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厄災流し  作者: 速水涙子


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33/45

7 根付(3/5)

「違います。あれは()()


 ()()


 何だろう。聞いたこともない。私は思わず、彼女の方を見た。


 そのとき、彼女の足元に何かがすり寄っていることに気づく。ネズミだろうか。しかし、それよりは大きくて丸っこい。


 私の視線に気づいて、彼女はこう言った。


「いいえ。ネズミじゃありませんよ。この子はイズナ」


「い、いずな……」


 私が呆気にとられているうちにも、そのイズナとやらは、彼女の元に何匹か集まって来ていた。それにしても――


 いいえ、と彼女は否定した。私は今、自分でも気づかないうちに何かを言っただろうか。覚えがない。


 困惑していた私の目の前を、黒い猫が横切っていく。しっぽが二本あるように見えたのだが――まさか、気のせいだろう。影でも見間違えたか。


「どうしたの。くろがね


 黒猫に気づいた彼女が――おそらくは――その猫の名を呼んだ。猫はこちらへ振り向くと、にやあ、とは鳴かずに――私のことを一瞥してから、ふんと一笑して去って行った。




「何を呆けた顔をしているんだ。鹿子。君も車に酔ったんじゃないか」


 恐ろしく広い座敷に通されて、ひとり待たされていた私の元へ、伊吹に連れられた梓がようやく姿を現した。しかも、私の顔を見て、彼女が発した第一声がそれだ。


 いろいろなことが起こりすぎて、確かにそれをうまく処理できないでいた。何もわからないままに、とにかく聞いたことを話してみる。


「いや。よくわからないんだけど。()()だとか、いずなだとか」


黒眚しいにイズナ? 何。そんなものがいたのか。見たい」


 ――見たいって。


 無邪気な子どものようなことを言って引き返しかけた梓を、伊吹が押し止める。


「ダメですよ。梓さん」


「なぜだ」


 その言葉に、伊吹は呆れたように肩を落とした。


「なぜって……ご自身の体質をご存知でしょう。うっかり囲いが解けたら困るので。あまり動き回らないでください」


 それを聞いた梓は、あからさまに口を尖らせている。


 梓の体質――強すぎて怪異は近寄れない、だったか。そういえば彼女は以前、霊能者には嫌われている、とか言っていた。あれはこういうことを指していたのだろうか。ひとり門前に待たされていたのも、梓の来訪のために何か対策をされていたのかもしれない。


 伊吹はどうにかして梓を宥めると、私の隣に座らせた。彼自身は控えるように部屋の隅に陣取っている。


 そこからは、それほど待たされることもなかった。廊下の方で人の気配がしたかと思うと、それに気づいた伊吹が襖を開ける。


 座敷に入って来たのは、齢九十か、もしかしたら百を超しているかもしれない老婆だ。足が悪いのか、中年の女性に介助されている。そのゆっくりとした歩みに合わせて中年の男性が後ろに続き、その次に先ほど私が玄関で見かけた女性が、お茶を乗せた盆を持って現れた。


 曾祖母と両親です、と伊吹が――おそらく私に向かって――こそっとささやく。


 老婆は用意されていた座椅子に腰を下ろすと、梓の方をじっと見つめた。


 真っ先に、お元気そうで何よりです、と声をかけたのは梓だ。その言葉に、老婆は静かに笑みを浮かべている。梓は伊吹の両親とも見知った仲なのか、親しげに言葉を交わしていた。


 梓の方から私のことを紹介してもらい、隼瀬家の人々――伊吹の曾祖母と両親がそれぞれ名乗る。お茶を持って入った女性だけは、給仕が済むと早々に部屋を出て行った。


「さて、何からお話しをしたらよいのか――」


 ひと通りのやりとりが終わったところで、おもむろに口を開いたのは、中心に座っている老婆だった。


 思いのほかしっかりとした声で、彼女はそう言った。


「すまないが、鹿子はこの家のことをよく知らない。できれば簡単に話してはもらえないだろうか」


 梓の言葉に、伊吹の父親が頷いた。


「そうですね。では、私から」


 彼はそう言って、私の方へと向き直る。


「我々は、古代より呪術を用いていた者たちの末裔です。獣に親しみ、飼い慣らす術に長じており、それを今日まで受け継いできました。現在は、巷で幻想とされている生きものを確保し管理することを生業としています」


「幻想の生きもの」


 私はひとまず、そう呟いた。他にも引っかかることはあったが、つい先ほど見たことがない生きものを目にしたばかりだったので、まずはそのことが気になったからだ。聞いた話については、正直言って、はいそうですか、と単純に受け入れられるようなものではない。


 私のひとことに、伊吹の父親は頷いた。


「ええ。一宮さんは、黒眚をご覧になったとか」


 私が頷き返すと、彼はさらにこう続ける。


「黒眚は江戸時代に編纂された百科事典『和漢三才図絵わかんさんさいずえ』にも記されています。元は中国で確認された獣で、日本では元禄十四年に大和国に出現した獣がこれだと。姿は狸か犬に似て、風のように素早く、人を襲う獣だとあります」


「それを、こちらで保護されている、と」


 私がそう言うと、彼は深々と頷いた。


「そうです。黒眚に限らず、特別な知識がない者には対処が難しい――そんな生きものを対象にしています。基本的に慣らすことができるものはそうしていますが、難しいものは封じる場合もありますね。黒眚については、ご心配なく。周辺の山を守ってくれる、いい子たちですよ」


「ええ。本当に」


 夫人が朗らかに笑いながら同意した。


 ――いい子たち?


 いろいろと気になる発言なのだが、どこから突っ込めばいいのかわからない。


 何にせよ、どうやらその幻想の生きものとやらについては、見た目ほど恐ろしいものではないらしい。あるいは、彼らが慣れているだけかもしれないが。


 そもそも彼らはなぜ、そんな生きものたちを捕まえて世話しようなどと思ったのか――ただ、少なくともこれについては、彼らにとって苦になるようなことではない――いや、むしろ喜んで引き受けている――ようだ。そんな印象を受ける。残念ながら、私はあの不気味な獣たちと親しもうとは思えなかったが。


「それで、根付のことだが」

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