9 日本人形(4/5)
「鹿子はそれをどう思ったんだ?」
梓にそう問いかけられて、私はしばらく考えた末に――こう答える。
「悲しいけれど、ぬいぐるみに反応したのは、ちゃんと父のことを覚えていてくれたのかなって」
「なら、それでいい」
梓はそんな風に肯定した。しかし、私はそう簡単には割り切れない。
かごめさんはトウビョウを封じようとしていたはず。しかし、それが失敗したことによって――例えば魂のようなものが囚われてしまい、それであの姿になったのだとすれば――やはり悲しい気もした。せめて、刀がトウビョウを退治したことで、少しは救われているといいのだが。
黙り込んだ私に向かって、梓はさらにこう続ける。
「伊吹なんかは、そのものではない、とでも言うんだろうが……どうしても知りたければ、その辺りの理屈は伊吹に聞いてくれ。私ではうまく説明できないからな」
そんなことを言いながら、梓は空になったティーカップに、おかわりの紅茶を注いだ。
「とにかく――その刀は怪異でありながら、害を為す怪異を切った、と。だとすれば、彼女にとって、それは味方になってくれる怪異だったのかもしれない。今回のことも、忠義のために主を介錯した、とも考えられるな」
「忠義、ね」
私は無意識のうちに、そう呟いた。たとえ怪異であっても、かごめさんに味方がいたのなら、少しはよかったと思えるだろうか。
梓は何かを思い出すように、宙に視線をさ迷わせている。
「日記にあったのは、吉道という名だったか――私は刀剣には詳しくないが、もしかしたら刀の名にあるのかもしれない」
「刀に名前なんてあるの」
私は思わずそう問いかける。
彼女の言うとおり、確かに日記帳にはかごめさんの協力者と思われる名があった。それがまさか――刀のことだったと言うのか。
梓は苦笑しながら、こう続ける。
「この場合は刀鍛冶――つまり作った者の名だ。刀は茎――柄に収まる部分に、刀を打った者の名を刻むことがある。固有の名を持たない刀は、基本的にこの名で呼ばれている」
私はなるほど、と納得した。それなら、人の名前と勘違いしても、仕方がないかもしれない。
私は記憶の中から、刀があった光景を呼び起こした。そのときふと、あの儀式めいた跡のことを思い出す。
「そういえば、かごめさんはトウビョウを封じようとしていたみたいで、そこに刀と一緒に豆があった気がするんだけど、これにも意味がある?」
盛り塩とかではなく、なぜ豆なのかと疑問に思っていた。梓はさらりとこう答える。
「炒り豆だろう。豆は魔を滅する物だ。節分でも豆を投げるだろう? 芽が出ないように、炒ったものを使うんだ」
言われてみれば、節分の鬼退治は何の疑問もなく豆だった。あれは一応、豆そのものに意味があったのか。
怪異など遠い世界の話だと思っていたが、それは案外、身近にあるものなのかもしれない。そんなことを少しだけ感慨深く思いながら、私は軽く頷いた。
「節分、ね。日本人形は端午の節句だったし――そう言えば、これも意味があるのかな。あれだけ執拗に壊されてたみたいだけど」
「何だそれは」
梓は怪訝な顔をしている。
私はかごめさんの家に行ったときのことを思い返した。仏間のインパクトで忘れかけていたが、最初に入った茶の間に置かれていた、あれは確か――
「あざやかな赤い着物の女性の人形で。でも、こう……片手で兜を持っていて」
「待て。兜を持った、日本人形?」
梓が、はっとしたように私のことを見返す。そして、こう言った。
「八重垣姫」
「やえ……」
私は最後の日記帳に書かれていた言葉を思い出す。
――人の身で全ての厄を背負おうなどと、なんて愚かなのだと、やえさんには言われました。
思えば――やえさんは常に彼女の側にいた。彼女の日常を知ることができる場所に。ずっと見守っていられる位置に。
だとすれば、やはり――
梓は難しい顔をしながらも、こう話し始める。
「八重垣姫、か。上杉謙信の娘である八重垣姫が、武田家との争いの種である秘蔵の兜を持ち出し、許嫁の武田勝頼の危機を救って、結ばれる――と、まあ、だいたいこんな話だな」
それを聞いて、私は大きくため息をついた。
「全然、知らないんだけど……悪かったわね。歴史に疎くて」
それを聞いた梓は、少し呆れたような表情を浮かべている。
「歴史、というか――八重垣姫のことなら、これは架空の人物だ。浄瑠璃や歌舞伎の演目『本朝廿四孝』だな」
私は思わず顔をしかめた。
「架空の人物? でも上杉謙信と武田勝頼って――まあ、いいか。とにかく、その兜を持った日本人形は、八重垣姫って名前なのね? でも――そんなことって、ある?」
私は思わずそう問いかけたが、梓はただ軽く肩を竦めるだけだ。
「まあ、それだけで何が断定できるわけでもないが」
梓はあくまでも冷静に、そう返した。
確かに――日本人形の名前と日記帳に書かれている名前が似ているからといって、それがどうというわけではない。それでも、もしそうだとしたら――このことは、まだ読んでいない日記帳のどこかに詳しいことが書かれているかもしれない。
私がそんなことを考えていると、梓はいつもの調子でこう話し始めた。
「何にせよ、八重垣姫の人形なら、それはおやま人形だろう。役者や浮世絵、舞踊などをモデルに作られる、華やかな姿をした、いわゆる衣装人形だ。それを日本人形と呼んでしまっては、ベベドールを西洋人形と呼ぶようなものだな」
それを聞いて、私は彼女から西洋人形の――いや、アンティークドールの説明を受けたことを思い出す。
あのときのように、梓は淡々とこう続けた。
「おやま人形は、江戸時代の人形使い小山次郎三郎にちなんで、おやま人形と呼ばれるようになった、と言われている。この名が、歌舞伎の女形の語源ともされているな」
私は思わず唸り声を上げた。
「歌舞伎、ね。私がそのことを知っていたなら――少なくともあの日本人形を見た時点で、そのことに気づいていたかもしれないのに……」
気づいていれば――どうしただろう。どうにかあれを持ち出すことを考えただろうか。
刀と同じように、あの人形もまた、かごめさんにとっては味方だったかもしれない。だからこそ、壊されていたのではないだろうか。八重垣姫が封じる方法をかごめさんに教えたのだとすれば、当然、トウビョウには忌まわしい存在だっただろうから。
そう思うと、急にあの人形の無残な姿が哀れに思えてくる。
しかし、梓は私のそんな感傷などものともせず、きっぱりと首を横に振った。




