毛を直すこともなく、優雅にお茶会を開き自分たちの健闘を称え合っていた。
「おかえりなさい、ギ…リガルド様!」
ガルドの姿を認めたプリムをはじめとする少女たちが、彼に駆け寄ってきた。
「あー…どうやら、おじさんたちの出番はなかったようだな」
ガルドがそう零すと、少女たちは華やかに笑って頷いた。
「わたくしたち今、このまま憲兵の庁舎に乗り込んでネリーネ様を救出する作戦を練っていたんですの。書類の不備を突いて内側から法的に解体するか、物理的に門を爆破するか。ギ…元ギルド長として、リガルド卿のご忠言を賜りたいですわ」
ベアトリスの物騒極まりない提案に、再び少女たちが頷く。
(——なんか変な方向にスイッチ入ってるな…まあ、頼りにはなるが)
少女たちを宥めながら、ガルドはここに来るまでの経緯を話した。
すでにネリーネは救出していること。そして彼女には、ミラとガッゾたちの救出に動いてもらっていること。
話を聞いているうちに、プリムはその場に座り込みそうになるのをぐっと堪えた。
「……分かりました。リガルド様、カイルさんのことは信じてお任せします」
顔を上げかつてないほど鋭い、事務的な光を宿した瞳で同僚たちを振り返った。
「皆さん! ネリーネ様たちが戻ってくるまでに、皆さんの帰ってくる場所を綺麗にして待ちましょう!ここをいつも通りのギルドにするんです」
少女たちはその言葉に、毅然と返事をした。先ほどまでの浮かれた少女の仮面を脱ぎ去り、一人ひとりが意欲をもって取り組み始めた。
そんな少女たちの成長した姿を、ガルドは万感の思いで見つめていると、ベアトリスが語り掛けてきた。
「——ところでリガルド様は、もうギルド長へ返り咲いた、ということでよろしいのですか?先ほどからどうも呼び方に慣れなくて」
「残念ながら。新たにギルド長が決まるまで、俺はあくまで代理だから。そこんところよろしくな」
「面倒ですね。なんでしたら、わたくしから父に――」
ベアトリスの言葉をガルドの手が遮る。
「あんまり親父さん頼みにするもんじゃない。君のために、いらぬ重荷を背負わせる事になるぞ」
ハッとして、ベアトリスは口を噤んだ。父だけではない。今回の事態を招いた責任の一端を、彼女はになっている。そしてギルドのためとはいえ、一時はその一翼を担う行動さえしてしまったのだ。沈痛な面持ちで顔を伏せる少女の肩を、ガルドがポンと叩く。
「事が無事に済んだら、顔を出しに行ってあげなさい」
「——はい…」
ベアトリスは何度もうなずいた。ガルドはさて、と気を取り直す。
「ところで、現ギルド長がどこへ行った?」
「申し訳ありません。朝礼にはいたのですが、その後は…」
ガルドはふむ、と頷くと、背後に控える騎士へ目配せした。頷いた騎士は他に1人を伴い、鎧をガチャガチャ鳴らしながらギルド長室へと上がって行った。
しかし、今まさに彼らが向かわんとするギルド長室の方から、廊下を駆けてくる足音がしたため、騎士たちは腰の獲物に手を伸ばした。
「どきなさい!通して!」
ネリーネだった。彼女には似つかわしくない、慌てた様子で息を切らし、階上から大声で叫んだ。
「救護班、早く!!」
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担ぎ込まれたカイルは、すぐに病院へ運ばれていった。その後にリプレとロロ、そして最後まで頑なに首を振っていたプリムがついて行った。さらに、転移魔法で帰還してきたネリーネたちに偶然鉢合わせたエドワードも、屈強な騎士に抑えられて連れていかれた。
「やめろ!貴様ら、私を誰だと思っている!」
「とっくに何物でもねぇよ、お前さんは」
最後まで抵抗するエドワードに、ガルドは言い捨てた。
ようやく落ち着きを取り戻したネリーネが、ダンジョン内で見聞きした事をガルドへ伝える。普段、締まりのないガルドの顔が、話を聞くにつれて険しくなっていく。
「——おそらく、遺物を埋め込まれた人間だろう。あの男、どこまで人の命を弄べば気が済む…!」
「リガルド卿、すぐにでもミラさんに救援を…!」
「心配するな、奴は殺したって死ぬ奴じゃない」
しかしと、ガルドは思う。
エドワードの策略により、上位ハンターの半分以上が亡き者になっている今、中途半端な救援を向かわせる事は、さらに被害を広げる可能性がある。首謀者がつかまった今、ヴォルケに頼るべき主はいない。ならば彼が外へ出ないよう、遺跡を封じてしまう事が最も効率的なのではないかとも考えた。
だがそのような事をすれば、せっかく固まりかけたギルドの結束を失う事になりかねない。ギルドに不信感を抱きつつあるハンターたちの信頼を取り戻すためにも、ここは無理をしてでもミラの救援に向かうべきか。
(——エドワードの事をとやかく言えんな、俺も)
打算的な考えを持つ自身に辟易しながら、ガルドは今集められるだけのハンターに招集をかけた。集まったハンターたちの顔ぶれを見て、一抹の不安が頭をよぎる。
(——大分、顔ぶれが変わったなぁ…)
壇上に立つガルドの顔を見て安堵の表情を浮かべる者、不審な目を向ける者。そして、明らかにハンターに成り立てと言った、若い人間が多い。彼らを束ねるギルド長として、かける言葉に慎重にならざるを得ない事を、ガルドは再確認した。
つとめて冷静に、「救援の報酬」と「想定されるリスク」の説明をする。
「——以上が、遭難者が置かれている状況だ。危険は重々承知だが、諸君らの…」
「おい、元ギルド長!」
最前列にいた一人のベテランハンターが、愛用の大剣を石床に叩きつけて、ガルドの言葉を打ち切る。
「あのバカに借りを作るチャンスなんだ。理屈はいいから、さっさと出発しようぜ!」
その言葉を皮切りに、ホールの空気が沸騰した。
「そうだそうだ! ヤロウに、いつまでもデカい顔させてたまるかってんだ!」
「俺なんて飲みのツケ、まだ返してもらってねぇんだからな!」
ミラに対する不平不満がホールを熱狂する。誰一人、ミラの命を心配していない。それどころか、彼女を助けたいとは、一言も言わなかった。しかしその目はやる気に満ち、さっさと命令しろと語っていた。
(――打算的だったのは、俺だけか)
ガルドは自嘲気味に口角を上げると、用意していた説明書を無造作に放り投げた。
「いいか、野郎ども! 今回の依頼にギルドからの報酬は出ねぇ! 自腹だ! だが、もしあの女を連れ帰ることができたら……俺の奢りで、ラグニールの酒を全部空けてやる!」
怒号のような歓声が上がった。
ハンターたちの絆の熱さと、誰一人として自分を責めない無言の心遣いに、ガルドは目頭が熱くなるのを感じた。
(——ありがとな。お前ら)
ギルド全体が熱気に揺れる。エドワードによって抑圧された自己が、いまようやく本来の姿を取り戻し、喜び打ち震えていた。
その時だった。
――カン、カン、カン、カン!!
ホールの一角に据え付けられた『親鐘』が、狂ったように鳴り響いた。その乾いた響きに、ホールの熱狂が水を打ったように静まり返る。
ネリーネが、そしてガルドが、顔を強張らせて鐘を見上げた。それの意味することを理解できず、しばらく呆ける事しかできなかった。
いや、正しく言えば理解はしていた。平時においてその鐘が鳴らされることなど、いままで一度もなかったため、あまりにも現実味を感じられずにいたのだ。
共鳴鐘がこれほど鳴らされる理由は、一つしかない。
「——全門崩壊」
ネリーネが掠れた声が、静まり返ったホールに静かに響いた。




