24 『矢突き、骨折れるまで』
朦朧とするカイルの意識は、体が揺さぶられる衝撃によって、強制的に現実へ引き戻された。
自分はいま、どういう状態なのか。なぜ、ここにいるのか、まるでわからない。
リプレの悲鳴が聞こえる。その内容までは聞き取れないが、ただ事でないのは確かだ。カイルは必死に、散乱する自己をかき集めようとした。
直後――
ドゴォォォォォンッ!!
目の前に雷が落ちたかのような爆音と衝撃。混濁していた意識が一点に集約される。突如として現れた巨大な影が、カイルの視界を遮った。
「……へへ、……間に合った……な……」
聞き馴染みのある、懐かしい声が聞こえた。
しかしその言葉を最後に、影はすっと地面へ倒れ伏した。
「——ミラさん!?」
かすれた喉から絞り出すようにカイルは叫んだ。再会した恩人との、思いもよらぬ別れ――ロロの背を乗り越えて、ミラに手を伸ばす。
しかしその手はすぐにぴたりと止まった。
「……あ、あだだだだだ!矢が刺さった! 矢が刺さったぁぁぁ!!」
ミラは地面を転げ回って悶絶しだした。「抜いてくれ」と叫ぶが、その背中に矢の刺さった形跡もないため、ロロたちはただただ見守るしか出来ない。
あまりに締まりのない姿に、引き金を引いた暗殺者たちまでもが、次弾を装填する手を止めて呆然と立ち尽くしてしまった。
そこへ、カツン、カツンと冷徹なヒールの音が響いた。
「ギルド運営規定 第22条 第4項――」
場違いなほど事務的なその声は、それゆえに不気味だった。
「迷宮内における発見物の第一占有権は、ギルド及び発見したパーティに帰属する。これを武力によって奪取せんとする行為は、ギルドに対する公然たる窃盗および業務妨害と見なす』」
「え…事務局長!?」
突如として現れたネリーネの姿に、カイルたちは驚愕する。その姿は多少やつれているが、金の杖を携えてギルド規定を諳んじるその姿は、この世のすべてを司る法の執行官を想起させた。
ネリーネは悶え暴れるミラの傍まで来ると、くるりと黒衣の集団に視線を移す。彫像のように無機質な表情とは裏腹に、瞳の奥に熱い意志が宿っている。
「何者だ?」
黒衣の男が呼びかけると、ネリーネは薄っすらと笑みを浮かべた。
「おかしなことをおっしゃいますのね――つい数時間前に、貴方方が殺そうとした『横領犯』をお忘れですか?」
暗殺者たちの間に、あきらかな動揺が走った。突如として降って湧いたミラの出現もそうだが、始末したはずの標的の出現は、彼らの予想を大きく上回る。引き金を絞る手が硬直しても無理はない。
「——構わん、殺せ!」
リーダー格の男が狼狽える部下たちを律し、再び矢を撃たせた――しかし、放たれた矢はネリーネの前で光の障壁に阻まれ、力なく地面に落ちる。
(——矢避けの魔法か…!)
男は歯噛みして、腰の短剣に手を伸ばす。矢が弾かれるのであれば、直接手を下すしかない。
ネリーネは足元で転がるミラに視線を落とし、声を張り上げた。
「いつまでそうやって這いつくばっているおつもりですか!」
ミラはネリーネを見上げる。痛みで脂汗が滲み、呼吸もようやく整ってきたところだった。
「馬鹿野郎…誰が好き好んで…!」
「そうやって、またあの男に跪くおつもりですか?」
「——なに」
その言葉に、ミラの思考が真白になった。自然と全身に力がみなぎり、制服がミシミシと音を立てる。怒りが痛みを凌駕していった。
「全員殺せ!」
号令を聞いた数人の暗殺者たちが、手にナイフを持ってネリーネたちへ襲い掛かってくる。だが、ミラの耳にはもう、彼らの足音は届いていない。
静かに瞑目し、剣を構える。
(——くべろ、命を)
敵の凶刃を前にして、ミラは意識を己の内に集約させる。彼女の体内に流れ巡る、熱い魔力の奔流に意識を集中させた。
(——刻むのは、遠き日の旋回)
意識が集約するにつれ、周りと自分の時間に乖離が生まれる。周囲の時が遅れるにつれ、体内のあらゆる器官が躍動する。
(——名も、明日も、一粒残さず炉へくべろ。
巡れ、回れ、熱に任せ――溶けて一つにしてしまえ)
鼓動と連動するように、ミラの体が作りかえられていく。
(——この刹那を、狂い舞えるなら
結末は、ただ白き灰で構わない…!)
「——開演」
刹那、一迅の白光が黒衣を切り裂いた。
カイル達も、そして黒衣の男たちも、その視線はただ一点、ミラに注がれている。
耳が痛くなるほどの静寂の中、彼女の紅の髪が蜃気楼のように揺らめき、いつの間にか抜刀されたその手には真白な剣が出現していた。
手に凶器を持ち、訳も分からず固まっていた男たちだったが、身動きを取ろうとした瞬間、糸の切れた人形のように地に伏してしまった。
そこで彼らは、ようやく自分たちが切られたことを自覚した。
ミラは愛刀『白骨』の白刃を黒衣の集団へ向ける。不気味なほど白いその刀身には、圧倒的速度から繰り出された斬撃により、血のり一つついていない。
「――さて。こっちは端からアレグロ(激しく)でいくぜ。……おくれずについてきな」
揺らめく炎の如きミラを前にして、黒衣の集団はただ立ち尽くすことしかできない。すでに雌雄は決した。
しかし――黒衣の男は、自分たちの背後の闇に目をやる。ここで退いても、自分たちの行きつく先はその闇に飲み込まれる未来しかない。せめぎ合う恐怖の中で、男は半ば狂乱となって号令をかけた。
「殺せ!奴は人間だ!殺せ殺せ殺せ!」
その言葉を合図に、黒衣の集団は手に手に刃をもって走り出した。先ほどまでの余裕は微塵もない、いわば自殺行為に等しかった。しかし背後に控える恐怖が、目の前の死地へと向かわせた。
「うあああああ!!」
その声は涙にぬれ、悲鳴に近い。技術も気概もない、ただの突撃を前に、ミラは小さく舌打ちをした。
「——馬鹿野郎」
次の瞬間、カイルたちの視界からミラの姿が消え、黒衣の集団の中へ躍り込んだ。
手近な男を通り過ぎざまに葬り、襲い来る刃を陽炎のようにすり抜け、その脇を潜り抜けながら下から切り上げる。
男たちが空を切り裂く刹那、その喉元にはすでに白き刃が食い込んでいた。相手が切られたと自覚する暇さえ与えず、ミラは次の獲物へと舞う。
くぐもった悲鳴と共に、影が一つ、また一つと地に伏していった。
カイルたちは目の前で繰り広げられる絶技に、ただただ絶句する。
「——すっげぇな」
「なんであんな女が、受付嬢なんてやってるのかしら」
もはやそれは戦闘ですらなかった。
生気を取り戻したリプレとロロのつぶやきに、全員が頷く。しかしカイルは、かつてガッゾから聞いた、ミラの異常性を実感し慄いていた。
(——これが、ミラさん。これが、銀等級のハンターの実力…?いや、違う!この人のこの強さは、異常だ…)
この強さが、いつか自分たちへ向けられることがあるのではないか。そうでないとは信じたいと思いつつ、カイルは拳を強く握りしめるのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
殆ど一瞬の出来事だった。
――ガチリ、と。
耳が痛くなるほどの静寂に、陶器がかみ合うような、硬質でどこか不気味な音が響いた。
白骨を鞘に納めると同時に、最後の一人が音もなく地面に沈んだ。返り血一つ浴びぬまま、彼女が「ふぅ」と小さく息を吐くと、逆立っていた髪がしなだれて元の状態に戻った。
「ったく、お前ら。揃いも揃って酷い面だな!」
無遠慮にそう言い放ち、ミラは笑って見せた。とても目の前の惨状を作り出した直後とは思えない、いつもギルドで見せるミラの顔だ。
それに対して、カイル達の態度はどこか余所余所しい。助かったと言う安堵よりも、目の前で繰り広げられた事への本能的恐怖が、彼らののどを固く締め付けていた。
「あ……。は、はい。ミラさん……助かりました」
カイルの声は微かに震えている。カイルだけではない。ロロもリプレも、ミラとまともに目を合わせられないでいた。その目はミラという人間ではなく、彼女が引き起こした「凄惨な結果」に釘付けになっている。
カイルは尊敬していたはずの背中に、今は明確な一線を引くような、形容しがたい畏怖を感じていた。
ミラはその「空気」を瞬時に見抜き、ぎこちなく笑った。
「……それより、ガッゾは?」
「——ガッゾは…オラたちの囮になって」
ロロの言葉を受け、ミラの目が再び険しいものとなる。
「敵は、まだいるのか?」
ミラの挑むような問いかけに、ロロは何度もうなずいた。
「ヴォルケよ…エドワードのそばにいた黒衣の男」
その名を聞いた瞬間、ミラの顔に獰猛な笑みが浮かぶ。まるで獲物を前に喜びを隠しきれないといった表情に、リプレは慌てて言葉を継ぎ足した。
「アイツ、普通じゃない!いくらアンタでも、まともにやり合うのは危険よ!」
リプレの声が聞こえていないのか、ミラはダンジョンの奥を一点に見つめる。何も見えないし、聞こえない。しかしその目は、ダンジョンの最奥まで見通そうとしているようだった。
「…ガッゾの野郎も、まだ生きているかもしれねぇ。とにかく行って確かめるさ」
全員が顔を見合わす。ガッゾが生きているかもしれない希望と、これ以上危険を冒す事への恐怖の目だ。ネリーネは冷静に言葉を紡ぐ。
「——残念ですが、まずはこの方たちを連れて脱出しましょう。そして兵を差し向け、身柄を拘束するべきです」
「アイツを見捨てるってのか?」
ミラは険しい表情でカイルたちとネリーネを交互に見たが、渋々とそれに承諾した。ミラを見つめる彼らの表情に、あきらかな怯えが見てとれたからだ。
あ、と思いつき、カイルは自身の胸元をまさぐった。そこにある固い金属の感触を取り出し、ミラたちへ見せる。
「——これ、どうしますか?」
ネリーネの目が大きく開かれる。ミラはすべてを察したように、やれやれと頭を振った。
「ヒートコア…それが奴の狙いってわけか」
「——エドワードを追い詰める証拠の一つです。あの男は否定するでしょうが、これを見せれば王国の司法省も黙っていられないでしょう」
全員が頷く。カイルの差し出す箱にミラが手を伸ばそうとした、その時——
「ッ!?」
ミラの直感が、思考より早く体を動かした。カイルを抱えるロロの腹を容赦なく蹴飛ばし、その体を大きく吹き飛ばす。その手から離れたヒートコアに覆いかぶさるように、衝撃を伴って漆黒の影が舞い降りた。
全員が事態を把握する前に、ミラは白骨を抜き影に切りかかった。
――ギャリリィッ!!
剣と剣のぶつかる音は違う、まるで巨大な獣の骨と鋼が、互いを砕かんと噛み砕き合うような、不快で凄まじい軋み音が轟く。
「お前ら、さっさと行け!」
ミラの怒声に触発され、全員が意識を取り戻す。カイルが何事か叫んだが、ミラの意識は眼前の敵に注がれていた。
「ミラ、すぐに迎えを寄越します!死んではいけませんよ!」
ネリーネの必死な叫びにミラは不敵に笑った。
「気持ち悪ぃこと言ってないで、さっさと行きな!」
全員を自身の元へ集めると、ネリーネはマスターキーの杖を掲げた。光の粒子に包まれ、激しい閃光と共にその姿が跡形もなく消え去る。
残されたのは、静まり返った闇と、向かい合う二つの影のみ。
ミラはその気配を察してひとまず安心するが、目の前のヴォルケに抱く不安は一抹もぬぐえない。こうしている間にも、ミラは刀身を通して圧力を加えているのだが、当のヴォルケは微動だにしなかった。
「テメェにも借りがあったな。女でオレをねじ伏せたとこだけは、褒めてやるけどよ」
その憎まれ口が呼び水となったかのように、周囲の空気が揺らいだ。
ヴォルケの瞳の奥で、ドス黒い灯火が揺らめいたかと思うと、周囲の空気がドロリと重く、粘つくような質感へ変貌する。
ヴォルケが、ただ片腕を払った。 刃を噛み合わせていたはずの『白骨』ごと、ミラは抗う術もなく暴風に打たれたかのように吹き飛ばされた。
「……ッ!」
着地と同時に再び剣を構えるが、剥き出しの骨のような白き刀身が、微かに震えている。
静止したままのヴォルケから漂うのは、先ほどまでの無機質な殺意ではない。何年も、何十年も、暗い地獄の底で煮詰められ、発酵し続けた……言葉にすらできない「重苦しい怨念」が、その場を支配していた。
「——もしかしてオレ、また余計な事、言っちまったか…?」
その人間らしい振る舞いを、引き出したことへの勝利に一瞬浸りながら、ミラは自身に向けられる強大な殺意にかつてない戦慄を覚えていた。




