子犬ですが予想外です
いただきますと心の中で呟いて、ローレンスが作った朝食を食べる。カリカリのベーコンがたまらん。トーストも外はカリカリ、中はモチモチとシンプルながらこのクオリティを出せるとはローレンス恐るべし。
「……人型の方が食べやすいと思うんだが、お前を見ているとその姿でも問題なさそうだな」
朝食を綺麗に頬張る姿を見てブレルがそんな感想をもらす。そこら辺の犬とは違うからな。何たってプリチーかつキュートな子犬ですからね。第一、汚く食べたら作ってくれた人に失礼だし。なので、お行儀の良い子犬におかわりください。
綺麗に食べ終えたお皿の前で背筋を伸ばし、ローレンスに上目遣いでおかわりをアピールする。ローレンスは穏やかに微笑んで追加を取りに行ってくれた。
「食べ物に対する熱意は凄まじいからな」
どこか呆れたようにエンリエが返す。
それに対してこちらも呆れたように首を振って見せる。やれやれ、食欲は人間の三大欲求だぞ。こだわってこそ良い生き方というものだ。食にも睡眠にも貪欲に!
えっへんと胸を張ると追加で呆れたようなため息を貰う。
「その熱意を他に向けられないのか」
ムリムリ。ボク、ただの可愛い子犬だもん。面倒くさいことは分かんないし、できませーん。
ローレンスがおかわりを持ってきてくれたので、尻尾を振ってかぶりつく。美味しい、幸せ。
「……掴める位置に居ないのが残念だ」
椅子に座っているエンリエが右手で何かをつまむ仕草をしながらつぶやく。
何の動きか全然わからないが、床の上にお洒落な布を敷いて、その上にご飯を置いてくれるローレンスに感謝しよう。頬肉を抓られる被害から守られたような気がするからな。
「なるほど。犬の姿でいる利点だな」
ブレルは何かに納得したようだ。やったね。卵の焼き加減も相変わらず絶品です。
おかわりも美味しく頂き、食後の紅茶を飲んでいるとエンリエが口を開く。
「予定通り明日学校に戻る」
エンリエが唐突に切り出す。
ローレンスとブレルも驚きはしたみたいだが、いつものことなのかすぐに落ち着きを取り戻す。
「もう戻ってしまうのですか。寂しくなります」
「まだ休みが残ってるんだから、そんなに急ぐことないんじゃないか」
二人が引き留めようとするが、エンリエは首を振る。
「少し余裕を見て戻りたい。……何か思わぬトラブルに巻き込まれるかもしれないからな」
エンリエがこちらを見る。熱い視線にお応えして、きゅるんと上目遣いで返す。
可愛い無害な子犬ですよ。そんなトラブルメーカーみたいな目で見るなって。行きだってほぼ予定通りに着いただろう。ほぼな。
「まぁ、否定できないな」
ブレルもこちらを見ながら深く頷く。
もしもし? フラグって言葉を知っていますか。
次の日、学校に戻る前に買い物をするために、ローレンスとブレルに街まで送ってもらう。
「エンリエ様、どうかお体にお気をつけて。またのご帰宅をお待ちしております」
ローレンスが名残惜しそうにエンリエに挨拶をした後に、屈みこんでこちらに顔を近づける。
「ウィルフ様も無理をなさいませんように。……エンリエ様をどうかよろしくお願い致します」
そっと小さな声で告げられた内容に任せろと元気に一鳴きする。
二人と別れて早速エンリエと買い物をする。放っておくとふらふらどこかへ行くと思われているのか、エンリエに抱きかかえられながら街を散策する。信用が無いのは不服だが、移動が楽なので良い。
しばらく歩くと人が集まっていて何があるのかと首を伸ばす。どうやら紙芝居の読み聞かせをやっているようだった。
「見ていくか?」
興味を示したことに気付いたエンリエに問いかけられ頷く。
「俺はそこの店でインクを買ってくるから、少し見ていろ。……くれぐれも大人しく――」
「わんっ!」
エンリエが言い終わる前に元気よく返事をする。大丈夫、大丈夫。大人しくしてまーす。
その態度にエンリエが疑うような目を向けてくるが、諦めたように息を吐きだし、頭をひと撫でして去っていく。
紙芝居は途中からだったが、大枠を理解するのには問題なかった。要するに使い魔と主人の冒険と友情のお話だ。
「……――こうして使い魔と深い絆で結ばれた男の子は、これからもずっと仲良く暮らしましたとさ。おしまい」
紙芝居が終わり、読み手がお辞儀をするとまばらな拍手が送られ、いくらかのチップが支払われる。
自分も最後まで聞いた手前チップを渡したいが、エンリエにおんぶに抱っこな身分なのでチップとして渡す小銭すら持っていない。
戻ってきたら払ってもらうかと思っていたら、後ろから掴まれて持ち上げられる。
一瞬エンリエが戻ってきたのかと思ったが、持ち方がいつもと違ったし、何より高さがおかしい。
「コロン!」
くるりと反転させられて持ち上げている主と対面する。
持ち上げられた高さから予想していたが、やはり幼さの残る子供だった。
「コロン、コロンだよね。ずっと探してたんだ。良かった」
安心したようにぎゅっと抱きしめられるが、明らかな犬違いだ。
「きゅ、きゅーん」
犬違いだと伝えるために首にかけてあるネームタグが見えるように身じろぐ。だが、興奮した男の子はタグに気付いてくれない。
「坊ちゃま! 急に走られてどう――コロン!」
男の子の保護者なのか良い感じにお年を召したオジサマが息を切らせて走り寄って来たが、男性もこちらを見て男の子と同じように叫ぶ。
そんなにコロンという犬に似ているのか?
「爺や! 見てコロンだよ!」
「コロン、そんなはずが――」
爺やと呼ばれた男性はネームタグに気付いて素早く確認するとゆっくりと息を吐きながら頭を振る。何だか聞こえてしまった爺やの呟きから嫌な予感しかしない。
「坊ちゃま。この子犬はコロンではありません。以前にも説明しましたが、コロンは遠くの人に引き取られて行ってもう会えないのですよ」
「でも!」
「それによく見てください。コロンはもう少し大きかったはずです」
男の子が反論しようとするが、爺やがその前に優しい声で諭すように言う。
その言葉に興奮していた男の子がこちらに視線を向ける。じっと観察をして、男の子自身も違いに気付いたのだろう。興奮が冷め、変わりに落胆の色が出る。
「……コロンじゃないの?」
悲しげに呟かれて、自分が悪いわけではないが罪悪感が刺激される。
「きゅーん」
期待させてしまって悪かったな。詫びの代わりに頬を一舐めする。
「慰めてくれるの? 優しいね。……ねぇ、爺や」
続く言葉を察したのか爺やが首を振る。
「こちらのタグをご覧ください。『ウィルフ』と書かれています。飼い主が居るのですよ」
男の子はさらに悲しそうな顔になり、大きな瞳からとうとう涙がこぼれだす。
おぉ、罪悪感が半端ない。
溢れる涙をペロペロ舐めるが、根本的な解決にはならない。というより何となく察するに根本的に解決するのは不可能な気がする。
恐らくだがコロンは――
「おい、何をしている」
思考を遮るように不機嫌な声がかかる。その思わず裸足で逃げ出したくなるような声の主はなんとびっくり俺の飼い主様だ。
「お、お兄さん誰?」
男の子がエンリエの不機嫌さに恐れをなして、一歩後ずさりながら警戒心を露わにする。
うん、怖いよな。でも別に君に怒っているわけではないと思うから落ち着いてほしい。子供の力といえど、抱える腕に力が入っていてそこそこ痛い。
「ソレの主だ」
ソレ呼ばわりされた。気持ちは分からなくもないが、今回の俺は何も悪くないぞ。前に鳥に連れ去られた時もそうだが、俺が悪くないときだってある。時々な。
「お兄さんが……? 本当に?」
男の子はエンリエを怪しんでいるようだ。雰囲気が怖いからな。不審者扱いされてやんの。ぷぷぷ。
さらに雰囲気が怖くなった。周りの気温も下がったような気がして、思わず尻尾を丸める。
「やっぱり違うんでしょ! ほら、この子怯えてるよ!」
おっとしまった。男の子の不信感を煽ってしまった。ごめん、ごめん不可抗力。
いつもにも増して不機嫌なエンリエが悪いんだからな。きゃんきゃん。
「怯えていようが何だろうが、ソレの主は俺だ。返せ」
エンリエが奪い取るように腕を伸ばすが、男の子は身を捩って回避する。小柄な身体を活かした華麗なバックステップだ。
「ダメ! お兄さんには渡さない! この子は僕が連れて帰るの!」
とんでもないことを叫んで男の子は泣き出してしまった。
わんわんと声を上げて泣く姿に周囲の視線が集まる。完全に子供をいじめて泣かせてしまった図にしか見えない。やっちまった。
「あの……」
爺やが困ったように声を上げる。
「ひとまず落ち着けるところへ移動するのはいかがでしょうか」
男の子の泣き声が響く中、エンリエの深い深いため息が聞こえたような気がした。
「はい、あーん」
ニッコニコ笑顔の男の子が一口サイズにしたタルトを差し出してくる。横から痛いほどの視線を感じながらも、その美味しそうな見た目につい口を開けてしまう。
もぐもぐ。うまー。クリームの甘さとベリーの酸味がたまらん。
「はい、もう一口。あーん」
促され、先ほどよりも大きな口を開けて頬張ってしまう。美味しいは正義だ。
「おいしい? うちのシェフはね、すごーく料理がとくいなんだ」
自分のことのように男の子が胸を張る。微笑ましい姿だ。微笑ましい姿なのだが、状況を考えるとあまりまったりと愛でている場合ではない。
あの後は結局、男の子が俺を抱きかかえたまま泣き止まず、近いという理由で少年の家に招待されることになった。
家に帰ったあともグズグズしていた男の子は目の前に甘いものを出された瞬間に泣いていたのが嘘のようにニッコニコの笑顔になり、現状に至る。
「……その、本当に大丈夫なのでしょうか」
傍に控えていた爺やが、小さくエンリエに声をかける。犬が人間用の甘味を口にしていることを心配しているようだ。
まぁ、普通に考えればアウトだな。是非ともこの男の子に他の子犬に間違ってあげないように注意してあげてほしい。
「問題ない」
眉間に深い皺を刻んだエンリエが冷たく応える。
その雰囲気に臆してか、、紅茶を淹れたメイドが顔色を悪くしている。可哀想だが、自分が元凶であるためフォローできない。火に油を注ぐことにしかならないだろう。
「そうですか……」
心配そうにこちらを見ながらもそれ以上の追求を止める。飼い主が良いと言っている以上、引き下がるしかない。しかも、今は坊ちゃまの我儘に巻き込んでしまっている形だしな。
「こっちのタルトもおいしいよ。あーん」
新しく差し出されたチョコのタルトも美味しい。口を開けるだけで美味しいタルトを食べさせて貰えるなんて天国だ。
エンリエからの刺すような視線さえなければ。
「坊ちゃま。おやつを召し上がりましたら、きちんとお礼を言ってお別れしてくださいね」
爺やの言葉に、ニッコニコ笑顔だった男の子が一瞬で涙目に変わる。
「いやだ!」
「坊ちゃま! これ以上の我儘はいけません!」
「やだ! やだ!」
男の子が癇癪を起して地団駄を踏む。俺を抱きしめて居なければ、そこら辺の物を投げつけていそうだ。
爺やが説得しようとするが、男の子のイヤイヤが酷くなる一方で、とうとう我慢できなくなったのかエンリエが声を上げる。
「――おい。ソレは俺の使い魔だ」
大きな声ではないが、冷たく鋭い響きに男の子と爺やの口が閉じる。
男の子は、驚いたように涙で濡れた瞳をこちらに向ける。
「……使い魔、なの?」
「わふぅっ!」
問いかけに元気よく返事をする。
そうそう、あの不機嫌でおっかない人の使い魔です。
「使い魔……。そう、なんだ」
今度は涙こそ流さなかったが、眉をハの字にして男の子が悲しそうな顔をする。
男の子はそのまま、何かに耐えるようにギュッと抱きしめ身動きしない。先ほどと違い、強い拘束では無かったが、男の子が落ち着くのを大人しく待つ。
そして、しばらく経ってようやく男の子は腕の力を緩めた。
「明日。明日まで一緒に居たいよ」
必死な男の子のお願いに今度こそエンリエの深い深いため息が聞こえた。
泣く子と地頭には勝てぬと言うが、エンリエにも当てはまるのか明日の朝までならと非常に不服そうに譲歩した。
「ふわっふわだね」
美味しい夕飯を堪能し、お風呂で綺麗に洗ってもらい、しっかりと乾かされたおかげで毛並みがふわふわになった。エンリエ以外に洗ってもらうのは初めてだったので、少しドキドキしてしまったが、爺やがちゃんとフォローしてくれたおかげで快適に終えることができた。ありがとう爺や。長生きしてくれ。
「おやすみ、爺や」
爺やに挨拶をして、男の子が部屋の扉を閉める。今日は男の子のお願いで一緒に寝ることになった。エンリエはゲストルームで一夜を過ごすらしい。
ようやく長い一日が終わろうとしているが、エンリエがずっと不機嫌なので安眠できる気がしない。
感情を共有しているってこういう時に不便だと思う。だからと言って感情共有をオフにしたいかって言われると困ってしまうが。
「……爺や、行ったよね」
扉を閉めた男の子がその場を離れずに、扉に耳を当てて爺やが立ち去るのを確認している。何をしているのだろうか。
外に人が居なくなったのを確認した男の子は、閉めた扉を再びそっと開ける。うん?
「シーだよ」
男の子が静かにしてねと人差し指を口の前にあてる。どうでも良いがこの仕草はどこの世界でも共通なのだろうか。
男の子は周りに注意しながら暗い廊下を静かに進む。暗いのが怖いのか、抱きしめる手に力が入るが、歩みを止めることはない。
しばらく歩き、ある部屋の前で立ち止まる。そっと扉を開いて中に入ると大量に本が並んでおり書斎だとわかる。小さな窓から入る月明かりだけでは薄暗くてよく見えないが、近くにある本のタイトルを見る限り『使い魔』についての本が大量に置いてあるようだ。
ここの主――おそらく男の子の父親は『使い魔』に深い興味を抱いているのだろうか。
「あった」
何かを探していた男の子が、目当ての物を見つけたのか小さく嬉しそうな声を上げる。
男の子は折りたたまれた大きな紙を床に広げるとその上にそっと置かれる。
この紙は何だろう。びっしりと模様が描かれて――いや、違う。模様じゃない、これは文字だ。
「お兄さんの使い魔のままだと一緒に居られないもんね」
男の子が呟くと同時に文字が光りだす。
咄嗟に逃げ出そうとするが、それよりも早く見えない壁に行く手を阻まれる。この感覚に覚えがある。初めてエンリエに呼び出された時と同じだ。焦っていると、何かが無理やり引きはがされるような感覚に歯を食いしばって耐える。
「――エンリエ……っ!」
叫んだと同時に爆音が響き、突風にあおられた身体が本棚に激突する。それだけでも結構痛かったが、その衝撃で落ちてきた分厚い本が頭の上に直撃し、悶絶する。
うぉぉぉお! イタイ、本気で痛い。お星さまが飛んでる。
「……何をしている」
エンリエが今までに聞いたことがないレベルで低く問いかけるが、痛すぎてズキズキする頭を前足で押さえたまま動けない。最も痛みが無くても恐ろしくて顔を上げられないが。
「何の騒ぎですか!」
爆音に驚いた爺やが血相を変えて現れる。爆風で色んな物が吹っ飛んだ書斎を見て声を失った。
「こいつが使い魔の契約を勝手に解除しようとしたんだ」
エンリエが部屋の隅に吹っ飛んでいた魔法陣が描かれた紙を拾って爺やに押し付ける。察した事実に爺やは声どころか顔色まで失った。
「爺や……」
あの爆風でも怪我一つない男の子が爺やを呼ぶ。偶然ではなくエンリエが守ってくれたのだろう。そういう配慮ができるのなら是非こちらにも分けてほしかった。まだ頭がクラクラする。
男の子に呼ばれた爺やは、ハッと意識を取り戻し、男の子の方へ近づく。
そして男の子の頬を強く叩いた。
叩かれた男の子は何が起こったのか分からないのか、呆けた顔で爺やを見つめる。
「旦那様が仕事であまりお戻りになれず、寂しい思いをしているだろうと甘やかしたのが間違いでした。坊ちゃま、貴方はしてはいけないことをしてしまった」
爺やが厳しい顔で男の子に話をしているシリアスな状況の中、首根っこを掴まれる。
「行くぞ」
え? この状況で行っちゃいます? 足をプラプラさせながら顔を上げると見たことのないレベルでエンリエの眉間に刻まれた深い皺にそっと目を逸らす。
「エンリエ様、この非礼は改めて――」
「関わらなければそれで良い」
口外に余計なことはするなと伝えると爺やは心得たように深く頭を下げる。
それを横目で見届けてエンリエは屋敷の出口へ速足で向かう。首根っこを掴まれたまま早歩きをされて、ブラブラと揺れる。
ちょ、まだ頭のダメージが回復してな――……はい、何でもありません。大人しくしています。
エンリエは眼光で人が殺せるのではないだろうか。
夜も遅いため、そのまま近場の宿へ行き、チェックインを済ませると部屋に入った途端にベッドに乱暴に投げ捨てられる。ベッドのスプリングのおかげで痛くはないが、大きく弾んでベッドの縁に転がる。落ちる寸前で何とか布団にしがみ着いて止まるが、安心したところで布団がズレ落ちて結局床に尻から落ちる。
情けない気持ちになるが、放り投げた本人はそんなのお構いなしに、反対のベッドの縁に乱暴に腰を下ろしてこちらを見ない。
背を向けられた状態なので表情は分からないが、背中だけでも不機嫌なのが痛いほど伝わってくる。感情も共有してるしね!
「……く、くぅん」
無駄と思いつつも全力で甘えた声を出してみるが、ピクリとも反応しない。
「くぅん、くーん」
エンリエの背中に額をグリグリしてみるが、こちらも無反応。
……何だろう、俺が悪いのだろうか? 被害者な気もするのだが。うーん。でも、俺が居なければこんな面倒には巻き込まれていないだろうから、俺が悪いと言えば悪いのだろう。
このままでも話せるが、ちゃんと話した方が良いだろうと人型になる。
「エンリエ」
人型になったことに気付いているだろうに、それでも反応しないエンリエに少し緊張しながら声をかける。
「その……ごめん」
何と言っていいのか分からず謝罪の言葉を口にすると、エンリエがやっとこちらを見た。だが、怒りが解けたとは到底思えない様子だ。
「お前は、何に謝っている?」
感情を押し殺したような低い声で尋ねられ、目線が泳ぎようになるのを我慢して答える。
「面倒に巻き込んだこと」
「そうだな。それで?」
続きを促されるが困る。それでって何を言えば良いのだろうか。
「お前は俺が何に一番腹を立てていると思っているんだ?」
一番? エンリエが今回のことでここまで腹を立てた原因。
「……うっかり契約解除されそうになったこと」
「本当にな。そこは大いに反省しろ」
かなり腹を立てているようだが、正解では無いらしい。
「予定通りにいかなかったこと」
「それはお前と居る時点である程度諦めている」
え、そうなの? 諦めた上でいつもあんなに怒ってるのか。余計なことを考えたら、即座に睨まれた。感情を共有しているだけなのに相変わらず察しが良すぎる。
「子供の相手をさせたこと?」
「俺は別に相手にしていない」
「じゃあ、こんな宿に泊まることになったこと?」
「腹が立たないとは言わない」
どれも正解では無いらしい。他には何だろうかと悩んでしまうと、エンリエが苛立ったように息を吐く。
「お前は余計なことやどうでも良いことには頭が回るくせに、肝心なときに駄目だな」
酷い謂れようだと思ったが、今回は分が悪いので黙っていよう。
「お前は誰の使い魔だ?」
答えの分かり切った問いかけに首を傾げる。
「エンリエの」
それ以外の回答は存在しない。
「だったら――」
胸倉をつかまれ、苛立ちをぶつけるかのように噛みつかれる。
「誰にでも尻尾を振るな」
言いたいことは言ったとばかりにエンリエはこちらに背を向けてベッドの中に潜ってしまう。
それを口元をおさえたまま、呆然と見つめる。
――え? え!?




