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厄災流し  作者: 速水涙子


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9 日本人形(5/5)

「どうかな。先入観というものはあるものだ。仮にそれを知っていたとして、すぐに結びついたかどうかはあやしいだろう。ただ――知識はあって困るものではない。何が幻想で、何が現実か。何が架空で、何が歴史か。わからないことを、わかるようにするために学ぶんだ。そうでなければ、専門家に頼る。私は大抵そうしている」


 梓はそう言うと、ふと周囲を見回した。私もつられて、店内へと視線を向ける。


 狭い室内には、所狭しとさまざまなアンティークが並べられていた。西洋の物が多いようにも思えるが――よく見ると、日本の物か、中国か――あるいは、出所のわからない物もいくつかある。


「アンティークは多岐の分野に渡る。とても全てを私ひとりで抱え込むことはできない。私だって、ひとりの知識で何もかもわかるとは思っていないさ」


 私は今までのことを思い返す。石の専門家に動物の専門家に、あとは何だったか――情報屋か。ひとつとて、アンティークに関係しそうな専門家はいなかった気がするが――まあ、専門家には違いない。


 それに、私もまた――ここに来て梓に話を聞かなければ、何も知らないままだっただろう。あのとき、この店を訪れなければ、私は今も途方に暮れていたに違いない。


 ぼんやりとそんなことを思っていると、梓がこう言い出した。


「だからこそ、今回は祖母の人脈を頼るか――その人形と刀を回収しよう。うちで取り扱うのは難しいが、しかるべきところへ行けるように取り計らう」


 私は目を見開いて、梓のことを見返した。


 あの家に取り残された人形と刀。唯一、かごめさんに寄り添ってくれた存在。たとえ人ではなくとも、あのままにしておくのは忍びない。


 私は大きく頷いた。


「ありがとう。そうしてくれると、私も嬉しい。人形も刀も、かごめさんの味方だったなら――これからも大事にされていて欲しいから」


 梓は黙って頷き返した。


 これでようやく、全てのことが丸く収まったようだ。現実には――あの蛇の生き残りなど――まだ解決していないことはある。それでも、私が求めていた答えは得られただろう。


 それにしても、まさかかごめさんの協力者が人ではなかった――かもしれない――なんて。怪異でありながら、人に寄り添ってくれる怪異。梓にとってはこれも、物は物、なのだろうか。それとも。いや、それでも――


 私がそれを尋ねる前に、梓はこんなことを言い出した。


「それにしても人形、か。そういえば、そうした衣装人形もまた、災厄の身代わりとして、嫁ぐ際の婚礼道具のひとつでもあったな」


「身代わり。人の災厄を――引き受ける?」


 私は人形を怖い物だと思っていた。人ではない、人によく似た物。でも、それは人の災厄を引き受けてくれるからなのか。だとすれば――無意味に怖がっていたことが、急に申し訳なく思えてくる。


 私がそんなことを考えていると、梓はこう続けた。


「人形には、そういう願いも込められている、ということだ。それもまた、文化だな。文化というものは遺品なんだ。誰かが残したものだ。形はなくなっても、受け継がれていく」





 私は母の住まいにいた。


 火事の後、仮に住まわせてもらうようになってから、もうけっこう経つ。そろそろ自分の身の振り方について、決めなければならない時期だろう。そんなことを思いつつ、私は今日も無為な時を過ごしていた。


 昼前の穏やかな時間。リビングには私ひとり。椅子に座りながら、起き抜けのぼうっとした頭で意味もなくテレビを眺めていた。


 春の暖かな風が吹くたびに、カーテンがゆっくりと揺れる。テレビに映っているのは小川が流れているどこかの長閑な風景で、子どもたちが楽しそうに小さな紙人形を川面に浮かべていた。


「流し雛」


 私は無意識にそう呟く。


 今日はひな祭りの日だっただろうか。そもそも、今は三月ではなかったような――だとすれば、旧暦のひな祭りだろうか。


 それにしても、また人形だ。しかも、厄を流すための物。やはり、人形は厄を背負う存在なのだろうか。


 しかし、ひな祭りと言えば、豪華な雛人形もあって――この文化には、いったいどんな変遷があったのだろう。その辺りのことは、梓に聞けばわかるかもしれない。


 そんなことを、私はぼんやりと考える。


「文化、か」


 背負いきれない厄を流す――それはきっと、悪いことではないのだろう。そうすることは、無事でいて欲しいという願いでもある。それでも――


 流された先で、その厄を引き受けている人はいないのだろうか。流せずに抱え込んでいる人は――いないのだろうか。


 おそらく、そんなことは考えない方が楽なのだろう。全部負わせるか。あるいは、全部引き受けるか。その方が、楽に思えることもある――かごめさんがそうだったように。


 しかし、ひとりが全部を負う必要があるだろうか。全部を引き受けさせて、いいのだろうか。


 本当は誰だって、厄を負いたくはないのだと思う。


 それでも、誰かが負わなければならないし、誰かが引き受けなければならない。そんなことだってある。だからこそ、流されるままではいけないのだろう。


 私は携帯端末を手に取ると、そこにあったメッセージにもう一度目を通してから――それを引き受けた。





 ドアベルの音と共に店に入ると、いらっしゃい、という店主の声に迎えられた。


 さまざまなアンティークの間を縫って、私は奥のカウンターへと向かう。梓はそこで、からくり仕掛けの何か――たまごのような物をためつすがめつしていた。


 ちらりと視線を向ける梓に、カウンターの前に立った私はこう告げる。


「東京に行くことにした。行く、というか、戻る、というか」


 その言葉を聞いて、梓は持っていた物をカウンターに置くと、無言で次の言葉を待った。


 私は続けてこう話す。


「以前に勤めていた会社に戻ることになって。やり残した仕事があるから。まあ、ひとり抜けてしまったこともあるし――そうでなくても辞める人がいて、おまけにバイトまでいなくなるらしくて。全然、人が足りないんだって」


 私のことをじっと見つめながら、梓はこう問いかけた。


「そうか。しかし、それは――鹿子が大変なんじゃないか?」


 私は苦笑しつつも、頷いた。


「そうね。でも、私は自分ひとりで引き受けるつもりはないし――かといって、誰かひとりに負わせるつもりもないから」


「なら、大丈夫だろう」


 彼女はすぐにそう返した。


 私はあらためてこう尋ねる。


「また、ここに来てもいい? 私はいいお客ではないかもしれないけど」


 私がこの店に持ち込んだのは、災厄の詰まった箱だった。それでも、梓がちゃんとそれに向き合ってくれたからこそ、今の私はある。


 私の言葉に、梓は呆れたように肩を竦めた。


「何を言っているんだ。いつでも遊びに来い。残念ながら、この店は大抵暇しているからな」


 私は軽く笑ったが、それでも彼女は、いつもの澄ましたような表情だ。


 それを見て、私は大きく息を吐く。


「ありがとう。それじゃあ……」


 名残惜しく思いながらも、私がそう切り出すと、梓はああと軽く応じた。それに頷いてから、私は彼女に背を向け――何度も通い、もはや見慣れた店内に目を向けながら、扉の方へと進んで行く。


 店の奥から、聞こえてくる声。


「またのご来店を」


 店主のそんな言葉を背に、私は店を出る。扉を閉めるとき、澄んだ音を立ててドアベルが鳴った。

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