第183章:知りすぎている男
学院長室。
重厚な扉の前に立った瞬間、空気が違うと分かった。
「……なんか、嫌な感じする」
ミナが小さく呟く。
セラも無言で頷いた。
レイはノックする。
「入りなさい」
落ち着いた声。
中へ入ると、巨大な窓から差し込む夕光が部屋を赤く染めていた。
机の向こうに座るのは、学院長――エルド。
穏やかな微笑み。
だがその瞳の奥に、計算の光がある。
「昨夜、“会った”そうだね」
開口一番だった。
レイの指が、わずかに止まる。
「……報告はまだしていません」
「魔力観測値は嘘をつかない」
机上の水晶が淡く揺れる。
「君の波形は、明確に“外部接触”を示していた」
沈黙。
リュシエルが一歩前へ出る。
「学院長。どこまで把握されているのですか」
エルドはゆっくりと立ち上がる。
「どこまで、か」
窓の外を見る。
「この学院の地下には、“旧式観測層”がある」
ミナが眉をひそめる。
「旧式?」
「今使っているものより古い。だが、より深い」
レイは静かに問う。
「空白領域の“下層”ですか」
エルドの肩が、ほんのわずかに止まった。
「……そこまで聞いたか」
否定はしない。
「なぜ黙っていた」
レイの声は低い。
「混乱を避けるためだ」
「俺たちはもう巻き込まれている」
間髪入れず返す。
「観測対象じゃない。“参加者”だ」
エルドは振り返る。
その瞳から、柔らかな笑みが消えていた。
「ならば聞こう」
一歩、近づく。
「君は、どちら側だ?」
部屋の空気が張り詰める。
「観測される存在か」
「干渉する存在か」
昨夜の言葉と同じ。
レイは目を逸らさない。
「俺は、選んでいない」
「だが拒絶した」
エルドの声は静かだ。
「通常の生徒なら、あの接続は防げない」
「知っていたんですか」
セラが問い詰める。
「予測はしていた」
「実験、ですか」
リュシエルの声が冷える。
エルドは否定しない。
「確認だった」
「何を」
「君が“鍵”かどうか」
ミナが机を叩く。
「人を勝手に鍵扱いすんな!」
一瞬、学院長室の魔力がざわめく。
だがエルドは微動だにしない。
「君たちを利用する気はない」
「信用できると思いますか」
レイの問いに、エルドはわずかに目を細める。
「信用は不要だ」
その代わりに――
「事実を渡そう」
机の引き出しから、一枚の古い羊皮紙が出される。
そこに描かれているのは、学院地下の構造図。
だが一部が塗り潰されている。
「ここが“下層”だ」
「封鎖している理由は」
「開ければ、観測では済まない」
静かに告げる。
「向こうが、こちらを観測し返す」
背筋が冷える。
「昨夜の接触は、その前触れだ」
レイは図を見つめる。
「開けたらどうなる」
「干渉が始まる」
「具体的に」
エルドは少しだけ迷い、答えた。
「世界の“枠”が薄くなる」
意味は完全には分からない。
だが危険だということだけは伝わる。
「なぜ今、話す」
「君が既に触れられたからだ」
エルドはまっすぐ見る。
「隠す段階は終わった」
部屋が静まり返る。
やがてミナが小さく言う。
「……開ける気でしょ、あんた」
レイは答えない。
だがその沈黙が、答えだった。
エルドはゆっくりと頷く。
「ならば、準備を整えろ」
「許可は?」
「必要ない」
学院長は、静かに笑った。
「どうせ止められない」
窓の外、夕陽が沈む。
長い影が、床に伸びる。
「だが忘れるな、レイ」
最後の一言。
「干渉する側に立つということは」
一瞬、空気が凍る。
「干渉される覚悟も持つということだ」
◆
学院長室を出た後。
廊下を歩きながら、誰もすぐには口を開かなかった。
やがてミナが言う。
「ムカつくけど、嘘は言ってない」
「ええ」
セラも頷く。
「知りすぎている。でも隠し切れていない」
リュシエルは静かに言う。
「下層を開けば、後戻りはできません」
レイは立ち止まる。
窓の外に夜が広がっている。
「……それでも」
拳を握る。
「向こうが来るなら、先に行く」
観測は終わった。
次は――干渉。
学院地下・旧式観測層。
封じられた扉は、まだ閉じられている。
だが鍵は、すでに回り始めていた。




