20 『ペチャリンコ文書』
深夜のギルド、プリムはポムの友人について調べていた。
ようやく目的の人物にたどり着き、凝り固まった体をほぐす。マジックアイテムであるファイルに表示される光の文字は、長時間眺めていると眼球の奥に刺さるような疲労感を与えてくる。
背伸びをしながら、視線をホールへ巡らせた。窓際の席では、ネリーネが一人黙々と作業をこなしている。うず高く積まれた資料の山に埋もれる彼女の背中には、かつての事務局長としての威厳は乏しく、どこか悲壮な影が漂っていた。
プリムは気を取り直し、目当ての人物の経歴を見た。
「……たぶん。この人だと思うけど」
ポムから『ハンス』の名を聞いた時に感じた、小さな違和感。貴族と違い、性を持たない総勢六名のハンスの経歴を洗い出し、活動記録を照合する作業は難航を極めた。
しかし――
(——遠征の届け出が出てる…?)
ポムが他の受付嬢に確認したのが4日前。その時の返答では、ポムと共に受けた依頼が最後のはずだった。しかし、目の前の記録にあるハンスは、三日前に南区から列車に乗り、遠征任務に出発している。
その矛盾に指先が止まった瞬間、プリムの背筋を冷たいものが駆け抜けた。
「——まだ業務が残っているのかしら?」
不意に頭上から降ってきた声に、心臓が跳ね上がった。いつの間にか、ネリーネが音もなく背後に立っていた。影のように冷ややかな視線が、プリムを見下ろしている。
「あ、いえ……少し、調べものをしてました」
ネリーネがプリムのファイルに視線を走らせると、その眼差しがわずかに細められた。
「この方が、なにか?」
「あ、えっと……」
プリムは言葉に詰まった。今のギルドでは、些細な一言が命取りになりかねない。ネリーネを疑いたくはなかったが、彼女が「どちら側」にいるのか、確信が持てない以上、慎重にならざるを得なかった。
「き、今日、ハンスさんの受付をしたのですが。少し気になる記載があったので見直そうとしたら、同名の方が六人もいらして……」
ははは、と苦笑いを浮かべるプリムを、ネリーネは無言で見つめ返した。その沈黙が、プリムには永遠の取調べのように感じられた。やがてネリーネは小さく息を吐き、居住まいを正した
「病み上がりに無理するものではありません。目的の方が見つかったのであれば、続きは後日に回しなさい」
プリムは逡巡した。掴みかけた違和感の正体こそが、カイルたちの安否に繋がる直感がある。だが、ここで深追いしてベアトリスやエドワードに嗅ぎつけられるわけにはいかない。
「……そうですね。お言葉に甘えます」
プリムは吸い込まれるように閉じるファイルの闇を見つめ、静かにそれを閉じた。
翌日、プリムは少し遅れて更衣室に来た。
案の定、受付嬢たちが雑談に花を咲かせている。彼女たちはプリムの登場に、一瞬固まったが、すぐに笑顔で挨拶をし、そして何事もなかったかのように部屋から出ていこうとした。
「——ちょっといいかしら?」
集団に紛れて通り過ぎようとする、見慣れない受付嬢を呼び止めた。
「あなた、ルナリアさん?」
プリムよりも小柄な受付嬢は、訝し気に彼女を睨みつけると、短く「そうですが」とだけ返事した。自分への敵愾心が隠しようもなく表面に漏れ出している。
「私はプリムローズ・ランカスター。貴方に聞きたいことがあったの」
ルナリアはあからさまに眉を顰めた。
「——申し訳ございません。急いでいますので」
取り付く島もない。扉へ向かおうとするルナリアの腕を、プリムは逃がさぬよう力の限り掴んだ。
「っ……!」
射抜くようなルナリアの視線を受け流し、プリムはあくまで慈愛に満ちた、優しい微笑みを向けた。
「では、あとでお邪魔するわね。とても大事な事だから、どうしても聞いておきたいの」
プリムは指の力を緩めない。ルナリアの瞳に宿っていた強気が、じわじわと本能的な恐怖に塗り替えられていくのを確認し、ようやくその腕を解放した。
「それじゃあ、よろしくね」
優雅に手を振って見せるプリム。ルナリアは怯えを隠せぬまま、逃げるように扉の外へ消えていった。
案の定、朝礼後にプリムはベアトリスに呼びつけられた。
「ルナリアへ乱暴を働いたそうね?」
ベアトリスの追及に、プリムは大げさなほど心外だという表情を作ってみせた。
「それは誤解ですわ。ルナリアさんとお話ししたいと、お願いしただけですのに」
視界の隅にルナリアの姿を捉える。プリムがにこりと微笑んでみせると、彼女は悲鳴を上げんばかりに視線を逸らし、必死に業務に没頭し始めた。
「——ともかく、貴方は金輪際、あの娘への接触は禁止です」
「なぜです?理由を伺いたいわ」
「私がそう決めたからです。貴方、すっかりあの女に毒されているようですし、新人への悪影響はごめんですもの」
ベアトリスは吐き捨てるように告げると、足早に階上へと消えていった。プリムはもう一度、ルナリアの震える背中に視線を送る。
「——たしかに、毒されてるかも」
自嘲気味にそう呟き、再提出の書類が山を成す自身のデスクへと戻った。
通常の業務をこなしつつ、プリムはハンスの情報を穴が開くほど見つめていた。しかし隅々まで探るが新たな事実は見つからず、焦燥だけが募っていく。
「お疲れっす、姐さん」
不意に明るい声が響き、若いハンターの一団がプリムの窓口へやってきた。プリムが親身にアドバイスして以来、彼らはすっかり彼女を信奉するようになっていた。
「元気ないっすね。せっかくの美人が台無しっすよ」
「ありがとうございます。少し、調べものをしていたものですから」
自分とさほど歳の変わらない彼らに『姐さん』と呼ばれるのを、こそばゆく感じつつも、頼りにしてくれるのは素直に嬉しかった。彼らもまた、ギルド内では「腫れもの」扱いされている身だ。若さゆえの不器用さを抱えながらも、偏見なく接してくれるプリムに、彼らは救いを見出しているようだった。
プリムは試しに、行方のわからない『ハンス』の名を挙げてみたが、別のパーティにいる同名の知人の話が返ってきただけだった。
「すんません、力になれなくて……」
申し訳なさそうにする青年を慰めつつ、プリムは依頼完了の報告書を受け取った。
「報酬は、預金に回しますか?」
プリムの問いに、彼らは顔を見合わせてはにかむ。
「全部現金で!」
宵越しの金は持たない彼らの気風に苦笑しながら、払戻用の伝票を手渡した。ハンターには珍しくない光景だ。
その金遣いの荒さに内心苦笑しながら入力していく。ふと、プリムの手が止まった。
ハンターが遠方へ行く場合、多額の現金を抱えて移動することはまずない。かさばる上に、紛失のリスクがあまりに高いからだ。
だからこそ遠征先の宿も、武具の修理も、消耗品の補充も、すべてギルドの提携店を利用するのが鉄則だ。そこでの支払いは本人のライセンスで行われ、後日、報酬や貯金から自動的に引き落とされるシステムになっている。
(ハンスさんの履歴は…列車の切符代で終わっていた…?)
果たしてそんなことがあり得るのだろうか。
仮に十分な現金を持っていたとして、一度もギルドの施設に立ち寄ることなく、過酷なクエストを遂行することなど。
「姐さん? どうかしたんすか?」
若いハンターが心配そうに覗き込んでくるのも耳に入らず、プリムは脳裏に浮かんだ仮説を激しく反芻し続けた。
翌朝はやく、ルナリアは恐る恐る更衣室の扉を開けて、顔をのぞかせる。そこに特定の人物の姿がない事を確認し、安堵の溜息を漏らして入室する。
「——おはよう。思ったよりも早くて助かったわ」
心臓が跳ね上がるほどの衝撃に、ルナリアは弾かれたように振り向いた。扉の影に、プリムが立っていた。頬はやつれ、しかしその瞳だけが異様なまでの光を宿している。
笑みを浮かべたプリムが一歩近づくごとに、ルナリアは一歩引いた。
「あ、あの…わたし…」
ルナリアの背中がロッカーに当たり、逃げ場を失う。プリムはその頬を優しく、しかし有無を言わさぬ力で包み込んだ。
「さあ、お話しましょうね―――ルナリアさん」
その晩も、プリムは遅くまで作業をしていた。しかし昨晩までとは違い、端末を操作する指先に迷いはない。鬼気迫る勢いで情報の波を踏破していく。
「プリムローズ!」
鋭い声に呼び止められた。ネリーネが異様なものを見る目で見降ろしている。
「大丈夫ですか?何度も呼んだのですよ」
「ああ、はい。すみません」
それだけ答えると、プリムは憑りつかれたように再び画面へ視線を戻した。ネリーネはその異常さに詰め寄ろうとしたが、プリムから放たれる凄絶な気迫に思わずたじろいだ。
「——ネリーネさま」
プリムの地を這うような低い声が、ネリーネを捉える。
「貴方は、ネリーネさまのまま…ですよね?」
「…プリム?」
ネリーネは言葉の真意を測るべく、思考を巡らせた。ここで答えを間違えれば、二度と彼女と心を交わすことはできない。本能がそう告げていた。
「わたくしは、わたくしです。誰が何と言おうと」
ネリーネが毅然と返す。
プリムは頷くと、自身のデスクをかき回し始めた。再提出の書類が床に散らばるが目もくれずに、用紙の束をネリーネへ差し出した。紙には、ハンターらしき名前がびっしりと並んでいる。
「——なんですか、これは?」
「遠征中のハンターの一覧です」
「なぜ、こんなものを…」
訝しむネリーネに対し、プリムは乾いた声で呟いた。
「――ないんです」
重苦しい沈黙が、深夜のホールに満ちる。その重圧を撥ね退けるように、プリムは言葉を継いだ。
「遠征に出たきり、金銭の動きが一切ないんです。宿代も、食費も、武具の修理代すらも。まるで――」
一瞬、言葉を逡巡するように唇が震えた。
「――まるで、この世から消えてしまったみたいに」
ネリーネはプリムの項垂れる背中を見つめる。そして、彼女が集めた紙の束を見つめると、意を決し声を張り上げた。
「何をくだらないことを! 記録に不備があるだけでしょう。それを今さら――」
「――これを見てください」
プリムは数枚の紙を差し出した。ネリーネはその全てに目を通すが、何の変哲もないクエストの依頼書だった。
「受領印の名前…ぜんぶ同じですよね?」
言われて確認すると、すべて『ルナリア』の確認印が押されていた。
「——あの子に聞きました。練習用だって――仮にサインしても、それは正規の情報として、保管はされないんだって…!」
プリムの肩が激しく震え始める。
「ネリーネさま、どうしてしまったのですか…?わたしたちのギルドは。その人たちは…カイルは、どこへ行ってしまったんですか!?」
「カイル…?」
プリムはネリーネの胸元に掴みかかった。瞳からは大粒の涙が溢れ、言葉は嗚咽に溶けていく。
「——カイルさん…昨日、遠征に行ったんです。けど、ないんです――どこにもないんですよ、そんな記録!」
ネリーネは言葉を失った。
今はただ、崩れ落ちそうなプリムの肩を支えることしかできない。彼女もまた、明かりの落とされたホールの闇を見渡した。見慣れたはずの場所が、今は巨大な怪物の胃袋のように自分たちを拒絶している。
ネリーネは深く目をつぶると、力強く見開いた。
「いいですか、プリムローズ」
力強くその肩を掴み、言い聞かせるように声を落とす。
「このことは忘れなさい…!」
ネリーネの言葉を、プリムは理解できなかった。それはプリムの知るネリーネであれば、決して言わない言葉だからだ。
「ネリーネ、さま…?」
「——いま、これを公表すれば、あなたも無事では済みません。だから――」
その言葉が終わる前に、プリムはネリーネの手を振り払った。怒りと絶望にそまった瞳が、かつての憧れを射抜く。
「…やっぱり、そうでしたか。私の知っているネリーネさまは、もうここにはいない」
「プリムローズ…?」
「——気易く呼ばないで!あなたは、卑怯者よ!貴族ですらないわ!」
プリムは自身のデスクに覆いかぶさる。伸ばされたネリーネの手を払いのけ、ホールに響き渡るほどの声を上げた。
「近寄るな!ギルドは私が守る!誰にも汚させない!」
深夜のホールに響き渡る絶叫。ネリーネはしばらくその震える背中を、悲しげに見つめていた。
「……ごめんなさい」
消え入るような謝罪を一つ残し、彼女は階上の深い闇へと消えていった。
いつもより遅い時間に、プリムはまどろみの底から引き剥がされるように目を覚ました。 腫れあがった瞼をこすり、自らの頬を強く叩く。鋭い痛みが、逃げ出したくなる心を現実に繋ぎ止めた。
そして自身の部屋をゆっくりと見渡した。ギルドに併設されたこの場所は、華美な装飾こそないが、長い歴史が刻まれた重厚な静寂に満ちている。ここで過ごした日々、培ってきた誇り。それらすべてを自分の中に呼び戻すように、そしてこれから踏み出す一歩への勇気に変えるように、彼女は何度も部屋の隅々に視線を走らせた。
ベッドから立ち上がり、身支度を始める。ギルドで準備された服ではなく、外出用に持ってきた私物のドレスだった。鏡の中の自分はひどくやつれ、悲劇のヒロインのように目は赤く腫れていたが、その瞳に宿る光だけは、かつてないほど力強く輝いていた。
最後に、かぼちゃのように膨れ上がった肩掛けバックを取る。昨晩、命を削るようにしてまとめ上げた数々の資料。それは今のプリムにとって、何よりも重く、何よりも尊い「武器」だった。
ずしりと肩に食い込む重みに、思わずよろめきそうになる。だが、この重さこそが今の彼女には心強い。死地へ向かうハンターたちが巨大な獲物を背負う理由を、彼女は初めて理解した気がした。
脳裏に、カイルの穏やかな笑顔がふわりと浮かぶ。プリムは静かに目を閉じ、祈るように深く息を吐くと、意を決して部屋を後にした。
目指すは憲兵隊本部のある北区だ。寮からであれば、ギルドのホールを通らずとも駅へ向かうことができる。
裏門から静かに立ち去ろうとしたプリムだったが、ふいにその足を止めた。
(——最後に、ギルドを見ておこう)
ただ、なんとなくそう思った。ネリーネの言った通り、これからの行動如何では、二度とここへ訪れる事がないかもしれない。その予感が、プリムの足を正面玄関の方へ向かわせた。
正面玄関を開けると、左手にギルドの正面門がある。プリムは改めて帽子を深くかぶり直し、ギルドの正面が伺える方へ向かおうとした。
と、ギルドの正面門の前に、馬車が止まっているのが目に付いた。しかもただの馬車ではない。背面に施されているのは、厳格な憲兵隊の紋章だった。
(まさか――誰かが告発を?)
プリムの心が淡い期待に芽生える。真実に気づいたのは、自分だけではなかったのか。
彼女は人ごみをかき分け、最前列へともぐりこんだ。好奇心に目を輝かせる野次馬の一人に、震える声で尋ねる
「何があったのですか?」
「なんでも横領だとか言ってたな。ギルドの金を使い込んだらしい」
その言葉に、満たされた期待感が徐々に収縮していく。いまギルドで行われている凶事は、決して金銭の横領などと言う矮小なものではないはずだ。
(——いったい、誰が?)
扉が開かれ、赤と銀の鎧をまとった憲兵隊に連行される、一人の人影が見えた。
(——え?)
命よりも重かったはずのバッグが、音もなく地面へ滑り落ちた。
憲兵たちの真ん中で、いつものように凛々しく胸を張り、毅然とした足取りで歩を進めるネリーネの姿があった。
そして、その白い手首には――冷たく、重々しい鉄の手錠が、無慈悲にかけられていた。




