5 秘密箱(1/5)
少しずつ読み進めていた日記帳にも、そろそろ終わりが見えてきたようだ。少なくとも手元の日記帳については、あと数日のうちに読破できるだろう。これからしばらくの間、何ごとも起こらなければ、だが。
以前、個人的な日記帳も売買されている、ということを梓と話して、驚かされたことがあったが、実際に読んでみると、確かに、書き手の素直な心情によって綴られた日々はもはや物語といってもよく、興味を持ってもおかしくはないと思わされた。さすがに、見ず知らずの人物の日記を買い求めようとは思わないが。
古道具が起こす奇妙なできごとに悩まされながら、やえさんという助言者と共に、それに対処する日々を過ごしていたかごめさん。しかし、それ以外の部分では、彼女はあくまでも裁縫が少し得意な普通の人だった。
刺繍や編み物だけではなく、衣服やその他の布製品まで作ってしまえる彼女は、そうした趣味で充実した日々を送ってもいたようだ。怪異とは関係ない、毎日のちょっとしたできごとに、そこから少しずつ変化していくさまざまな事がら。そうした日記の内容は、まさしく彼女の人生そのものだろう。
しかし、そう考えると、わざわざどこからか古道具を拾ってくる彼女の悪癖が、より奇妙なことに思われもする。どうしてそんなことになったのか、その始まりが書かれた日記帳は残念ながら手元にはない。
何にせよ、日記帳を読んでいくうちに、私の中では、かごめさんと彼女の理解者だったやえさんの物語が徐々に鮮明になっていった。
毒舌で皮肉屋のやえさんは、正体不明な人物ではあるが、かごめさんにとってはおそらく、なくてはならない存在だろう。かごめさんに助言をし、時に苦言を呈してくれる、このやえさんは今どこでどうしているのだろうか。
それから、もうひとつ。
読んでいて新しくわかったことだが、悪さをする怪異の中には、やえさんではどうにもならないものもあったようだ。そんなとき、日記には吉道さんに任せよう、というようなことが書かれている。頻度は多くないので今まで気づかなかったが、この彼――でいいのだろうか――も協力者なのかもしれない。
私はふと、しばらく放置していたダンボール箱を開けてみる気になった。
日記を読んでいると、ほとんどの怪異はかごめさんによって解決されていることがわかったし、ここにある古道具も、さほど危険がないように思われたからだ。問題になったのは、盗聴器の隠されていた西洋人形と片割れを無くした指輪くらいか。
私はダンボール箱から、立方体の木箱を取り出した。そういえば、この箱を開けたことはない。というより、千鳥も梓も手に取りはしたが、開かなかったのか、中を見てはいない気がする。
さて、どうすれば開くのだろうか。
しばらくは、ためつすがめつ、いろいろと試してはみたが、なかなか思うようにはいかない。しかし、そうしているうちに、組合わさった木の一部が少しだけ動くことに気づく。それをゆっくりと滑らせると、その先に小さな空間があって――その中で丸い目玉がぎょろりと動いた。
私は思わず箱を取り落とす。
――油断した。
しばらく箱を観察していたが、床に落ちたそれは、ひとりでに動いたり、変な音がしたりといったようなことはないようだ。恐る恐る箱を拾って、先ほどの空間を見てみるが、そこには穴すらなく、ただ別の木の板があるだけだった。
しかも、一部の部品が動いたというだけで、箱が開くわけでもない。そもそも、これは開けることができるものなのだろうか。そんなところから疑いを抱き始めてしまう。
一瞬だけ見えたあの目は、ただの見間違いだろうか。いや、確かに黄色い虹彩と黒々とした瞳孔が見えた。その目は私のことを認識し、しっかりとこちらを見ていたようにも思う。
やはり、この箱も梓に見てもらった方がいいかもしれない。そう考えて、私はその箱を手に、あかとき堂へと向かった。
扉を開けると同時に、ドアベルの音が鳴る。いつもどおりの、いらっしゃい、という梓の声。しかし、いつもと違って、店の入口に近いところ、日の当たる窓辺に人影があった。
そこにいたのは店主の梓――ではない。
年の頃は二十くらいだろうか。若い女性が、怪訝な顔で私のことを見つめている。彼女は徐々にその目を見開いていくと、その口をぱくぱくと開け閉めし始めた。
何度かそうしてから、彼女はようやく言葉を発する。
「おおおお客様だ!」
そんなことを叫びながら、彼女は無遠慮にこちらを指差している。私は思わず立ち止まって、まじまじと相手を見返した。
店の奥から聞こえてきたのは、不機嫌そうな梓の声。
「柚子。それはどういう意味だ。ここは店だ。客くらい来る」
梓はおそらく、いつもどおりカウンターの向こうにいるのだろう。彼女は柚子と呼ばれた女性の反応を待つことなく、続けて私にこう問いかけた。
「それで? 今度は何が起こったんだ。鹿子」
何だ知り合いかあ、と呟いたのは窓辺の彼女だ。私が訪れていたときにそうしていたように、元いた椅子に座り直している。それでも私のことに興味があるのか、横目でこちらの動向をうかがっていた。
何者だろうか。どうにも気になって、私も彼女のいる方へと目を向けた。
店の片隅にある古びた書きもの机は、おそらく売り物だろう。しかし、彼女はそんなこと気にすることもなく、自分の居場所だと言わんばかりにそこを占拠していた。机の上には古書やガラス瓶などと共に、いくつかのアクセサリーが並べられている。
私がそちらに気をとられていると、珍しく梓が奥から姿を現した。
「柚子のことは気にするな。いないものと思ってくれてかまわない」
「えええ。私も一応、お客さんなのにい」
柚子が不満げにそう言うと、梓は彼女に鋭い視線を向けた。
「どこが客だ。入り浸っているだけじゃないか」
「そんなこと言って。あず姉がうっかり何か壊しても、もう直してあげないから」
頬を膨らませて言い返した柚子の言葉に、私は思わず首を傾げた。
「直す?」
その反応に、梓は苦々しげな表情を浮かべている。柚子の方はきょとんとした顔を私の方へと向けたが、それはすぐに人懐こそうな笑みへと変わった。
彼女はあらためてこう名乗る。
「あ。私、猪倉柚子です。アクセサリーとかが好きで、作る人を目指して修行中で。それで、ここにある物を参考にして、勉強してます。よろしく」
「一宮鹿子です。よろしく……」
彼女の勢いに気圧されながらも、私はそう名乗り返していた。そのやりとりに、梓はあからさまにため息をつく。
「何が勉強だ。店の物を勝手にいじったり、自作のアクセサリーを持ち込んで撮影所代わりにしたり。好き勝手しているじゃないか」
そこでようやく、私は机の上にある物の理由を察した。どうやら彼女は、ここで自分の作ったアクセサリーとやらを撮影していたらしい。しかも売り物を小道具にしているようで、そうなると客というには確かに自由すぎる気もする。
ただ、店主である梓に苦言を呈されているにもかかわらず、柚子の方はどこ吹く風だ。
「この店、雰囲気いいから。映えるでしょ? ここで撮った画像、反応いいの。置いてあるアクセサリーも、おもしろいし。こういう、今風とはちょっと外れたところがいいんだよね」
そう言った彼女が手にしているのは、小さな宝石が散りばめられたブローチだった。これも店の商品だろうか。よく見ると、彼女自身もまた、空色の石があしらわれた素朴なペンダントを身につけている。
柚子はとぼけた調子でこう続けた。
「それに一応、店の宣伝にもなるかな、と――」
そんな言い訳めいた言葉に、梓はよりいっそう顔をしかめた。
「勝手なことを」
仲がいいのか、悪いのか。とにかく近しい間柄であることは確かなようだ。しかし、どういう関係なのかは、いまいちよくわからない。
私はどちらへともなく、こう問いかけた。




