8 刀(3/5)
そこにあった光景は、単に刀がある、だけのものではなかった。
仏間には、確かに伊吹の気にしているだろう刀が、鞘に収まった状態で台の上に置かれている。問題はその周囲だ。
真っ先に目を引いたのは、無数に散らばっている和紙だった。墨で文章がびっしりと書かれたそれらが、ばらまかれたように広がっている。よく見ると、埋もれるようにしてからからに乾いた硯と筆があり、近くには、束になった無地の和紙も添えられていた。
仏壇の前には祭壇のようなもの据えられていて、そこには何かの像が置かれている。それに向き合うように座布団が敷かれ、その中間にはガラス瓶と麻糸と、奇妙な形の紙切れが、きちんと一列に並べられていた。お供えのように小皿に盛られている物は――豆、だろうか。
物にあふれた部屋も異常ではあるが、仏間のこの様子は、輪をかけて異様であるように思われた。どこか儀式めいた感じがすることもそうだが、何よりこの現状が――誰かがいたときのまま、あたかも時が止まってしまったかのように見えたからだ。
茶の間にあった道具はきちんと仕舞われていた。だから、かごめさんは決して片づけを怠るような人ではないだろう。仏間の惨状は、明らかに何かしらの異変が起こったことを物語っている。
壁と壁の隙間だかで亡くなっていた――だったか。しかし、この現状を見る限り、彼女は死の間際まで、この場所にいたのではないだろうか。だとすれば、ここではいったい、何が行われていたのだろう。
「すみません。つい気になって――」
伊吹はそう言って、申し訳なさそうに振り返った。伊吹と違って氷上の方は特に悪びれる様子もない――が、単に顔に出ないだけかもしれない。
それにしても、真っ先に刀に反応した伊吹は、これらを何とも思わなかったのだろうか。私は二人ほど冷静にはなれず、戸惑いのあまり、こう呟いた。
「これは――?」
「紙製の人形に入れ物に――それから、この祈祷文……もしかしたら、封じようとしたのではないかと」
伊吹はあらためて仏間を見やりながら、こう続ける。
「ただ、刀だけちょっと奇妙な感じなんですよね。何だろう……うまく言えないんですけど。何か意味があって、ここにあるんだとは思いますが」
私の目には、刀も含めて全てが異様に思えるのだが、伊吹からすると、刀だけが突出して気になるものらしい。よくわからない感覚だ。
言葉を失った私の代わりに、それを尋ねたのは氷上だった。
「こういったことに刀を使うのは、珍しいんですか?」
彼はこの会話にも全く動じていない――というより、早くもこの場になじんでしまっている。
うーんと唸りながらも、伊吹はこう答えた。
「いいえ。むしろ魔を祓う物ですから。でも、何か違和感があるんですよね。なぜだろう。そもそも、うちでは使わないからな……昔の話ならわかりませんけど、現代ではいろいろと扱いが難しくて」
伊吹はそこでなぜか、はっとして私たちの方を見ると、照れ隠しのように軽く笑った。
「まあ、うちは少し変わってますからね。そこまで詳しくはないんです。他の系統から取り入れてる部分も、あるにはあるんですが……適当なことを言ったら、叱られますね」
ここまで語っておいて、詳しくないも何もないと思うが。氷上は首を傾げながら、こう問いかけた。
「変わってる……神道や仏教ではない? 陰陽道とか修験道とかでしょうか。あるいは密教?」
伊吹は大きく首を横に振った。
「もっと特殊で。元は隼人の」
そのとき、不意に大きく、みし、と家が軋むような音がした。家鳴りだろうか。私たちは思わず口を噤む。
それ以上は何も起こらないことを確認すると、伊吹は室内を見回しながら、声を潜めてこう告げた。
「気配を察して隠れてはいますけど。いますよ」
隠れている――おそらく、例のトウビョウのことだろう。
私は大きく息を吐き出した。それを見て、伊吹が気づかわしげに声をかける。
「あの――」
そう呼びかけられて、私は伊吹を見返した。彼は心配そうな表情を浮かべている。
「一宮さん。気をつけてくださいね。もしも、そのトウビョウが――例えば誰かの姿を借りていたとしても、それはもう、そのものではありませんから。それだけは、どうか忘れずに」
どういう意味だろう。よくわからないが、ひとまず心にとめておく。
とはいえ、私の目的はあくまでも日記帳だ。儀式の痕跡を横目に見ながら、私は――できることならその恐ろしい蛇とは会うことのないよう、そして目的の物を見つけることができるように――ただ祈っていた。
伊吹が一階の方をもう少し見て回りたいと言うので、私たちは別れて行動することになった。氷上は鍵が使えるところに心当たりがあるらしく、共に二階へと向かう。
その途中、私はどうしても気になって、先行く氷上にこう尋ねた。
「その――あなたがこの家で探している物が何か、聞いても?」
答えを渋るようであればすぐに引き下がるつもりだったが、ちらりと振り返った氷上の表情は変わらない。いや、いつ見ても変わらない気がするが――ともかく、彼は平然とした顔でこう口にする。
「私の父はクズなんです」
何かの聞き間違いかと思ったので、私は思わず、それを聞き返してしまう。
「く、くず?」
「そうです。クズです」
と氷上はくり返した。
真顔で言うから、何ごとかと思ったが――どうやら冗談ではないらしい。彼はさらに、こう続ける。
「私の父はクズなんですよ。ろくに働きもせず、酒に溺れる、ギャンブルはする、家のことは何もしない。とにかくクズなんです。もう死にましたが。それで――」
そんな風に、氷上は自分の父親の死をさらりと流した。
「父の死は突然のことだったので、アレが残したものは私が整理することになりました。その中で、私はあることを知ってしまったんです」
「な、何を?」
私は恐る恐るそう尋ねた。氷上は淡々と続ける。
「出所のわからない大金を、父が受け取っていたことです。正直言って、大して仕事もしていないのに、どこから金を得ていたのか、長年の疑問だったんですが――親子と言えど、面と向かって問い質すような間柄でもなかったので」
氷上はそこで大きくため息をつく。
「それで、いろいろと調べていくうちに、この家に辿り着きました。どうも私の父は、この家を監視して、金を得ていたようなんです」
その言葉に、私は、はっとした。監視――それを聞いた途端、例の西洋人形のことが思い出される。
とはいえ、すぐに結びつけるのは短絡的だろう。私は黙って、話の続きに耳を傾けた。
「まあ――どういう約束でそうなったかまでは、まだわかっていませんが、私にはそれが真っ当なことをして得た金には思われません。書類のたぐいは全て処分するように――と指示された文章まで残っていましたから。父はおそらく――単にそれを怠ったのでしょう。一時期を境に、妙に無気力になっていたので。そうでなくとも、自分が死ぬとは思っていないようでしたから。とにかく――」
彼はそこで階段を上りきると、私を近くの部屋へと促した。
「私は、父が何をしていたのかを知りたいんです。そういうことをうやむやにしておけない質なんですよ。お陰で、こんな職に就くまでになりました」
氷上は戸口の側に立って、私がその部屋へ足を踏み入れるのをじっと待っている。しかし、中へ進むその前に、私は氷上と向かい合うと、思い切ってこう言った。
「私は――」
軽く首を傾げる氷上に、私は苦笑いを浮かべる。
「私も父の影を追って、ここまで来たの。父はかごめさん――この家に住んでいた人と交流があって。父が死んだときのこと、かごめさんが知っていたかもしれないから」
相手の事情を聞いたからには、こちらも伝えないことには不公平だろう。
そんな私の心情が伝わったからか、氷上はただ無言で頷いた。それを確かめてから、私は彼の示すその部屋へと向かう。
そこは三畳ほどの小さな部屋だった。畳敷きだが、書斎のようなものだろうか。室内は、当然のように物であふれている。
それらの中でも、この部屋のほとんどを占め、特に目立っていたのは大きな和箪笥だった。
ひと目見て、私はすぐにそれを理解する。氷上がなぜ私をここまで連れて来たのかを。初めてこの部屋に訪れたなら、真っ先に目を引くだろうその箪笥の引き出しには、確かに鍵穴があったからだ。
私は例の鍵を取り出すと、その箪笥へと近づいた。鍵を差し込んでみると、それはその穴にぴたりと嵌まる。
私はゆっくりと鍵を回していった。




