第15話:迫る牙と影のチェス
シルフィード領からの冷酷なまでの拒絶通知と、引き裂かれた書簡を持ち帰った使者から報告を受けたジョセフ王太子は、顔を真っ赤にして激怒した。
「生意気な女め! たかが追放された悪役令嬢の分際で、余の慈悲を足蹴ににするとは……! 力を示さねば、己の立場というものが理解できんようだな……!」
狂気とプライドに囚われたジョセフは、ついに正気を失った決定を下す。
「王国騎士団および徴集兵、計三千を即座に動かせ! シルフィード領を武力で鎮圧し、反逆者エレノアを捕縛せよ! 領内の財宝と生産設備はすべて我が王室が接収する!」
財政難で兵士への給与支払いすら滞っているというのに、ジョセフは国庫に残された最後の資金を叩いて遠征軍を編成した。力ずくでシルフィード領の富を奪い取り、自らの権威を示そうという浅はかな武力行使である。
◇
一方、その報告は瞬く間にシルフィード領の領主執務室へと届いていた。
「エレノア様、王国軍約三千がこちらに向かって進軍を開始いたしました。我が領地の境界線に到達するまで、およそ数日かと……!」
報告に訪れたリザの顔は青ざめていた。人口一万人を超えたとはいえ、シルフィード領は経済都市であり、本格的な軍隊を保有しているわけではない。
「王国軍三千ね……。自国の財政が破綻寸前だというのに、軍を動かす余力だけはあるなんて、どこまで愚かなのかしら」
私はデスクの前で深々と溜息をついた。戦い(コスト)を生み出すだけの無謀な遠征は、経営の観点から見れば最低の愚策だ。
「エレノア、心配はいらないよ」
静かに声をかけてきたのは、最高治安責任者(CSO)のアークだった。彼は動じる様子もなく、むしろ冷徹な笑みを浮かべて私の隣に立った。
「アーク? でも、我が領地の警備隊だけでは三千の大軍を受け止めるには数が……」
「我が領地の兵を危険に晒す必要すらないさ。エレノア、私に任せてくれないか?」
そう言うと、アークは懐からずっしりと重みのある紫紺の革ケースを取り出し、テーブルの上へと置いた。彼がそれを開くと、中から眩い光を放つ紋章が姿を現した。
それは、大陸最強の大国・レヴィア帝国の「皇室紋章」だった。
「これは……!?」
「驚かせてすまない。私の本名はアーク・レヴィア。レヴィア帝国第3皇子だ」
アークは静かに自らの正体を明かした。
「身分を隠して巡察の旅に出ている途中で、君と出会った。……エレノア、君とこの街を守るためなら、帝国の全戦力を動かす用意がある」
アークの深く澄んだ紺色の瞳には、一国の皇子としての圧倒的な覇気と、私に対する揺るぎない情熱が宿っていた。
「君がこの一年で築き上げたシルフィード領は、我がレヴィア帝国にとっても代えがたい最重要の経済パートナーだ。それに……君という存在は、私にとって何よりも尊い」
まっすぐに注がれる彼の熱い視線に、胸がトクンと跳ねる。
「アーク様……貴方、本当に皇子様だったのね……」
「すまない、騙すつもりはなかったんだ。だが、君を害しようとする愚者どもに、相応の報いを受けさせる時が来たようだ」
アークは専用の通信魔導具を取り出し、帝国本土の軍司令部へと速やかに指示を出した。
『レヴィア帝国軍第1騎士団および重装甲兵団、直ちにシルフィード国境沿いへ展開せよ。目的は、我が帝国の最重要パートナー・エレノア殿の保護、ならびに不法侵入者の迎撃である』
圧倒的な経済力(エレノアの戦略)と、大陸最強の軍事力。
「アーク様、帝国軍を動かしてくださるなら……私からも『最高に効率的なプレゼント』を用意するわ」
私はニヤリと口角を上げ、前世の戦略コンサルタントとしての頭脳をフル回転させた。
「敵の補給路、資金源、流通……すべてを戦う前に遮断してあげる。戦わずに勝つのが、最高の経営戦略だもの」
「フッ、頼もしいね。君と私で、あの愚かな王太子に完璧なチェックメイトを突きつけてやろう」
盤面はすでに完成していた。進軍を開始した無能な王国軍を待ち受けるのは、絶望という名の完璧な罠だったのだ。




