6 紫縮緬(4/5)
梓のそんな話に耳を傾けているうちに、私は思わず、自分のこれからの身の振り方について、考え込んでしまった。この先、自分はどう生きていくつもりなのか、ということを。
事件に捲き込まれ、その対処に追われて――そのせいで、今はまだ無為に過ごしていても許される――そんな気がしていた。しかし、いつまでもこのまま、というわけにはいかない。
しかし、そうした現実的な問題が目の前にあることを理解しつつも、私は未だに真正面からそれに向き合えないでいた。
なぜなら、まだ何も終わっていないからだ。かごめさんが残した遺品。それを持ち出した千鳥の死。自分の元に届けられたいわくつきの物たち。それらが何ひとつわからないままで、先のことなど考えられるはずもない。
私のそういった思いについては、今のところ梓に打ち明けるつもりはなかった。これはあくまでも私の問題だ。怪異のことで梓に頼ることはあっても、自分の問題を彼女にゆだねることはできない。
とはいえ、今の私には何ができるわけでもないのだけれど。
そのとき不意に、カウンターの上に積まれている日記帳が目に留まった。残された手がかりがあるとすれば――やはりこれしかないのかもしれない。かごめさんの家に残されているはずの――ここにはない日記帳。
私はもう一度、あの家へ行かなければならないのかもしれない。そのことを、私はあらためて確信する。
ただ、空き家となったあの家に部外者である私が入るとなると、少々面倒な話で――とはいえ、このことはもう少し真剣に検討してみてもいいだろう。いざとなれば、千鳥のように忍び込めばいい。それくらいの覚悟はできている。
思いついた計画については胸に秘めて、私はあらためて、カウンターの上にある青い壷を指差した。
「それで、これはどうしたらいいと思う? 少なくとも、私のところに来てからは、壷の中の布が燃えた、なんてことはなかったけど」
梓は壷から取り出した白い布を示しながら、こう言った。
「理屈はわからないが、これが怪異を防いでいたのかもしれない。取り出したことで、どうなるかはわからないが――何なら、うちで預かろうか。今度は逃がすようなヘマはしない」
さすがに、壷や燃えた着物の残骸が、足を生やして逃げるとも思えないが。
私は梓から受け取った白い布を、あらたて壷に詰め込みつつ、こう答えた。
「ううん。持って帰る。今までだって、何も起きていないんだし。大丈夫でしょう」
「そうか」
少し不服そうではあったが、梓も強いて引き留めるようなことはしない。
とにかく、日記帳を読み終えたことで、勇んでここにやって来たはずだが、結局のところ、私たちはたわいもない話をしただけだったような気がする。それでも得られたものはあったのかもしれないが。
そうして、夕刻には帰宅した私だが、そのときの妙に浮ついた気分はすぐさま吹き飛ぶことになる。なぜなら、家に帰りついて、私が夕食の支度をしているうちに、それは起こってしまったからだ。
壷の中から黒い煙が立ち上る、という異変が。
私はすぐさま、梓にそのことを連絡した。
電話の向こうから、彼女にはくどくどと――火に気をつけるように、何なら壷を店に持って来てもかまわない、などと言われたが、そのときの時刻はもう夜。今から梓のところに転がり込むのもどうかと思って、その申し出についてはさすがに辞退した。
それに、今のところ私が目にしたのは黒い煙だけだ。布が燃えたわけではない。そんな現状でそうすることは、どうにも大げさなようにも思えた。
私は紫縮緬が封じられていた壷を、ひとまず別の場所へ移すことにする。ちょうど壷が入りそうな一斗缶があったので、これに入れて家の外――裏庭の、建物からは少し離れたところに置くことにした。しばらくはこの状態で様子を見てみることにする。
とはいえ、ただでさえ梓とあんな話をした後では、もしかしたら、これが今にも火を吹き出すのではないだろうか、と思って気が気ではない。考えた末に、私は薄手の毛布にくるまると、壷の入った缶を目の前にして――勝手口に座り込むことにした。
そうして、私はそこで眠れぬ一夜を過ごすことになる。
一晩中ずっと見張っていたのだが、それ以上の異変が起きる気配はなく、いつの間にか黒い煙も出なくなっていた。白々と夜が明ける頃には、じりじりとした恐怖も薄まっていて、考えた末に、私は手ぶらであかとき堂へ向かうことにする。
店に着いて早々、梓は私に小さな巾着袋を差し出した。
「京都で火除けのお守りを借りてきた」
お守り、と言われればそう思えなくもないが、神社などでよく見る物とは少し違っている。受け取ると、袋の中には何か固い物が入っていることがわかった。
それにしても、買うではなく借りるなのか――と思わないではなかったが、私はありがたくそれを借り受けることにする。梓がそう言うからには、それなりに御利益がある物なのだろう。
「ありがとう。でも、いいの? 火除けのお守りなら、梓だって必要でしょ」
梓は首を横に振る。
「私が持っていても無意味だからな」
彼女は不服そうに、そう答えた。
「もしかして、お守りの効力まで無効なの」
私は苦笑したが、梓はただ肩を竦めている。そして、私のことを真っ直ぐに見返すと、梓は私に向かってこう尋ねた。
「壷は持って来なかったのか」
私は答えに困って、しばし黙り込む。
梓の元にあれば、あの紫縮緬も怪異を起こすことはないのかもしれない。しかし、鷹の根付の例もある。もしも、この店であの布が火を出してしまったら。そして、それが燃え広がってしまったら――
そう考えると、とてもではないが、ここに持ち込む気にはなれなかった。
しかし、梓がそれを提案するのも、私のことを心配してくれているからだろう。その好意についてはありがたいと思う。
私はできるだけ平静を装って――何でもないかのように、こう答えた。
「大丈夫。まだ火を出したわけじゃないし。もしかしたら、あの――かごめさんが作っただろう刺繍で、封じ込めることができてるのかも」
そうは言ったものの、置いてきたあの壷の――紫の布ことが気にならないわけではなかった。梓に相談しようにも、振り袖の件はそもそも昨日に散々話をしたばかりだ。これ以上話をしたところで、何がわかるとも思えない。結局、梓からお守りを受け取っただけで、私は早々に店を去ることにした。
駅から家へ向かう途中、辿り着く前にすでに嫌な予感はしていた。家の方が妙に騒がしい気がする。気のせいだといいのだが。
しかし、近づくにつれ人の気配が――喧噪が大きくなっていき、何かが起こっているらしいことがわかってきた。漠然とした不安は、徐々に確かなものになっていく。
家の前に人だかりができていることに気づいた途端、私は思わずかけ出した。
群衆の中のひとりが振り向き、あ、と声を上げて、私の方へと歩み寄る。
隣の家に住んでいる人で、私が小さな頃からお世話になっていた人だ。彼女は私の顔を見ると、ほっとしたように胸を撫で下ろした。
「よかった。出かけてたのね。今、消防車を呼んだの。じきに来るから、それまで近づいちゃダメだからね」
消防車。やはり――と思いつつ、私は慌てて家の方へと走った。そして、人だかりをかき分けて、表門の前に立つ。
家が燃えていた。裏手の方から黒い煙が上がり、赤い炎がちらちらと揺れている。しかし、まだ火は回り切っていないようだ。それを確認した途端、私は周りの人たちの制止を振り切って、家の中へとかけ込んだ。




