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厄災流し  作者: 速水涙子


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39/45

8 刀(4/5)

 かちりと仕掛けが動く手応えがあったので、引き出しに手をかけてみると、閉じられていたそれはあっさりと開く。覗き込んだその中に入っていたのは、私の元にある物とよく似たノートの日記帳だ。


 一冊ではない。軽く見ても十冊以上はある。氷上はすぐにその中の一冊に手を伸ばすと、ものすごい早さでページを繰り始めた。


 出遅れた私は、残りの日記帳のうち、一番古そうな日記帳を手に取る。表紙を開けると、日付を確認するまでもなく、それが自分の目当ての日記帳であることを知った。


 そこに書かれていたのは、こんな文章だ。



 ――新しい生活を始めるにあたって、日記を書くことにした。

 まずは、この家に来るまでのことを書き残しておこうと思う。



 私はひとつ大きく息を吐いて、その続きを読み始めた。



 ――私は父には会ったことがない。

 物心がつく前にいなくなってしまったからだ。

 だからこれは、母から聞いた話となる。

 私が父について知っていることはそれほど多くはない。

 どうも、父はどこからか逃げて来たらしく、それを母がかくまっていたこと。

 いつも手のひらに収まるほどの瓶を持っていて、少しでもさわろうとするとひどく怒ったということ。

 父のことでよく聞かされたのは、そんなところだろうか。

 そんな父は、ある日突然姿を消してしまった。

 父が去った後、母の元に残ったのは、木で作られた真四角の箱と、これを決して開けるな、とだけ書かれた置き手紙だけ。

 父の人となりについても、私はよく知らない。

 父が消えたのは、私がまだ赤子だった頃のことだ。

 母から聞いた父の印象は、ときにやさしく、ときにおそろしく、どうもはっきりとしなかった。

 ただ、母はたまに父のことを懐かしむことがあったから、悪い人ではないのだろうと思う。

 きっと何か事情があったに違いない。



 私は思わず小さくため息をついた。


 ここにある、父とされる人物は、明らかにトウビョウを持ち出して逃げた者のことだろう。


 触れてはならない小さな瓶。一階で見たガラス瓶のことを思い出す。もしかして、トウビョウはその瓶に封じられていたのだろうか。


 それから、もうひとつ気になったのは、木で作られた真四角の箱という記述だ。これはもしかしたら秘密箱のことではないだろうか。トウビョウを追って来た鷹をこれに封じた上で、その人物は母娘と共にこれを捨て置いた――


 日記の内容から考えを巡らせつつも、私はその先を読み進めていく。



 ――母が病で亡くなってからしばらくして、突然知らない人たちが私の元にやって来た。

 いろいろ話していたが、よくわからない。

 よくわからないが、慈善事業だかで、簡単な仕事をすれば、私に住まいと給金をくれるのだと言う。

 その仕事とは、捨てられる物を拾うことらしい。

 どうにもあやしい話ではあるが、これは父の計らいではないかと思う。

 この提案をしに訪れた人が、私があの箱を持っていることを確かめたからだ。

 もしかしたら、母のことを探しているのかもしれないと思ったが、その人は箱さえ持っていれば、そこにこだわりはないようだった。

 とにかく、父が関連していることは間違いない。

 箱のことを知っているのは父以外にあり得ないのだから。

 私はいつか父に会えるのだろうか。



 かごめさんの淡い期待に反して、これを読んだ私の気持ちは沈んでいった。私はこの提案の意味を知っている。そして、それが彼女にどんな結末をもたらすかを。


 かごめさんは父親の計らいだと信じているようだが、この条件についてはおそらく、たとえ相手が実の娘ではなくてもよかったのではないかと思う。災厄を引き受けてくれさえすれば。あえてかごめさんのところへやって来たことに理由があるとすれば、秘密箱に封じた鷹の根付のことを気にしたからではないだろうか。


 しかし、そんな思惑など、このときのかごめさんは知る由もない。


 とにかく、これで謎がひとつ解けた。かごめさんが、なぜ災厄を呼ぶかもしれない物を引き受けていたのか。それは、彼女が父親との繋がりを求めていたからだ。


 そう考えた私は、その先の日記をいくつか流し読んでみた。


 何か大きなできごとが書いてあったわけではない。私がすでに読み終えた日記帳と比べても、そこに特別なことが記されているわけではなかった。


 その代わり。



 もしかしたら父が――

 父はきっとこれを――

 おそらく父なら――



 そんな風に、日記にはたまに父という言葉が記されていた。それは、私が読んだ日記の中には全く見られなかった言葉だ。


 そのことを察して、私は思う。もしかして、かごめさんは父親への思いを断ち切るために、この日記帳を仕舞い込んだのではないだろうか、と。


 きっと、ここにある日記帳の分だけ、かごめさんは期待に満ちた日々を過ごしていたのだろう。しかし、彼女はそれが叶わないことを知ってしまった。彼女にとっては、日記帳を目にすることすら、つらかったのかもしれない――


 私が大きく息をつきながら、日記帳から顔を上げたとき、珍しく顔をしかめた氷上と目が合った。かと思うと突然、彼は深々と頭を下げる。


「申し訳ありません」


 私はぎょっとして、ただ目をしばたたかせた。


「どうしたの。突然」


 氷上は無言で日記帳を差し出した。私はそれを受け取って、そこにあった文章を読む。



 ――フクチさんが亡くなったのは、私のせいだ。



 その一文を見て、私は大きく目を見開いた。



 ――フクチさんが亡くなったのは、私のせいだ。

 彼に父のことを話さなければよかった。

 いや、そもそも親しくなどしなければよかったのだ。

 そうすれば、こんなことにはならなかったのに。



 これは――どういうことだろう。


 私は逸る気持ちを抑えながら、先を読み進めた。父が死んだのは、やはり怪異のせいなのか。それとも。



 ――私のことを見張っているらしい男を捕まえた。

 いろいろ聞き出したかったが、どうも取り乱しているようで、話にならなかった。

 しかし、その男は、フクチさんが余計なことをするから、こんなことになったのだと言っていた。

 私と父を会わせようとしたからだ、と。

 父のことを話したとき、フクチさんは言っていた。

 親の業を子に背負わせるものではない、と。

 きっと、フクチさんは父のことを調べたのだ。

 しかし、そんなことをしてはいけなかった。

 私も、とうに諦めていたことなのに。

 こんなことになってしまうなんて。

 私なんかに関わったばかりに。

 彼にはこの先、娘さんに会える未来が、きっとあった。

 そんな未来を閉ざしてしまった。

 娘さんに、何てお詫びすればいいのだろう。

 こんなことになるくらいなら、私はもう、誰とも関わるまい。

 このまま、私はここでひとり



 文章はそこで終わっていた。


 書けなかったのか、書かなかったのか。


 しかし、これではっきりした。かごめさんは、父親との繋がりを断っただけではない。全ての人との繋がりを諦めてしまったのだ。ここに日記帳を仕舞い込んだのは、その証。


 このできごと以降、彼女はずっとひとりだったのだろうか。誰も側にいてくれる人はいなかったのか。


 やえさんは――とも思ったが、この協力者はもしかしたら、かごめさんの父親が亡くなった時点で、彼女の側からはいなくなっているかもしれない。トウビョウを持ち出した者が、自分の死に際してどのような後始末を行ったのか――あるいは、行わなかったのか。それもわかっていなかった。


 だとすればやはり、かごめさんはたったひとりで死んでいったのだろうか。誰とも関わることなく。全てをひとりで抱え込んで。


 もっと早く、会いに行けばよかった。取材でも何でもいい。私は彼女に会うべきだった――


 知らず流れた涙に気づいたと同時に、不意に氷上がこう言った。


「すみませんでした。ここに書かれている方は、あなたのお父さまではないですか」


 私が無言で頷くと、氷上は静かに泣いている私の顔から、そっと目を逸らした。


 氷上の父親はかごめさんを監視していたと言う。かごめさんもそのことには気づいていたようだが――それが本当だとすれば、ここに書かれている、見張っているらしい男、というのが氷上の父親なのだろう。そして、これを読む限り、この男も私の父のことを知っていたらしい。それでも――


 私は首を横に振った。


「あなたのお父さんが、何をしたのかは、わからないでしょう」


「何らかの関わりがあったこのは、明白ですよ」


 そうだろうか。そうかもしれない。


 しかし、私はもはや、父の死について誰を責める気もなくなっていた。ましてや、かごめさんのせいではない。だからこそ、このことに怒りも憎しみも感じなかった。


 ただ、その責をひとり負ってしまったかごめさんにだけは、深い悲しみを抱く。


 氷上は私に背を向けると、こう言った。


「ただ、知ることができて、よかったと思います。何も知らずにいるよりは」


 負わなくてもいいものを、この人も負わずにはいられないのだろうか。彼の言葉を聞いて、私はそんなことを思う。


 流れる涙を拭うため、軽く俯いた――そのとき。


 和箪笥の奥――物影に隠れた狭い隙間に、小さな書きもの机があることに気づく。その上には、まだ新しいノートが――日記帳が置かれていた。これは、もしかして――


 私はどきりとしながらも、引き寄せられるようにそれを手に取った。ぱらぱらとめくってみると、ほとんどが白紙だったが、数ページだけ書き込まれていることがわかる。


 私はその記述を読んだ。



 ――壁の中を這う音がする。

 もう時間がない。

 人の身で全ての厄を背負おうなどと、なんて愚かなのだと、やえさんには言われました。

 それでも私は、誰かが悲しむくらいなら、私が引き受けた方がいいと思うのです。

 私はあれを封じようと思います。

 うまくいくかはわかりません。

 できることなら、これで終わりとなってくれることを願います。

 もしもこれが失敗して、この後の日記が書かれずに、この文章を読んでいる人がいるのなら、どうか気をつけて。

 目には見えない蛇の化けものに。



 ふと、氷上の言葉を思い出す。


 壁と壁の隙間だかで亡くなっていたそうです――


 一階にあった儀式のような痕跡は、やはりトウビョウを封じるためのものだったようだ。これを読む限り、このことにはやえさんも協力してくれたのだろう。しかし。


 かごめさんは亡くなった。トウビョウの封じ込めに、失敗したのだろうか。だから、彼女は――


 そのとき、がたん、と大きな音が鳴り、地震のように家が揺れたかと思うと、突然――視界が暗転した。

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