7 根付(2/5)
「それで? どうだったんだ? その――骨董屋敷の方は」
車窓から外の景色を眺めながら、梓は不意にそう尋ねた。
走行する車の中。運転しているのは伊吹で、私と梓は並んで後部座席にいた。
事の起こりは伊吹からの連絡だ。何でも、鷹の根付についてわかったことがあるから、できれば実家まで来てもらえないか、とのこと。
梓を通じてそれを知らされた私は、特に迷うこともなくその申し出を受け入れた。わざわざ彼の家に行くことを訝しく思わないでもなかったが、あの動く根付については、私も詳しく知りたいと思っていたところだ――となれば、私にそれを断る理由はない。
ともあれ、そういった経緯で私は梓と共に伊吹の生家へと向かっていた。
彼の郷里は群馬だ。まずは新幹線で東京に行くことになったので、私はついでにかごめさんの家を見て来ることを決めた。そのため、私は一足先に家を出て、出先で一泊した上で、梓と合流している。
最寄りの駅からは、伊吹が運転する車での移動だった。何でも、彼の家の周辺には公共の交通機関がないらしい。どうも恐ろしく山深いところにあるようだ。車に乗ってからしばらくした今、確かに見える景色のほとんどは山と木ばかりだった。
話は目的地に着いてから、ということなのか伊吹はまだ何も語らない。おかげで、車内での会話はほとんどなかったのだが、そうした中、不意に投げかけられたのが、梓のそんな問いかけだった。
かごめさんの家の近くにいた、あの男のことを梓にも話しておくべきだろうか。しかし、その正体はわからず、彼の言ったことが正しいかどうかも確かめられてはいない。そう考えると、話すにはまだ早い気もした。
考えた末に、私はこう答える。
「特に変わったところはなかったけど」
梓はちらりと視線をこちらに寄越した。しかし、私が何でもない顔をしていると、梓は無言でその目を車外へと戻す。
「何だか不機嫌そうね」
私は思わずそう言った。梓は窓の方に寄りかかったまま、軽く首を横に振る。
「そういうわけじゃない。車は少し苦手なんだ」
その声は、思いのほか弱々しい。単に乗り物酔いを気にしていただけのようだ。私が拍子抜けしていると、やりとりを聞いていたらしい伊吹が、こう言った。
「この先しばらく、曲がりくねった山道が続くので車酔いしやすいんです。一宮さんも、なるべく遠くを見ていた方がいいですよ」
とはいえ、道の周囲にはただ木が生い茂るばかり。遠くを見るといっても、後方へと流れていく木立によってそれを妨げられてしまう。
それでも私は、大人しくそれに従うことにした。ここから、どれだけ時間がかかるのかもわからない。
しばらくすると、伊吹が唐突にこう告げた。
「あ。ここから先が、うちの土地です」
ここ、というのがどこなのかわからなかったが――彼がそう発言してからも車はまだ走り続けている。何より、目的の家が全く見えなかった。
「まだ、山の中なんだけど」
「そうなんです。うちがあるのは、元は隠れ里だったらしくて」
隠れ里。私はとりあえず、そう、とだけ呟いて、流しておいた。おそらく冗談ではなかったのだろうが、咄嗟にどう返していいか、わからなかったからだ。
山中の変わらない風景に目を向けつつも、考えた末に、私はあらためてこう尋ねた。
「でも、一本道じゃなかった? 特に変わりないけど。ここ、私道なの?」
車が走っているのは、きちんと舗装された普通の道だった。こんな山道の、しかも私有地で、ここまで整備されているものだろうか。
伊吹は平然とこう答えた。
「気づきませんでしたか? さっき別れ道に入ったんですが。確かに、わかりにくいですけどね。そのせいで、たまに迷い込む人もいるんです。まあ、迷い込むだけならともかく、山菜採りやら山登りやらで来られるのはね……うちの周り、いろいろいるので。あんまり普通の人に入って来られるのは困るんですけど。危ないですし」
いろいろいる。何がいるのだろう。私はそれについても、尋ねることをためらった。
思わず梓の方へ視線を向けたが、彼女は相変わらず無言で外を眺め続けている。気分が悪いのかもしれない。うるさくするのもどうかと思って、私はあれこれ言うのをやめにした。
そうこうしているうちにも木立は途切れ、ぽつぽつと民家が見えてくる。思ったよりも普通の家だ――と思ったが、どうやらそれらの家は目的の場所というわけではないらしい。
隠れ里、だったか。しかし、そもそも伊吹は、ここからはうちの土地、とか言っていなかっただろうか。集落にも見えるが、これはいったい、どういうことなのだろう。
民家を通り過ぎ、車はさらに進んで行く。やがて最奥らしきところまで着くと、そこでようやく伊吹は車を止めた。道の先にあって、行く手を阻むのは立派な門。
伊吹が、着きました、と言うので、私は車を降りて、その門を見上げた。瓦屋根のある、木製の大きく立派な門だ。閉まっている大門の右側には、人ひとりが通れるくらいの小さな扉がある。左右に伸びる塀は、深い森の中へと消えていた。
「梓さんはここで待っていてもらえますか? 準備ができているか、確認しないと。一宮さんは、どうぞ」
伊吹はそう言って、私のことを手招きする。
私は思わず梓の方を見た。彼女は青い顔をして車から出てきたところだ。本当に車に酔ったのかもしれない。
梓は具合の悪そうな表情で、それでも――さっさと行け、とでも言いたげに、私に向かって手を振っていた。逆らうのもどうかと思って、私は伊吹と共に脇門へと向かう。
伊吹に続いて門を潜り、一歩足を踏み入れた先。そこにあったのは、あざやかな色彩で描かれた絵画のような風景だった。
広大な庭園に、さまざまな木や草花が生い茂っている。一足先に本格的な春が訪れたかのように、梅に桜に木蓮、馬酔木、沈丁花――とにかく、あらゆる春の花が咲き乱れていた。
池には橋がかかり、四阿の向こうには枯山水まである。日本的な庭ではあるが、何だかごった煮という感じだ。この世のものとは思われないこの景色を表現するには、桃源郷といった言葉の方が相応しいかもしれない。
しかも、その先には御殿と呼んで差し支えないほどに立派な邸宅がある。古そうではあるが、そのことがなおさら歴史の重みのようなものを感じさせた。
どうやら、とんでもないところへ来てしまったようだ。私は思わずそこに入り込むことをためらったのだが、伊吹は当然のように歩いていく。仕方なく、私もそれに続いた。
極彩色の景色の中にいると、まるで夢の中にでも迷い込んでしまったかのような気分になる。とはいえ、あの門を潜る前から、いろいろと現実離れしたところだとは思っていたけれども。
森閑とした山の中に突如現れた集落に、その先に隠された豪華な屋敷。その存在に気圧されながらも、私は伊吹にこう尋ねた。
「そういえば、門前に集落があったけど、あれは?」
「分家――というか、親戚ですよ。一族というか」
私は、へえ、とだけしか言えなかった。何と言うか、住む世界が違う。
御殿と見まごうその邸宅の前に辿り着くと、物影から不意に、妙齢の女性が姿を現した。伊吹の家族だろうか。彼女は私に向かって会釈をしながらも、伊吹を小声で呼び寄せている。
何かを伝えられた伊吹は、慌てて家の中へ入って行った。私の方を振り返り、ちょっと待っていてください、とだけ言い残して。
玄関先の軒下に立たされて、私は呆然とそれを見送った。見知らぬ女性とふたり、その場に取り残されてしまう。
「ごめんなさい。少しこちらでお待ちくださいね」
女性は儚げな声でそう言った。結局待たされるなら、私も梓と一緒に門前で待っていればよかっただろうか。
そんなことを思いつつ、手持ち無沙汰になった私は、ひとまず周囲を見渡した。あらためて庭に目を向けると、今度はそれを取り囲む森の方が気になってくる。そこは庭の明るさに反して鬱蒼と薄暗く、それが妙に不気味に思われたからだ。
ふと、その森の木陰に黒い獣の姿を見た気がする。しかし、影に紛れていた上に、素早すぎてよくわからない。犬に似ていたが、何となく犬ではなかったような。
いや、明らかに犬ではない。しかも、その獣はいつの間にか森の境に立ち止まり、じっとこちらの方を――私のことを見つめていた。それも、よく見ると一匹ではないようだ。
森にわだかまった闇には、いくつもの金色の目が並んでいる。
体は犬より大きく、尾は太く、遠目でも軽く開いたその口の中に、はっきりと鋭い牙が確認できた。森の中に潜むもの。あんなものに取り囲まれて、この場所は安全なのだろうか。そもそも、あの獣は何なのだろう。
「まさか狼?」
私の何気ない呟きに対して、佇んでいた女性はこう答えた。




