8 刀(2/5)
振り向いた男が真っ先に目をとめたのは、延坂ではなく私の方だった。
「あなたは」
そう呟いてから、彼はすぐに、延坂の方へと向き直る。
「何でしょうか」
「あの家に何か用ですかね? ここで何されてるんです?」
延坂は矢継ぎ早にそう問いかけた。何を考えているのだろう。私は呆気にとられて、ただ言葉を失っていた。
しかし、男の方はすぐにこう問い返す。
「なぜそんなことを?」
その声は疑わしげではあったが、彼の表情は一切変わらなかった。そういえば、以前会ったときにも、ずっと無表情だったことを思い出す。
しかし、延坂はそれに気圧されることもなく、あっさりとこう答えた。
「ちょっと気になっただけです。あやしいと思うでしょうけど、それはお互い様ということで。俺たちも、あの家に用がありまして。別に盗みに入ろうってわけじゃありませんよ」
あまりに正直な物言いに、私はぎょっとする。
しかし、それでも相手の男は表情を変えなかった。しかも、思いがけずこんなことを言い出す。
「やめた方がいいですよ」
「え?」
思わずそう声を上げると、男は私の方へと視線を向けた。そして、こう続ける。
「入るのは、やめた方がいいです。あの家、噂のせいか、あの様子だからか、おもしろがった人が勝手に入り込んだり、物を持ち出したりで問題になってるんです。だから、見回りを強化しているんですよ。不用意に近づけば、すぐに警察を呼ばれます」
千鳥みたいなことをする人間が、他にもいたのか。話を聞いて真っ先に思ったのは、そんなことだった。
延坂も意外そうにこう返す。
「ずいぶんとお詳しいですね」
「私も、あの家に用があるので」
男はかごめさんの家の方を見やりながら、そう答えた。延坂はすかさず問いかける。
「なぜです?」
男はそこで黙り込むと、私たちひとりひとりに目を向けた。さすがに警戒したのかもしれない。
しかし、そう思って身構えていると、男はどこからともなく小さな紙片を取り出した。そして、私の方へと差し出す。
それは名刺だった。そこには記されているのは、おそらく彼の名だろう。そして――
「私は探偵をしています。氷上曜と申します」
確かにその名刺には探偵事務所の名と、その連絡先が記載されていた。
延坂はそれを覗き込んで、おお、と声を上げる。
「探偵というと……犯人はお前だ、の」
「何でフィクションの方なんです。もっと、現実的な方ですよ」
氷上は冷静にそう返した。次に尋ねたのは伊吹だ。
「じゃあ、これはお仕事ってことですか?」
伊吹はさっきまで私の後ろの方にいたのに、探偵がよほど珍しかったのか、前に出て来てまで、差し出された名刺をまじまじと見ている。
伊吹の問いに、氷上ははっきりと首を横に振った。
「いいえ。個人的なことです。でなければ、こんな危ない橋は渡りませんよ」
危ない橋。かごめさんの家を監視していることを言っているのだろうか。私の疑問を見透かしたのか、氷上は続けてこう話す。
「実は私も一度だけ、あの家に侵入したことがありまして。どうしても知りたいことがあったので――何も持ち出してはいませんよ、一応。ただ、見当ての物は見つけられなかった。それでも、残る手がかりはあの家だけなんです。で――」
氷上は淡々とそう話すと、私たちのことをあらためて順に見ていった。
「あなたたちは?」
相手は名前と職業を明かしている。その上で尋ねるからには、相応の答えを期待しているのだろう。かごめさんの家を見ていたことについても、単に好奇心というわけではなさそうだ。
他の二人の表情をうかがってから、私は意を決してこう名乗った。
「私は一宮鹿子。私は――私も、あの家で知りたいことがあって。死んだ父の知り合いだったの。この家の人。だから」
私が言い終えると、伊吹がそれに続く。
「僕は隼瀬伊吹です。ええと……あの家の憑きものを調べに」
最後に、延坂がこう言った。
「延坂空木。俺は部外者ですけど。まあ、協力者ってことで」
聞いていて、何てまとまりのない集まりだ、と自分でも呆れてくる。しかし、相手は怪訝な顔をするでもなく、納得したように頷いた。
「なるほど。しかし、どうでしょうね。その――憑きものとやらはわかりませんが、行っても何もないと思いますが」
「鍵があるの」
私はそう言って、壷の中から見つけた古びた鍵を取り出して見せた。あらためて手にすると、単純な形だが、材質のせいかずしりと重い。
「まあ、どこの鍵かはわからないけど」
私がそう言い添えると、氷上はしばらく黙り込んだ。ポーカーフェイスのせいで、何を考えているのか全くわからないが――それでも、彼の中ではそのうち、何やら決心がついたらしい。氷上は私の顔を見て、こう言った。
「見回りの時間はある程度決まってるんです。それと、あの家には一か所だけ、鍵が壊れている窓があって、そこから入れます。それをお教えしましょう。その代わり、私もついて行ってもいいでしょうか」
私は伊吹と顔を見合わせた。
思いがけない提案だ。しかし、彼は一度あの家に侵入したことがあると言う。ならば、案内役としては、悪くないかもしれない。
問題は目的だが――
盗みに入るわけではないようだし、話を聞く限りでは、私の目的とも似ていた。同行を申し出たのも、私が鍵を持っていたからだろう。さて、この人物を信用してもよいものだろうか。
とはいえ、私はそのときすでに、彼の執念をどこか他人ごとのように思えなくなっていた。別に遺品を取り合うわけではないし、目的がかち合うということもないだろう。そう考えた末に、私は頷く。
「わかった。でも、約束して。あの場所は危険かもしれないの。だから、いざと言うときは、伊吹の指示に従って」
氷上はちらりと伊吹に視線をやってから、わかりましたと承諾する。そして、今度は延坂の方へと視線を移した。
「それでは……協力者のあなたには、外で見張りを頼めないでしょうか」
会ってそうそう、そんなことを提案するのも驚くが、言っていることはもっともだ。私は同意した。
「そうね。その方がいいかも。見回りらしき人を見かけたら、電話してちょうだい」
急な展開に延坂は虚をつかれたような顔をしたが、すぐに思い直したのか、こう答える。
「了解しましたよ。一緒に不法侵入するよりかは、マシでしょうし。気をつけて、行って来てください」
そうして、新たな同行者を加えた私たちは、延坂だけを見張りに残して、かごめさんの家へと向かうことになった。
その家には確かにひとつだけ、何をしなくともすんなりと開く窓があった。
おもしろがって侵入したという者たちもこの経路を通ったのか、周囲には踏み荒らされたような跡が残っている。見回りをしている人たちは、この場所のことを知らないのだろうか。何の対策もされていないのは不思議だが、ともかく私たちにとっては好都合だった。
氷上の指示に従い、私たちは人目が避けられる時間を狙って、かごめさんの家へと侵入する。申し訳ないと思いつつも土足で上がり込みながら、入ってすぐ、私は室内へと視線を巡らせた。
茶の間だろうか。外にたくさんの物があふれているのと同じように、家の中もまた、あらゆる物で満ちている。生活に必要な空間を除いて、全ての場所に何かしらの物が置かれているような状態だった。いくつかの物が持ち出されたのかもしれないが、確かにこれだけあれば、ひとつやふたつ無くなったところでわかりはしないだろう。
侵入者がいて問題になっているということだったが、思ったよりも部屋は荒らされていない。ゴミなども落ちていないし、それほど汚されてもいないようだ。かすかに異臭が漂っている気はするが。
そのときふと――私は部屋の隅にガラスの破片らしき物が散らばっているのを見つけた。室内は思ったよりも整然としていたので、そこだけが異様に思える。そのせいで自然と目を引いたようだ。
ガラスの破片は、何かのケースが落ちて割れた物らしい。四方と上部をガラスの面で、辺の部分を木枠で囲われたケースで、ひと抱えするほどの大きさの中に入っていたのは――日本人形のようだった。
よく見ると、その人形は片手に何かを持っている。それは兜のようだったが――まさか五月人形ではないだろう。人形自体はどう見ても、あでやかな着物をまとった女性の人形だった。
それにしても、どうしてこれだけが壊れているのだろう。誰かがうっかり落としたのだろうか。近くの箪笥の上には、確かにこのケースが置けるだけのスペースが空いている。
何となく、誰かが悪意を持って――あるいはおもしろがって、かもしれないが――執拗にこれを破壊したかのような印象を受けた。ケースが横たわっているせいで、人形の顔は床を向いてしまっている。そのことがなおさら、この人形自身がその身を嘆いているかのようにも見えた。
同じように壊れたケースの存在に気づいたのか、伊吹がぽつりとこう呟く。
「人形は人の災厄を引き受ける物ですからね」
氷上はというと、始めから見るべきものはないと判断していたのか、早々にこの部屋からは出て行ったらしい。
茶の間から去り難い気がして、私はもう一度だけ周囲を見回した。かごめさんが日常を過ごしていた場所。物に囲まれた部屋の中で、ぽっかりと空いたその中心にはちゃぶ台があって、急須や湯のみなどの生活の品がきちんと仕舞われている。よく見ると、かごめさんが愛用していたのかもしれない裁縫箱もあった。
しかし、ざっと見る限り、鍵が使えそうなところは見当たらない。そのことを確認してから、私は氷上の後を追ったらしい伊吹に続いて行く。
どこもかしこも物だらけで、室内は人ひとり通れるほどの余裕しかない。周囲の物にうっかりぶつからないよう慎重に進んでいると、先行く伊吹がこう呟いた。
「あ。刀がある」
そんな呟きと共に、彼が引き寄せられて行ったのは仏間だった。そこには氷上もいて、気になることでもあるのか、何をするでもなく立ち止まっている。
刀に釘づけになっているらしい伊吹を横目で見ながら、氷上はこう言った。
「こういった物って、それなりの値になるんじゃないですか。盗られずに残ってたんですね」
伊吹はそうですねと相槌を打っている。
「所持するのに登録証が要りますから。高くても、そう簡単には売れはしないかと。それに、こんなの持ってその辺りを歩いてたら、それだけで捕まっちゃいますよ」
氷上はなるほどと頷いている。
二人は仏間には入らずに、その手前に立って中を覗き込んでいた。刀がある――ということだが、二人にさえぎられていて、私からはよく見えない。とはいえ。
「ちょっと。ふたりとも何の話をしてるの」
話を聞く限り、どうも関係のないことに気を取られているようだ。刀ひとつで話が弾む二人に呆れながらも、私は彼らの後ろ姿越しに仏間を透かし見る。しかし――




