4 椿皿(3/5)
「私もこんな偶然、とは思ったけど……もともと取材をしていた地区が、父の住んでいたところ――つまり、父が亡くなった町でもあって。お年寄りが多かったし。そこで民生委員と知り合って、人脈を広げてたの。ゴミ屋敷としての噂を知ったのも、そこから」
そう考えると、父とたまたま縁があった、というよりは、父の面影を追っていた中でそれに辿り着いた、という方が正しいかもしれない。
「だから、そもそも私は、父が生活していたところを中心に活動していたことになる。無意識に、だったけど」
珍しく気づかうような声音で、梓はこう問いかける。
「君が孤独死にこだわっていたのは、父親のことがあったから、か?」
私は答えに詰まった。しかし、それはどう考えても、明らかなことだろう。
「そうね。そうだったのかも」
私は軽い調子で、そう返す。
孤独に死んでいった者たちが、何を思っていたのか。私がそれを追わずにはいられなかったのは、間違いなく父の死が影響していたからに違いない。
しかし、今さらそんなことをしたところで、父にとっては何のなぐさめにもならないことは、わかっていた。だからこそ、私は今まで、そのことをあえて意識しないようにしていたのだと思う。
私は大きく息を吐くと、気持ちを切り替えてから、こう言った。
「何にせよ、父がその――骨董屋敷からこの皿を手に入れた可能性は高いと思う。父には似合わない物だって、母も言っていたし」
梓は私の表情をうかがっている。もしかしたら――私があえて話さなかったことに気づいたのだろうか。
しかし、彼女は訝しげな表情を浮かべながらも、ひとまずは納得したように頷いた。
「そう、か。それで、怪異が人を殺すか、だったか?」
私は息を飲んで、彼女の次の言葉を待つ。
接点が偶然だろうと、そうでなかろうと――そして、それがどこからもたらされた物であろうと――事実、父の元にあった皿の周辺で奇妙なことが起こったことは確かだ。これらのできごとが父の死と関連しているということは、あり得るのだろうか。
あらためて漆器の皿に目を向けた梓は、こんなことを話し始めた。
「漆器は古くからある物で、作られた数も多いが、長く残っている物はそう多くはない。そもそもが日用品として利用されていることも理由のひとつだが、乾燥などにも弱いからな。だから、長い間その美しさを損なわれていないということは、大事にされていた、ということでもある」
梓はそう言いながら、漆器の皿を手に取った。
「この皿は状態もなかなかいいようだ。椿皿は一説によると、横から見た姿が椿の花の形に似ていることから名づけられたらしい。用途としては銘々皿――要するに取り分け皿だな。私が思うに、絵のモチーフからしても、用途からしても、揃いのひとつである可能性は高いと思うのだが――例えば、残りの皿が骨董屋敷にあることを確かめられたなら、これがもともとそこにあった物だとも断定できるのではないだろうか」
用途はともかく、なぜ鹿の絵だと揃いになるのだろう。猪鹿蝶とか、そういうことだろうか。私は内心で首を傾げる。
ただ、揃いの皿については、少なくとも日記に書かれていた時点ではすでになかったのではないだろうか、と考えていた。私は日記帳から該当のページを探し、梓に見せる。
――二階にある漆器の皿に水がたまっている。
雨もりかもしれない。
見ただけではよくわからない。
自分で確かめることは難しい。
しかし、業者を家に入れる気にもなれない。
――あれは雨もりではなかったようだ。
ここしばらく雨は降っていない。
皿は危険なものではないとのこと。
ただし借りものだから本当は返さないといけないらしい。
どこで借りたかはやえさんにもわからない。
これを読む限りは、皿が複数あったようには思えない。そして、例のやえさんとやらの見立てでは、危険なものではない、とのこと。
これは、いつの間にか現れる水にも白い腕にも危険はない、ということなのか、あるいは、この時点では白い腕は出現していなかったのか。確かに、白い腕に関しては日記帳のどこにも書かれてはいなかった。
それにしても、借り物とは――
梓も気になる点だったのか、彼女が真っ先に言及したのは、そのことだった。
「借り物――しかも、朱膳朱椀、か。そこから思い当たることが、ひとつだけ。しかし、どうだろうな。確信があるわけじゃない」
私は思わず身を乗り出した。
「どんな荒唐無稽なことでもかまわない。教えてちょうだい」
私は先を促した。今はとにかく、この皿について、できる限りのことが知りたかったからだ。
身構える私に、梓はこう問いかける。
「君は椀貸伝説を知っているか」
「椀貸伝説?」
問い返す私に、梓は頷いた。
「いわゆる民話などでよくある話だ。依頼すると椀などを貸してくれる不可思議な穴なり淵なりがあって、人々はそれを利用していたが、返さない者がいたので、それ以来、貸してくれなくなった、という内容だ。全国で似た話が伝えられている」
私は戸惑った。どんな荒唐無稽なことでも、とは言ったが、まさかそんな昔話――いや、おとぎ話のようなものが出てくるとは思わなかったからだ。
梓は平然とこう続ける。
「だから、君の言うその白い腕も、もしかしたらこの皿を取り返しに来たのかもしれない、と思ってな」
何をさも当然のように、とんでもないことを言い出すのだろう。私は顔をしかめた。
「取り返しに来たのだとして、どうして今?」
困惑しながらも、私はそう問いかける。
「この皿は君の手元にあったとのことだが、それまで地元に持ち帰ったことはあったか? 今回、実家に戻るよりも以前に」
梓から逆にそう問い返されてしまったので、考えた末に私は首を横に振った。
「ない。父が亡くなったのは大学生のときだし。私はそのとき東京にいた」
それを聞いて、梓は納得したように頷いた。
「この皿がどこからか借りられた物だとして、それを借りた場所はここから――この土地から、そう遠くないのではないかと思う」
どんな根拠があって、そう言っているのだろう。私はなおさら混乱した。
「だから取り返しに来た? それなら、骨董屋敷にあったときには? 遠すぎて手が届かなかった、と?」
自分で言っていて、何て滑稽なのだろうと思っていた。つまり、あの白い腕は、貸していたはずの皿が地元に戻ってきたからこれ幸いと取り返しに来た、ということになる。
思っていた怪異と違う。あのときの怪音はもっと生々しく、嫌な気配がした。そんな能天気なものではなかったはずだ。
もしかして、這うような音とその後の音は、白い腕とはまた別の現象なのだろうか。
考え込んだ私に向かって、梓はこう問いかけた。
「この辺りで、椀貸伝説のある場所を探してみるか?」
その言葉に、私は大きく目を見開く。
「そんなもの探せるの」
「この伝承は各地にあるものだからな……この辺りに限定するにしても、事実、この皿を借りた場所だと断定できるかどうか、確約はできないが」
その場所を探し出せば、父のことが何かわかるのだろうか。いまいち決心がつかないでいると、梓はさらにこう続けた。
「どちらにせよ、この皿は私が預かろう。白い腕とそれに伴って起きたことについては、私も何か――嫌な感じがする」
その申し出についても、私はすぐに返事をすることができなかった。これが危険な物ならば、それを彼女に預けていいものかどうか……
しかし、皿を手に取った梓は、それを恐れる様子もない。
「父上の死の真相がどうあれ、この皿は、しかるべきところに返せるなら、返した方がいいかもしれない。こういった物は、少しでも危険だと思ったのなら、手放さない道理はない。怪異は天災のようなもの。避けられるならそうするべきだし、それを恨んだところで――」
梓はそこで私の顔を見ると、表情を曇らせて黙り込んだ。
私はいったいどんな顔をしていたのだろうか。
梓の考えの方が正しいのだろう、とは思う。怪異が父の死の原因だったとして、それを知って、私はどうするつもりなのだろう。今さら知ったところで、何もかも終わってしまっているのに。
何にせよ、どうも今の私は判断する冷静さを欠いているようだ。梓の言うとおり、この皿はしばらく彼女に預けた方がいいのかもしれない。
梓はひとつため息をついてから、再び口を開いた。
「ともかく――調べてみるから、それまで少し時間をくれないか」
今度は悩むことなく、私はその申し出を受け入れた。




