第60章:王の街
夜の出来事を余すことなく語り終えると、玉座の間には静寂が落ちた。
広い空間に置かれた燭台の炎が揺れ、壁にかかった豪奢なタペストリーを淡く照らす。レイの言葉をすべて聞き終えた国王は、肘掛けに重い腕を置いたまま、しばし考え込むように目を閉じていた。
「……なるほど」
やがて低く、重みを帯びた声が広間に響く。
「そなたがその場に居合わせたのは幸運だった。いや、神の導きかもしれぬな。知らせてくれたこと、誠に感謝する」
国王はゆるやかに立ち上がると、背後に控えていた近衛騎士たちに視線を向けた。
「王都の警備をさらに厳重にせよ。巡回を増やし、門の出入りも細かく調べるのだ。民に不安を抱かせぬよう、徹底して行え」
「はっ!」
鋭い返事と共に、数名の騎士が一斉に姿勢を正す。靴音が石床に反響し、広間を緊張感が包んだ。
その光景を目にしながら、レイは心の内で小さく頷く。王の一声でこれほど場の空気が変わるのかと改めて実感し、ただの権威ではなく本物の「支配者」としての力を感じ取った。
けれど、重苦しい雰囲気の中でも、レイには別の視線が突き刺さっていた。
玉座の下、絹のドレスに身を包んだ少女――リリア。
彼女は小首をかしげるようにしながら、レイを見つめている。声をかけるわけでもなく、ただまっすぐ、揺るぎない瞳で。
その純粋さに似た視線は、鋭い剣よりも落ち着かず、レイは無意識に背筋を伸ばしてしまう。
隣に控えるセラも同じように気づいていたのだろう。落ち着きなく手を胸元にやり、やがて小さく息を吐いてから、思い切ったように口を開いた。
「……あの、リリアお嬢様。なにか御用でしょうか?」
その声にリリアははっとしたように肩を揺らし、視線を泳がせる。そしてほんのり頬を染め、けれど結局は何も言わなかった。
言葉を探して唇がかすかに動くものの、やがて小さく首を振り、視線を落とす。その姿はどこか幼さを残し、セラは思わず戸惑ったように瞬きを繰り返した。
レイはといえば、特に深く気にすることもなく首をかしげる。
――そういう感情に関しては、興味も関心もない。今の自分には不要なものだと割り切っていた。
だからこそ、リリアの態度の意味を考えることすらせず、ただ「妙な子だな」と思うに留まった。
国王はそんなやり取りを見守っていたが、やがて再びレイへと視線を戻した。
「そなたには三日の間、この城に滞在してもらいたい」
重々しいが、どこか温かさを含んだ声音だった。
「王都の情勢が落ち着くまでは、余としてもそなたを遠出させるわけにはいかぬ。それに、そなたの力は今後も必要になるだろうからな」
レイはしばし考え込み、やがて静かにうなずいた。
「……わかりました。特に急ぎの用事もありません。それに――」
口元にわずかな笑みを浮かべ、肩をすくめる。
「この城の食事は本当に美味しいですから、滞在するのも悪くはないですね」
場の空気を和ませるような率直な言葉に、国王はふっと口元を緩めた。
「はは、素直な感想だな。料理長もきっと喜ぶだろう」
こうして話は一区切りついた。
セラはその後、リリアに呼ばれ、二人並んでどこかへと姿を消した。去り際、セラが振り返り、少し不安げに手を振ってきたのをレイは見逃さなかった。
残されたレイは一人、広間を後にした。
久方ぶりに訪れた静けさに、深く息を吐く。自分にできることを果たした今、手持ち無沙汰になったのは確かだった。
ならば、と足は自然と城下へ向かっていた。
城の門を抜けると、王族の住まう区画――「王都の心臓」と呼ばれる一角が広がっていた。
陽光を反射する白い石畳、並び立つ荘厳な建物、整然とした街路樹。庶民の街で目にする雑然とした賑わいとは対照的に、ここには秩序と華やかさがあった。
通りを歩けば、鮮やかな布地を扱う店や香辛料を並べる露店が立ち並び、香ばしい香りが鼻をくすぐる。楽器を奏でる旅芸人の音色が風に乗って響き、歩く者たちの笑顔を誘っていた。
レイはゆっくりと歩を進めながら、その光景を観察するように目を巡らせる。
ふと足を止めたのは、広場で開かれていた小さな市だった。
焼き立てのパンを売る屋台からは香ばしい匂いが漂い、果実を山のように積み上げた商人は大声で客を呼び込んでいる。
「お兄ちゃん、これ安いよ!」
声をかけてきたのは、まだ幼い少年だった。かごに赤い果実を入れ、無邪気に差し出してくる。
レイは少し驚きながらもその果実を受け取り、銀貨を数枚渡した。少年は目を輝かせて頭を下げ、駆けていった。
果実にかじりつけば、甘酸っぱさが口いっぱいに広がる。
――戦いばかりの世界の中で、こうしたひとときがあるのは悪くない。
レイはそう感じながら、再び歩き出した。
やがて、街路を巡回する兵士たちの姿が目に入る。昨日までより明らかに数が増えていた。国王の命がすぐに行き渡っているのだろう。
その姿を見て、改めて王の力と統治の仕組みに感心する。迅速な対応は、民の安心を保つ最も重要な要素だ。
だが同時に、視線の存在も消えてはいなかった。
広場を歩く間も、石造りの路地を抜ける間も、誰かに見られているような感覚がつきまとう。
振り返っても、そこには人混みしかない。ただ胸の奥にわずかな違和感が残り、レイは無意識に歩調を速めていた。
夕刻。
城へ戻る頃には、街の灯りがひとつ、またひとつとともり始めていた。
人々の笑い声と音楽が夜風に溶け、どこか祭りのような賑やかさを漂わせている。
レイは足を止め、空を仰いだ。朱に染まった雲の向こうに、薄く星が瞬き始めている。
――こうしている間にも、何かが動いている。ザイロスの計画も、魔王軍の影も。
それでも、この一瞬の静けさを胸に刻んでおこう。そう思い、レイは再び歩き出した。




