8 刀(1/5)
ドアベルの音と共にあかとき堂の扉を潜ると、珍しく梓に迎えられた。
「行くのか」
顔を合わせてすぐに投げかけられた問いに、私は素直に頷く。
明日になれば、かごめさんの家に向かう予定だった。託された鷹の根付と、壷の底に隠されていた鍵と、それから――それらを手にして、今度は家の中まで侵入するつもりだ。大まかな計画については、すでに伊吹との打ち合わせを終えている。
出発の前に、一度はここに来ておこうと思っていた。何をするわけでもないが――それでも、私にあの場所へ向かうことを決意させたのは、この店――いや、店の主である梓との出会いがあったからだろう。だからこそ、事前に会っておきたかった。
これからのことについて話をしたのは、梓を除けば母くらいのものだ。
火事の後、ひとまず母の住まいに身を寄せていることもあって、私は今までのことも含めて、いろいろなことを打ち明けていた。もちろん、父について知ったことも。
かごめさんの家に行って、どうなるのかはわからない。危険なのかもしれなかった。伊吹は心配ないと言うが、万が一ということもなくはないだろう。
そんな思いを知ってか知らずか、梓は私を店の奥へと――いつものカウンターの前へと促すと、そこで熱い紅茶を淹れてくれた。その香りが店内に広がっていく中で、私はいつも通り、売り物の椅子に腰かける。
並べたティーカップを前にして、梓は不意にこう言った。
「私の方は、祖母に釘を刺されてしまったよ」
「釘?」
私が首を傾げると、梓は苦笑する。
「隼瀬家から連絡があったらしい。妙なことに首を突っ込むな、だと」
「でも、梓は怪異とは無縁なんでしょう?」
私はそう問い返しながら、梓の差し出すティーカップを受け取った。彼女は不服そうに、軽く肩を竦めている。
「だからこそ、だ。いつか足をすくわれるぞ、と脅されている。それがどこまで有効なのか、私にもわからないからな」
今回の訪問に、彼女は同行しない。
梓からそう告げられたとき、正直言って、私はそのことを意外に思った。怪異が潜み、物にあふれた家。何となく、意気揚々とついて来そうな気がしていたからだ。とはいえ――
実際のところ、全てのきっかけは、私がかごめさんのことに興味を持ったからで、梓は単に巻き込まれただけにすぎない。今回のことに、彼女は無関係だ。だから、梓がその選択をしたとしても、おかしくはないだろう。これはあくまでも私の問題なのだから。
そのときふと、見覚えのある人形が目にとまる。私がこの店に持ち込んだ、盗聴器が仕込まれていたという西洋人形だ。
盗聴器は破棄されたが、人形は埃もなくきれいな姿で座っていた。ただ、売るつもりはないのか、カウンターの奥まったところに置かれている。
かつては、この存在を心底恐れていたこともあった。しかし、今にして思えば、この人形自体は人の思惑に利用されただけで、怖がるようなことは何ひとつしていない。そう考えると、少しかわいそうにも思えてくる。
紅茶を口にしてから、梓はこう続けた。
「まあ、伊吹がついているなら、心配はないだろう。あいつなら、大抵のことは対処できる。私は――残念だが、行かない方がいい」
自身の体質のせいだろうか。梓のそれが周囲にどれほどの影響を及ぼすものなのか、私にはよくわからない。同行しないことを選んだのは、彼女なりに私のことを気づかった結果なのかもしれなかった。
彼女の言葉に、私はただ頷く。
その後に梓と話したのは、他愛もないことばかりだ。やがて、暇を告げる時間になると、このときは珍しく、扉の前に来てまで、梓は私のことを見送ってくれた。
「無事に帰って来い」
それが、店を去るときに梓が私にかけた言葉だ。不器用な見送りの言葉に、私はただ笑い返す。
そうして夕日に照らされながら、私は真っ直ぐに母の住まいへと帰った。
出発は明日の朝。私はもう一度、かごめさんの家に向かう。私が知りたいと願った――その思いから始まった、この物語の結末を見届けるために。
「で? 俺は何で呼び出されたんですかね」
かごめさんの家の近く。その場にいたのは、私と伊吹と――そして、延坂空木の三人だった。
延坂は、例のダンボール箱を拾ったときに相談していた寺の息子だ。今回のことも、できれば手伝ってもらおうと思って声をかけていた。
何だかんだ言ってこの場に現れた彼に向かって、私はこう声をかける。
「送ってもらったリスト、役に立った。感謝してる。まあ、紆余曲折はあったけど、梓と知り合うことができたわけだし」
その言葉に延坂は、はあそうですか、と気のない返事をする。相変わらずな彼の反応に、私は苦笑した。
「で、今回のことなんだけど。軽く話したとおり、ちょっと空き家に侵入しないといけなくなって。そういう経験ありそうだから、できれば手伝って欲しいんだけど」
「一宮さんは、俺のこと何だと思ってるんです?」
うろんな目を向けてくる延坂に、私はこう答えた。
「オカルト系の記事の取材で、廃墟に無断で入ったかして、警察に注意受けてたじゃない」
延坂は途端に顔をしかめた。
「古傷を抉るのやめてもらえませんかね。あれ、押しつけられただけなのに、結局仕事に関係なく俺の勝手な暴走ってことになったんですから」
彼もいろいろと苦労しているらしい。しかし、そうやって不満を言いつつも、何だかんだ律儀に対応するのだから、便利に使われているだけな気もする。
延坂は大げさにため息をついた。
「まあ、一宮さんがそんなこと言い出すからには、それなりに理由があるんでしょうけど……」
延坂はそう言ってかごめさんの家に目を向けると、周辺を見渡した。かと思えば、唐突にこんなことを尋ねてくる。
「ところで、こっちに来るってこと、岩槻さんには連絡したんですか?」
「どうして岩槻くんに連絡しなくちゃいけないの」
そう答えると、延坂は戸惑ったような表情で私の方を振り返った。
「いや、どうしてって」
延坂はそこまで口にしておいて、何か言いたげな視線だけを寄越してから押し黙った。私が怪訝な顔をしていると、肩を竦めながらこう続ける。
「俺はこれ以上、何も言いませんよ。野暮ですから。それで? 今から侵入するんですか? あの家に?」
延坂はあっさりとそう切り替えた。しかし、そんなことを言われてしまうと、どうにも気になってしまう。全てが終わった後にでも連絡くらいはしておこうか、と私は密かに考えていた。
とにかく、今はかごめさんの家だ。
「やっぱり、夜とかの方がいい?」
私がそう尋ねると、延坂は首を横に振った。
「夜なんかに行ったりしたら、下手に明かりもつけられないですよ。密集した住宅街ですし、ちょっとした音なんかも案外響くでしょうね。こういう家は関係者の振りをして、しれっと正面から入るのが一番いい気がしますけど」
何だか、もっともらしいことを言っている。やはり、ずいぶんと手慣れているらしい。とはいえ、彼の言うとおりに玄関から入ろうにも、私たちはあの家の鍵を持っていなかった。壷の中にあったそれは、おそらく違うだろう。
ただ、千鳥は確かにこの家に侵入して、いろいろと持ち出すことができたわけなのだから、どこかに出入りできる場所があるはずだ。その辺りは、実際に行ってみないことにはわからないかもしれない。
そのときふと、見覚えのある人影が目に入る。そこにいたのは、隼瀬家に行く前にここへ来たときにも、同じ場所に立ってかごめさんの家をじっと見ていた――あの男だ。
「あの人……」
私が思わず呟くと、伊吹がこう問いかけた。
「お知り合いですか?」
私は首を横に振る。
「以前も、ここで会ったことがあって。あのときも、あんな風にかごめさんの家を見てた……」
延坂はその言葉にふうんと呟くと、唐突に男の方へと歩き出した。
「え。ちょっと」
と止める間もなく、延坂は男に近づいて行く。私たちも慌ててそれを追いかけた。
男の背後に立った延坂は、何のためらいもなく、こう声をかける。
「どうも。少しいいですかね?」




