5 秘密箱(3/5)
「根付だな。モチーフは鷹か」
そう言って、梓はその根付を取り出した。
鷹かどうかは私には判断がつかなかったが、確かにその根付は猛禽類を模した物のようだ。色はアイボリー――ということは、素材はやはり象牙だろうか。
細工は精緻で、獲物を捕らえるところか、それとも飛び立つ瞬間か――その一瞬の姿が写実的に彫刻されている。それはまるで生きているかのようで、素人目に見ても出来がいいと思える物だった。
私が箱を開けようとしたときに見返してきたのは、これだろうか。もちろん、普通に考えれば見返せるはずもないのだが――自然にそう考えてしまうほどには、私もこういったことに毒されてさしまったらしい。
根付を前にした梓は、息を吹き返したように語り始める。
「根付は帯から印籠などを吊るすための留め具だが、着物から洋服に変わってからは需要がなくなり、代わりに海外の方で美術品、収集品として人気になった。そのせいで、多くは海外に流出してしまっている。これは――なかなかいい品じゃないか」
どうやら梓はこの根付がお気に召したらしい。しかし、私は複雑な思いで彼女の話を聞いていた。どれほどいい品なのだとしても、ぎょろりと動いた目のことを思い出すと、素直に共感できないでいたからだ。
私の表情から何かを察したのか、梓は思い出したようにこう言った。
「箱の中から見返していた、だったか。とはいえ、素晴らしい美術品というものは、そもそも命を得て動くものだからな」
私が怪訝な顔をすると、梓はこう続ける。
「京都御所の猿ケ辻を知らないか。あれは木彫りの猿だが、夜な夜な抜け出してはいたずらをするというので、金網で閉じ込められているんだ。それ以外にも、例えば著名な絵師の描いた絵が抜け出したり、そういう話はよくある」
「まーた、始まった……」
呆れたようにそう呟いたのは、すでに書きもの机に戻っていた柚子だった。今は店の商品を参考にして、何やら絵――デザイン画だろうか――を描いている。
私はあらためて鷹の根付に目を向けた。
出来がいいために命を得た根付。箱を開けようとしたときには睨まれてしまったが、箱の中にあったときは特に何も異変を起こすことはなかった。しかし、よくよく考えれば、それはつまり、閉じ込められていたものが解き放たれてしまった、ということではないのだろうか。
そんな私の不安を汲んだのか、それとも単にその根付が気に入っただけか、梓は私に向かってこう提案する。
「心配なら、しばらく私が預かろう。この根付なら、それなりの金額で買い取ってもいい」
梓にとっては、この程度の怪異は問題にもならないらしい。ただ、彼女はそもそも、箱の中から見返してきた目を実際に見たわけではないのだが――それでも、危険と判断しないなら、おそらく心配はないのだろう。
考えた末に、私は秘密箱と根付を梓に託すことにする。
問題が解決したところで、私は梓と柚子に別れを告げて帰宅した。早々に帰ったのは、鷹の根付について何かわかることはないかと、かごめさんの日記を確かめたかったからだ。しかし、その日ざっと見た中には、箱についても根付についても、その記述を見つけることはできなかった。
箱を開けた次の日の朝、梓から電話があった。
その声音からただならぬ気配を感じ取り、私は急いであかとき堂へと向かう。しかして、その先で私を待っていたのは――いつもと違う、ひどく荒れたアンティークショップの店内だった。
私はそれらを横目で見ながら、急いで梓がいるであろうカウンターの方へと向かう。
色とりどりのガラス瓶は倒され、壁に掛けられた絵もいくつか床に落ちている。きれいに陳列されていたアクセサリーは乱され、木製の箪笥には傷がついてしまっていた――が、これは元からかもしれない。
梓はいつもどおりカウンターの向こうにいた。いったい何があったのだろう。泥棒にでも入られたのだろうか。店の状況に関して聞きたいことはたくさんあったが、顔を合わせてすぐ、梓が言及したのは、そのことについてではなかった。
「鷹の根付が、ない」
ない、ということはその根付が盗まれたのだろうか。いや――いくら価値がある物だとしても、それだけ盗まれるのはおかしい。他にも盗まれた物があるというならともかく。
しかし、梓が口にしたのは鷹の根付のことだけ。だとすれば、もしかして――
「まさかとは思うけど、その鷹が動いた、とか?」
確かに昨日、冗談めかしてそんなことを話していた気がするが、まさか本当にそれが動き出した、なんてことがあるのだろうか。私はそう考えたのだが、梓はそれを断言することなく、ただ首を横に振った。
「わからん。わかっているのは鷹の根付がないこと。誰かに侵入されたわけではないこと。そして店内の、この有り様だ」
そう言った梓の声音は、あからさまに不機嫌そうだ。しかし、自分の店がこうなったのだから、それも仕方がないだろう。
梓は断定しなかったが、この状況を考えると、鷹の根付が店で暴れた、という可能性も考えられるのではないだろうか。ただの根付ならともかく、私は確かに、箱の中から見返してきたところを確認している。まだそうだとは言い切れないとはいえ、自分が持ち込んだ物が騒動の発端かと思うと、私はとにかく気が気ではない。
かといって、何ができるわけでもないので、考え込んだ梓を前に、私はひとまず彼女の判断を待つことにした。
「鷹の根付が動いた、か……」
梓がそう呟いたのをきっかけに、私は恐る恐るこう告げる。
「一応、かごめさんの日記に、ざっと目を通しはしたんだけれど……箱のことも根付のことも、手元の日記には、何も書かれてなかった」
梓はそれを聞いても、何の反応も示さない。あるいは、何かを考え込んでいるようだ。しかし、私の視線を感じたのか、不意にため息をつくと、彼女は諦めたようにこう言った。
「考えていても仕方がないな。ちょうどいい。確か、こちらの方に出て来ていたはず。あいつを呼ぶことにしよう」
「呼ぶって……次は――何を?」
「動物の専門家だ」
私はもう、何を言われても驚かなくなりつつあった。




