4話 プロローグ セレナ2
再び、ラホ村の見張り台から緊迫した叫びが響き渡った。
「魔物だ――!! 今度はニ、ニードルアーマーだぁ!!」
その声は、村全体の空気を一瞬で凍りつかせた。
風が止まり、土埃がゆっくりと沈む。
村人たちの顔から血の気が引き、ざわめきが波のように広がる。
村長がすがるようにバルトへ向き直った。
「商人さん、私たちはあなたを信じていますぞ!」
「だ、だいじょうぶ。私の雇った冒険者は銀等級ですから……」
バルトは笑顔を作ったが、喉がひくついていた。
その背後で、冒険者たちはすでに腰が引けている。
「バルト、早いとこずらかろうぜ。もたもたしてたら俺たちもおっちんじまう」
冒険者の低い声に、バルトの顔が歪む。 焦りと恐怖が混ざり、額の汗が一筋、顎へと落ちた。
「……よし今のうちに攫える奴を見繕って、とっとと逃げるぞ」
その目は、もはや商人ではなく“獲物を探す獣”のそれだった。
バルトの視線が、一組の親子に吸い寄せられる。
その時――
「大変だーー!! さらにニードルアーマーが二匹、森からこっちに向かってきている!!」
「あと二匹だって!? もうおしまいだぁ!!」
村長は半ば錯乱し、村人たちは泣き叫び、逃げ惑う。
悲鳴、怒号、泣き声――すべてが混ざり合い、村は完全な混乱に陥った。
バルトはその混乱を見て、口元を歪めた。
(……今だ)
うろたえていた親子が、押し合う人波に弾かれて転んだ。 母親が子を抱き寄せ、必死に立ち上がろうとする。
バルトは素早く近づき、袖の中から小瓶を取り出した。 中には、気絶させるための“眠り香”が詰まっている。
「悪いな……運がなかったと思えよ」
小声で呟き、親子の鼻先に小瓶を押し当てる。 母親が驚いたように目を見開いたが、すぐに力が抜け、子供と共に崩れ落ちた。
「よし……!」
バルトは二人を肩に担ぎ上げると、魔物が迫る方向とは真逆――村の裏手へと走り出した。
背後では、村人たちが絶望の叫びを上げている。
「ニードルアーマーが来るぞ!! 逃げろぉ!!」
その混乱が、バルトの逃走を完全に覆い隠していた。
(へっ……勝手に信じて勝手に死んでろ。俺は“秘密”さえ手に入ればそれでいいんだよ)
バルトは獣のような笑みを浮かべ、村の外へと消えていった。
「ニードルアーマー三匹と戦うなんて……自殺行為だ……もう運を天に任せて、来ないことを祈るしか……」
誰かがつぶやいた弱音を、セレナがきっぱりと切り捨てた。
「運なんて不確かなものに未来を委ねるのは嫌。未来は自分で勝ち取るものだよ!」
その瞳は、恐怖を押し潰すほど強く燃えていた。
そこへ、別の村人が血相を変えて駆け寄る。
「村長! リリアナさんと娘のミレイちゃんの姿が見えません!」
さらに別の村人が、魔力のこもった魔誘香を手に報告する。
「村長、魔誘香が……魔力を込められた状態で置いてありました。それと……あの旅商人と冒険者の姿がありません」
「きっと逃げたんだ!!」
「それよりニードルアーマーをどうするんだよ!!」
誘拐と魔物襲来が同時に起こり、村長は完全に混乱していた。
額から汗が滴り、口は開くが言葉が出ない。
その時――セレナの声が村のざわめきを切り裂いた。
「師匠! リリアナとミレイちゃんのこと、頼んでいい??」
どこに潜んでいたのか。 青い瞳、黒髪、白手袋。
ヴァレリーニ家の家紋が刺繍された執事服の青年――ヴェレノが、影からすっと姿を現した。
「……いいけど、あの旅商人は殺っちゃっていいのかい?」
「ダメ!!」
「ダメなのかい?」
「うん! お父さんとお母さんが、どんなに悪い人でも殺しちゃダメって言ってた!」
ヴェレノは少しだけ目を細め、肩をすくめる。
「……それを貫きたいのなら、相応の努力が必要だよ。 ん〜……ニードルアーマー三匹で村の鐘が四つ鳴る頃かな。 それまでに魔物を倒してボクを止められれば殺さないでおくよ、それでいいかい」
「分かった!」
セレナは地を蹴り、森へと駆け出した。
その背中は小さくても、誰よりも頼もしかった。
「さて、こっちも行くか。大口を叩いてリリアナたちが殺されちゃったら、セレナが泣くからな」
そう呟くと、風を裂く速度で街道を駆け抜けた。
森に入った瞬間、空気が変わった。
湿った土の匂い、ざわめく木々、遠くで響く低い唸り声。
グァ! グァァァァ!!
ニードルアーマーがセレナに気づき、甲殻を震わせて威嚇する。
地面がわずかに揺れ、針が光を反射して不気味に輝く。
だが、セレナは一歩もひるまない。 短剣を抜き、一直線に踏み込む。
「宵闇切断!」
ザシュッ!!
一匹の甲殻が裂け、黒い血が飛び散る。
怒り狂ったニードルアーマーが魔力を高め、針を乱射した。
ドドドドドドドドッ!!!
空気が裂け、針が雨のように降り注ぐ。 セレナは最小最速の動きで避け続ける。
針が頬をかすめ、髪を切り裂き、地面に突き刺さる。
傍から見れば、針が身体を貫いているように錯覚するほどの紙一重。 ニードルアーマーも混乱していた。
傍目には、針が身体を貫いているようにすら見える紙一重の回避。 その異常さに、ニードルアーマーの動きがわずかに乱れた。
本来なら、どんな敵でも即死していたはずの必殺の連射。 それをセレナは、まるで散歩の延長のように迫ってくる―― そう錯覚させるほどの余裕すら漂わせていた。
魔力が尽き、甲殻の輝きが鈍った瞬間。 セレナは一気に踏み込み、短剣を背中へ深々と突き立てる。 ニードルアーマーの瞳から光が消え、巨体が崩れ落ちた。
「あと二体……あうっ!」
何かに殴られたような衝撃。 視界が回り、地面を転がる。
(なに? なにに吹っ飛ばされた!?)
起き上がると、巨大な岩が転がっていた。 ニードルアーマーが尻尾で飛ばしたのだ。
残りの2匹は、魔力を温存するため針ではなく岩を飛ばしてきたのだ。
本来なら戦い方を変えるべき状況。 だが――セレナはおバカだった。
(岩が避けられないなら……もっと速く動いて全部避ければいい!)
迷いが消え、瞳に覚悟の光が宿る。
ドゴッ! ゴガッ! ガン!
岩が次々と飛んでくる。 セレナは1つ、2つ……と見切って避ける。
だが――
ごすっ!
8つ目の破片が腕に当たった。 しかしセレナは倒れてもすぐに起き上がり、また走る。
14、15……ドゴッ!
16個目が左足に当たり、転倒。
ぼごっ! ガッ! ドサッ…… それでもセレナは立ち上がり、走り続ける。
27、28――
ついにニードルアーマーの目前へ。
1匹が尻尾で吹き飛ばそうとするが、セレナが避けた結果、もう1匹に直撃した。
ゴアァァァ!!
ぐるるるる!!
2匹は互いを敵と誤認し、激しくぶつかり合う。 その隙間をセレナが駆け抜けるたび、深い傷が刻まれていく。
ブシッ!!
大きな血しぶきが上がり、2匹のニードルアーマーはゆっくりと倒れた。
「ふぅ……つっかれたぁ~~」
セレナは地面に大の字で倒れ込む。
「はっ! こうしてる場合じゃない! リリアナとミレイちゃん!!」
セレナはすぐに立ち上がり、ヴェレノの後を追った。
――セレナが心配しているのは、ヴェレノではなくバルトたちの身の安全だった。
「はぁはぁ、ここまでくれば……」
「今頃、こいつらがいない事に気づいても、もう遅い」
冒険者が担ぐズタ袋から、くぐもった声が漏れる。
「んーんーー!」
バルトは苛立ちを隠さず、袋を乱暴に蹴りつけた。
「ダニエルの奴があの村の御用達の商人になってから出世が半端ない。何か秘密があるはずだ。お前が知っている事を全部吐け!」
袋の口が開き、リリアナが顔を出す。
「ぷはっ! なによ、秘密!? そんなもの貧乏村にあるわけないじゃない!!」
その瞬間、バルトの顔が怒りで歪んだ。
「そんな訳ねえ!! 絶対に何かあるはずだ、さっさと吐け!!」
その時森の奥で、重く低い音が響いた。
――ゴォォォン……ゴォォォン……!
村の鐘だ。 ニードルアーマー三匹が現れた時にセレナと決めた“最悪の合図”。
その音を聞いた瞬間、ヴェレノの足が止まった。 暗い森の中、彼の青い瞳が細くなる。
「……鐘が四つ。つまり、“殺していい”ってことだね」
背後から聞こえた声に、バルトたちは一斉に振り向いた。 そこには、執事服の青年――ヴェレノが静かに立っていた。
白手袋の指を軽く鳴らす仕草は、まるで“これから掃除を始める”かのように冷たい。
「なんだ、てめえは」
「関係ない奴は、とっとと失せやがれ!!」
冒険者たちの言葉に、ヴェレノは一切動じない。
逆に、彼の放つ尋常ではない殺気に、冒険者たちの背筋が凍りつく。
「ひっひいぃ!!」
「くっ来るな、来るんじゃねえ!!」
バルトは腰を抜かし、必死に叫ぶ。
「や、やめろ……! 俺は商人だぞ!? 殺されるようなことは――」
しかしヴェレノは全く意に返さず
「誘拐と魔誘香の使用は、殺される理由として十分だよ」
ヴェレノが一歩踏み出す。 その瞬間、空気が凍りついた。
白手袋の指先が、バルトの喉元へ伸び――
「師匠!! ダメぇぇぇぇ!!」
風を裂く音。
セレナが飛び込むように割って入り、ヴェレノの腕を両手で抱え込んだ。
「セレナ……?」
「ダメだよ! 商人さんたちを殺しちゃダメ!!」
息を切らし、泥だらけで、傷だらけで。
それでもセレナは必死にヴェレノの腕を押さえていた。
ヴェレノは呆れたように眉をひそめる。
「……こいつらに命を助ける価値なんてあると思うの?」
「ちがうよ、こんなやつらの為に師匠が人殺しになっちゃう事がいやだ!」
ヴェレノは一瞬、言葉を失った。
(……”ボクが人を殺さなくてよかった”って顔してる……)
セレナは涙目でヴェレノの手を握りしめた。
「師匠が人を殺したら……私、悲しいよ……!」
その言葉に、ヴェレノの表情がわずかに揺れた。
「……君って、本当に……」
小さくため息をつき、ぽつりと呟く。
「底抜けのお人よしの性格は……父親の影響ですか?」
セレナはきょとんとした顔で首をかしげる。
「え? お父さん? どういうこと?」
「いや、なんでもないよ」
ヴェレノは微笑むように目を細め、セレナの頭を軽くぽん、と撫でた。
「リリアナとミレイちゃんは無事だよ。君が来る前に助けておいた」
「ほんと!? よかったぁぁぁ!!」
セレナはその場でへなへなと座り込み、胸を撫で下ろした。
ヴェレノはそんなセレナを見下ろしながら、心の中で静かに呟いた。
「そうだ、村を魔物から守った英雄さんに、アランさんからの手紙だよ」
「お義理の父さんから?」
手紙には、たった一行。
「「中央学園へ行き、立派な淑女の勉強をしてきなさい」」
「えーー!?学校なんてめんどくさいなぁ!」
愚痴を言いながらも手紙を読むセレナの瞳は希望で溢れていた。




