6 紫縮緬(1/5)
その日、私があかとき堂を訪れたのは、周囲で何かしらの異変が起こったから――というわけではなかった。
店を訪れた理由は、梓に相談したいことがあったからだ。そして、それはやはりかごめさんに関することで――そのために、私は手元にある日記帳をわざわざ店まで持ち込んでいた。
それというのも、ここに至ってようやく、私はかごめさんの日記帳を全て読み終えていたからだ。
とはいえ、その日記帳に何か重大なことが書かれていた、というわけではなく――むしろ、問題は書かれていないことにある、といった方が正しいだろう。私は日記帳にあるいくつかの記述を指し示しながら、梓にそのことを報告した。
梓はいつものようにカウンターの奥にいて、私は売り物だろう椅子に座らされている。ひと通りの事情を話し終えた後、日記帳を読み流している梓に向かって、私はあらためてこう言った。
「というわけで、全部読んでわかったことは、私の元にあるかごめさんの遺品のほとんどは、たとえかつては怪異を起こしていたとしても、今はもう問題はないということ。ただし、秘密箱と根付のことは書かれていないし、それ以外には唯一、青い壷のことだけが書かれていない、ということね」
他に気がかりがあるとすれば、家にいた何か――這うもの、のことだろうか。それについてもやはり、日記帳には記述がなく、だとすれば、正体がわからないその壷に関連していたのかもしれない、とも考えられるのだが――あるいは、元々あの家に居ついていたものだという可能性も、なくはないだろう。
とにかく、伊吹が言うには、その何かはあの家からはいなくなり、今はもう心配ないとのこと。預けた鷹の根付と共に、詳しいことがわかれば連絡してもらうことになっている。しかし、それについてはまだ何の進展もないらしく、その正体については何ひとつわかってはいなかった。
そうなると、ここにはないけれども、かごめさんの家には存在するだろう欠けた期間の日記帳が、やはり気になるところなのだが――これについては、すぐにどうこうできることでもない。ひとまずは、今わかっていることだけで考えるより他ないだろう。
梓は私の話に相槌を打ちながらも、かごめさんの日記を読み進めていた。急かすこともないだろうと思って、私は梓が切りのいいところまで読み終わるのを待つことにする。
かごめさんの日記を読んで、梓は何を思うのだろう。
そう考えたとき、ふと思った。日記の内容はともかくとして、私はどちらかというと怖い話は得意ではないのだが――では、梓はどうなのだろう、と。
日記帳から顔を上げる頃合いを見計らって、私は梓にこう問いかけた。
「かごめさんは、拾った物の怪異にずいぶんと悩まされていたみたいだけど……梓はどうなの? 幽霊とか――そういうものは見えないんでしょう?」
梓は私のことをじっと見つめ返すと、ほんの少し悲しそうな表情で苦笑した。
「見えない、ね。見える見えないを、ことさらどうこう言うこと自体、私はあまり好きではない。というより、私が知る中で、その――見えるとされる者たちは、皆それを自然のこととして、取り立てて誇ることも、恥じることもなかったからな。しかし、まあ――私の祖母はどちらかというと、見える人だ」
そして、梓は見えない人らしい。いや、強すぎて怪異の方が近づけない、だったか。それがどう違うのかはわからないが。何にせよ、伊吹の言葉を信じるなら、そういうことなのだろう。
梓は淡々とこう続ける。
「私が幼い頃、祖母はここにあるアンティークにまつわる物語について、いろいろと話をしてくれた。思えば、祖母はそうした話をすることで、物に付加価値を与えることができる人だった」
梓はそこで、軽く肩を竦めてみせた。
「とはいえ、価格の評価については、あの人が情に左右されることなどなかったが」
彼女の言葉に、私は思わず笑ってしまう。その物の価値以上に特別な価値を付与することはできない――だったか。その辺りは、祖母と孫で同じような考えを持っているらしい。
「何にせよ、私は祖母が語る話の中でも、とりわけ、不思議な物語を聞くのが好きだった……」
梓はそう言って、店内を見渡した。私もまた、あらためてそれらに目を向ける。
アンティークショップには、さまざまな古めかしい道具や装飾品が並んでいた。そして、ここにある物の中には、おそらくいわくつきの品がいくつか混じっているのだろう。
しばらくの間、それらのアンティークを眺めていたが、梓は不意にため息をつく。
「しかし、どうやら私には、祖母が見たり聞いたりしたものを、同じように見たり聞いたりすることはできないらしい。そういうものに縁がないようだからな。そのことを、たまに寂しく思うことはあるよ」
私は梓と初めて会ったときのことを思い出す。回顧にも感傷にも逸話にも興味はない、と冷ややかに言った彼女に、反発するように投げかけた私の問いかけ。
――じゃあ、呪いには?
私がそう尋ねたとき、梓は多少なりとも、それを期待していたのだろうか。自分の身に起こるかもしれない不思議な物語を。
しかし、目の前の梓はいつもと変わらない調子で、冷ややかに一笑した。
「とはいえ、だ。アンティークは何も、怪異や不思議が全てではない。むしろ、そんなことを起こすことの方が珍しい。そこを勘違いされては困る。アンティークが持つおもしろさは、もっと別にあるのだから」
私は思わず苦笑した。確かに梓は不思議な物語に憧れがあるのかもしれないが、アンティークそのものだって、好きではあるだろう。何かあるたびに、あんなにも饒舌に語っているのだから。
「それは、もう。いつも、いろいろと話をしていただいておりますので」
私は冗談めかしたつもりだったが、梓はなぜか、あからさまに顔をしかめた。
「いや。私はむしろ、そういうことを語るのが、どうも苦手なようだ。だから、不必要に知識を並べ立ててしまう。祖母にもよく、恥ずかしいからやめろと言われているよ。ぺらぺらと余計なことまで話すべきではないと」
梓はそのときのことを思い出したのか、不服そうにため息をつく。
「そんなつもりはないのだがな……好きで話しているだけで――と、それがいけないのかもしれないが」
梓が何かにつけて事細かに話すのは、何も知らない私にもわかりやすく説明しようとしているのだと思っていたが――単に好きでそうしていたらしい。それならそれで、かまわないとは思うが。
梓はそこで、あらためてかごめさんの日記帳を手に取ると、何かを探すようにぱらぱらとページをめくり始めた。




