5 秘密箱(4/5)
ドアベルの音が鳴ると共に、店の扉が開かれた。
「こんにちは」
と店に入ってきたのは大学生くらいの青年だ。取り立てて目立つところのない、至って普通の、真面目そうな青年だった。
梓はカウンターの奥――おそらくバックヤードのようなところ――にいて、そのとき店内にいたのは私だけだった。私は彼のことを、珍しく訪れた店の客かと思ったのだが――
青年は私のことに気がつくと、おずおずとこう話しかけた。
「あの……すみません。梓さんはどちらに――」
私が応じる間もなく、気配に察したらしい梓が、奥から姿を現した。
「よく来た。さっそくだが、鷹を捕まえてくれ。根付だ。昨夜、店から消えてしまった。おそらく、そいつのせいで店はこの有り様だ」
梓は勢い込んでそう言った。
だとすれば、この青年が梓の言っていた動物の専門家なのだろう。専門家と言うからには威厳のある、そうでなくとも、もっと年長の人物を想像していたのだが――
とはいえ、以前に会った石の専門家も、それほど年上ではなかったような気もする。それでも、京都の彼はどこか浮世離れした人物ではあった。そのことを考えると、目の前の青年は――好青年ではあるけれども、とても専門家と呼ばれるような人物だとは思われない。
現に彼は梓に詰め寄られて、たじたじになっている。
「はあ。あの……もう少し詳しく経緯をご説明いただけますか? 根付? 鷹を模した物ってことですよね。それが、ここで暴れたんですか?」
店内を見回しながらも立て続けにそう尋ねた青年に、梓は簡潔に、そうだ、とだけ頷いた。青年はそれを見て、なるほど、と頷き返す。
根付を捕まえろだの、それが暴れただの、とんでもないことを話している割には理解が早い。どうも見かけの平凡さとは違って、彼はそういうことに慣れているようだ。
青年は納得すると、何かを探すように店内を歩き始めた――が、いくらもしないうちに、ちらりと梓の方へと目を向ける。腕を組んで見守っていた梓は、見られていることに気づくと、こう問いかけた。
「私がいては不都合か」
青年は答えにくそうに、梓の方を見返している。彼が何かを言うより先に、梓はため息をつき、そして――
「仕方ないな。しばらく出る」
そう言い残して、梓は店を出て行ってしまった。
何が何だかわからない私は、初めて会った青年とふたり、この店に置いてけぼりだ。私はあまりのことに呆然とした。
青年は私のことを気づかって、こう声をかける。
「初めまして。僕は隼瀬伊吹と申します。梓さんのお友だちですか?」
ええまあと曖昧な返事をして、私はどうにか名乗り返した。そして、自分がここにいる理由を説明する。
「その鷹の根付、私が持ち込んだ物なの。それで」
伊吹はその言葉に、なるほど、と頷く。それを見て、私は軽く苦笑した。
「まあ、それにしたって、梓がどうして急に出て行ったのか、わからないけど。私たちを置いて……」
今はもう閉ざされた店の扉に目を向けながら、私は何気なくそう呟いた。すると、背後から訝しげな声が上がる。
「ご存知ないんですか?」
振り返ると、伊吹が怪訝な顔で首を傾げていた。私がぽかんとした表情でいると、彼は少し言いにくそうにしながらも、こう続ける。
「梓さんは、何と言いますか……そういう体質なんですよ。たまにいらっしゃいますけど。そういう方」
「体質?」
「怪異とは無縁というか、何というか」
私はその言葉を奇妙に思う。あれだけ怪異のことを語っていた梓が、それと無縁だなんてことがあるだろうか。
「霊が退治できる、とかではなく?」
「というより、強すぎて彼女の周りには近寄れないんです。そのせいで、そういったものを見たこともないそうですよ」
強すぎる。何が強すぎるのだろうか。しかも、見たことがない、と言う。その割には、その存在を固く信じていたように思うが――
「ですから、その鷹の根付はよほど強い力を持っていたのかもしれません。でもこれは……疾風を出すまでもないかな」
疾風。何のことだろう。
ともあれ――そう言った後、伊吹は店内を見て回り始めた。おそらく鷹の根付を探しているのだろう。しかし、傍目で見ていると――店の惨状は別にして――単に商品を眺めているだけにしか思われない。
そもそも、彼はそういうことがわかる人なのだろうか。自分は霊能者には嫌われている、というようなことを梓は言っていたが――
彼は店をひと巡りして私のところまで戻ってくると、残念そうにこう告げた。
「どうも、いないみたいです。その――鷹の根付ですが」
私からは、はいそうですか、としか言いようがない。その後は、ふたりで梓が帰ってくるのを待つ。
ドアベルの音と共に扉が開くなり、梓は早々にこう問いかけた。
「どうだった?」
伊吹はあらためて、こう報告する。
「申し訳ないですが、この店では見つかりません。どこか遠くに逃げたのかもしれませんね」
「何だと」
「僕を睨まれても困るんですけど……」
鋭い視線を向けられて情けない表情になった伊吹を前に、梓は顔をしかめて考え込んだ。伊吹は軽く肩を竦めてから、そんな梓に声をかける。
「一応、疾風に探させてみますか? でも、僕自身がその根付を見てませんから、うまくいくかどうか。やれるだけ、やってみますけど」
伊吹の言葉に、梓は首を横に振った。そして、私の元へと歩み寄る。
「すまない。鹿子。根付をなくしたのは私の失態だ。こんなことは、起こり得ないと思っていたものだから」
何かと思えば――彼女は預かった根付を失くしたことについてを気にしていたらしい。
しかし、これは彼女の責任ではないだろう。普通は鷹の根付が飛んで行ったりするなどとは思わない。私の方でも、どちらかと言うと店が荒らされたことを気にしていたくらいだ。
とにかく、この騒動はこれでいったん決着となったようだ。しかし、それで店の状況がどうにかなるわけではない。その後は、無関係の伊吹を巻き込んで、私たちは店内の片づけをすることになった。




