6 紫縮緬(3/5)
日記には、こうも記されている。
――紫ちりめんの端切れを封じた。
開けてはならない箱の中へ。
日記によると、燃える着物に手を焼いたかごめさんは、振袖を解体することによって一度は難を逃れたようだが、次の年にはそれもまた燃え始めたらしい。燃え残った布を封じることで、それはようやく終息したようだ。
箱と書かれていたから、まさかこんな物に入れられているとは思わなかったが、これはやはり、この壷に振袖の一部を封じたということなのだろう。
壷が抱えている怪異は、それそのものにはなく、どうやらその中にあったようだ。それにしても――
「それで? これは、その――本物なの? そもそも、作り話の中に出てくる着物が、本物かどうか、なんておかしな話だけれど……」
戸惑いつつもそう尋ねた私に向かって、梓は平然とこう返す。
「振袖火事のそれを再現した、ということだろう。わざわざそんなことをするなんて、これを誂えた者は、よほど物好きな人物だったに違いないが」
梓はそれで納得しているようだが、由来自体が作り話で、しかも、それを再現したにすぎない物。それが怪異を起こす理由が全く理解できなかった。それとも、俗説には多少なりとも真実が含まれていて、不吉な振り袖を作ることは可能だ、ということだろうか。
そんなことをする理由は、やはりよくわからないけれども。
「仮に振り袖が再現された物だとして、だったらなぜ、それは燃えたりしたの?」
私の反応に、梓は呆れたような表情を浮かべている。
「怪異に根拠を求めたところでな……そもそも、全ての事柄に都合よくわかりやすい原因があるわけじゃないだろう。わからないことはわからない――そういうものだ。だからこそ、恐ろしい、ということにもなる」
私は困惑のあまり黙り込んだ。恐ろしい、というよりも、据わりの悪いことの方が気になってしまったからだ。何かもっと、納得できるような理屈はないのだろうか。
そんな私の思いを見透かしてか、梓はこう続けた。
「ともかく、振り袖が燃えた理由なんて、こんなところで議論したところでわかりはしないさ。もしかしたら、実のところ、それは怪異などではなく、科学的に説明のできる現象だったのかもしれない。もちろん――やはりそうではないのかもしれないが」
答えを知るには、現状では材料が少なすぎる、ということだろう。そういう理屈なら、私にも多少は理解できる。ただし、それで燃える振り袖の件が納得できたわけではなかったが。
私は顔をしかめると、目の前の壷を眺めながら、こう話した。
「何にせよ、そんな着物を作るなんて、はた迷惑な人がいたってことね。どうしてそんな物を作ろうと思ったかは知らないけれど。燃えてしまうなら、作る意味なんてないでしょう? 現に、その着物はもう、こんな端切れになってしまったみたいだし」
梓はその言葉に肩を竦めている。
「振り袖を誂えた者も、それが燃えるとは思っていなかったのかもしれない。形代として怪異を引き写してしまっただけで――あるいは、そこには本当に何の関わりもなく、ただ好きなように着物を誂えたところ、燃える振り袖になってしまった、という可能性だってある」
そんな可能性があるだろうか。ないとは言い切れないだけで、あるとも思えない。常識的に考えれば。
「それじゃあ、余計に意味がわからないじゃない」
私がそんな風に不満の声を上げると、梓はとぼけた調子でそっぽを向いた。
「架空の物を現実に作ってみたいという欲求それ自体は、特に珍しくはないと思うが。そうだな――蓬莱の玉の枝があっただろう」
突然何のことかと思ったが、そういえば、あのダンボール箱の中には、確かにそんな物もあった。竹取物語で、かぐや姫が求婚者に与えた無理難題のひとつ――を、おそらく模した物。
何だか、振り袖の件をはぐらかされた気もするが――
梓はこう続ける。
「あれは架空の宝物ではあるが、物語の中でも、車持皇子が職人に作らせたわけだからな。金工をする者としては、そういう物を作ってみたくなるものかもしれない」
「まあ、そういう宝物ならわからなくはないけど。それが不吉な振り袖だとしても、作ってみたくなるものなの?」
梓は、さあな、と冷たくあしらった。
「だから物好きだと言っただろう。何にせよ、それもひとつの作品にはなり得るからな。架空の物ではないが、柚子もよく店の物を勝手に真似て作っている。練習だ、とか言って。粒金細工の真似事をしていたときには、さすがに驚いたが」
「……粒金細工?」
私の反応を見て、梓はおもむろに席を立つと、どこからか金細工のアクセサリーを持って戻って来た。彼女はそれを、カウンターの上に置く。
小さなブローチだ。細かな彫刻が施されている――と思ったのだが、よく見るとごく小さな金の粒が並べられて、それが模様となっているようだった。
「グラニュレーションとも呼ばれる技法だ。その名のとおり、一ミリにも満たない金の粒を無数に並べることで模様を作る。これらを接着するのが難しい。紀元前二千年から一千年までは盛んに行われていたが、その後は長らく途絶えてしまった。そのため、失われた技術としても知られている。今の技術で再現も試みられているようだが、その時代に行われていたものと同じ方法かどうかは、もはやわからない」
失われた技術。
確かに、伝統工芸などは次代の担い手がいないだとか、技術の継承ができていないだとか、そういう話はよく聞く。それでも何となく、そういった伝統的なものは誰かが守っていくのだと思っていた。誰か――だなんて、漠然とした話だが。
しかし、実際に失われた技術があるからには、今も残っているような技術も、将来についてはわからない、ということなのだろう。
私は粒金細工のブローチにあらためて目を向ける。
私は手先が不器用な方なので、何かを作りたいという欲求がそもそもない。そうでなくとも、やり方が全くわからないなら、それを真似て作ろうなどとは考えもしないだろう。だからこそ、そんなことを行おうとする者がいたとしたら、そういった技術について、よほどの感心と自信があるのだろう、とも思う。
「よくわからないけど、才能あるのね。あの子」
アクセサリーを作る人を目指して修行中、だと言っていたか。今はこの場にいないが、普段から店に入り浸っているという話で――そのことに、梓はいい顔はしていないようだった。
とはいえ、梓とは長いつき合いのようだし、そうして場所を貸しているからには、内心では応援しているのかもしれない――と思ったのだが、梓は忌まわしそうな表情を浮かべると、こう吐き捨てた。
「どうだか。それに、才能のあるなしは、それで食べていけるかはどうかとは関係ないからな」
いまいち、仲がいいのか悪いのかわからない。そういったことを、気兼ねなく言い合える仲ではあるのだろうけれども。
梓はそこで粒金細工のブローチを手に取ると、あらためてこう話し始めた。
「技術も物も、伝えていかなければ消えて無くなってしまうものだよ。百年の時を経て物が残っているのは、たまたまそうなったからではない。それは確かに誰かが残したからだ」
梓はブローチをカウンターの上に戻すと、あらためて青い壷に――いや、その中にある物を透かし見るかのように目を向けた。
「特に火は恐ろしい。燃えてしまえば、全てが灰になる……」
そう呟いた梓の表情を見ながら、ふと思う。もしかして、彼女はこの怪異を、珍しく怖がっているのではないだろうか、と。
梓はさらに、こう続ける。
「祖母のこの店を引き継いでから、私は先のことをよく考えるようになった。ここにある物は、それこそ祖母が生まれる以前から、誰かが残し、誰かが守った物なんだ。私はそれを、また誰かに引き継がなければならない」




