32話 教会の秘密2
バレリーニ領とラホ村のちょうど中間に、ひっそりと小さな教会が建ってる。
昼間は巡礼者もまばらで、古びた石壁と苔むした緑色の屋根が目立つだけの、どこにでもある田舎の教会だ。
教会の敷地の西側には、二つの塔が建っている。
手前の大塔は今も使われているが、奥にある小塔は長らく封鎖されており、入り口には立ち入り禁止の札が掛けられている。
しかし深夜。誰もいないはずのその封鎖された入り口からは、ろうそくが燃える微かな匂いが漂って来る。
月は雲に隠れ、周囲はほとんど闇。 風が止まり、森のざわめきすら消えた静寂の中、小塔の中に人の気配があった。
その暗がりの中で、二つの影が声を潜めていた。
一人は、教会の枢機卿。 彼はとある女性に異常なほど執着しており、彼女の名を口にするだけで目の色が変わるほどだった。
枢機卿が執着している女性とは、ラホ村の教会に仕えるシスター”フローネ”だ。
彼女は元々、教会のシスター候補だったが、ある日森で魔物に襲われたところをラホ村の領主である”アラン”に命を救われた。
その時から彼女は神父やシスター、特別な者だけがしか出来ない聖授の儀を扱えるようになった。
「くそぉ……あの村を神の敵に認定できれば、大義名分を持ってフローネを奪えるのに」
枢機卿が忌々しげに吐き捨てる。 その背後で、もう一人の影が静かに口を開いた。
「猊下、よい知らせがあります。ラホ村の”セレナ”という少女が中央学園入学したそうです」
その人物はフードを深くかぶり、顔は完全に陰に隠れて見えない。 ただ、周囲の空気がわずかに歪むほど濃い気配だけが漂い、聖職者とは到底思えない異質さを放っていた。
「それのどこがいい知らせなんだ?」
枢機卿が苛立ちを隠さず問い返す。
「その子供は、アランが養子にした少女のようです。 アランが行方をくらませてからは、“ヴェレノ”が護衛としてつきっきりでしたが…… 今は離れているようです」
「ふむ……」
枢機卿の目が細くなり、闇の中で冷たい光を宿す。
「その子供を使って、ヴェレノをラホ村から引き離せ。 奴さえいなければ、ラホ村からフローネを攫うことなど、たやすいからな」
「承知しました。 元から中央学園の生徒として潜り込ませています」
「……これで、フローネは手に入ったも同然だな」
枢機卿の言葉は小塔の暗闇に沈みながら、確かな悪意だけを残した。
「……今度は子連れですか? 私は関与しませんので、貴女がちゃんと面倒を見て下さい」
心の底まで冷え込むような声が、部屋の中に響いた。 その声にセレナがビクッと肩を震わせる。
声の主はルームメイトのフローネだ。 女性にしては高い背が相まって、威圧感が二割増しに感じる。
彼女は淡い青のセミロングをなびかせ、冷たい光を帯びた瞳がセレナと少女を見下ろしていた。 その目は冷たく、どこか軽蔑を含んだように見えていた。
「あっあのね、この子は訓練場にいた…… その、私について来た子で……」
セレナが説明に困って、言い淀んでいると、フローネが詳しい説明は結構とばかりに、ぴしゃりと拒絶した。
「説明は結構、学園長から話は聞いています。 私に関わらなければ自由にしてください」
「うっうん。 分かった……」
セレナがしぼんだ声で返事をすると、フローネはふと少女へ視線を向けた。
「……とは言え、名前もわからないよようでは困ります。 この子名前は?」
「あ、えーと……」
セレナが気まずそうに視線を泳がせる。 ここにきてようやく、まだ少女の名前を聞いていなかったことに気づいたのだ。
その瞬間、フローネの視線が絶対零度まで冷え込んだ。
「……ミリア」
言い淀んでいたセレナの横で、少女が名前を言った。
「そっ、そうミリア、ミリアって言うの。 あははは……」
セレナは慌てて笑いながら補足するが、フローネはなにも言わず、淡々と返した。
「……承知しました」
「な、何か言ってよぉ! 何も言われない方が怖いんだよぉ!」
「…………… はぁ。 承知しました、ミリア……さんですね」
ゴ~~ン! ゴ~~ン!
フローネがミリアを一瞥して、部屋を出て行くとすぐに午後の授業開始を告げる鐘が鳴った。
「はっ! やばい、また遅刻しちゃう。 ミリア、行くよ!」
少女――ミリアはセレナの後に続いて教室へ向かった。
教室に駆け込むと、すでに友人たちが席に着いていた。
「おっ来た来た、セレナ、遅ーい! 授業始まっちゃうよ」
「ごめんごめん、ミリアの事をフローネに説明してて、ちょっと遅くなっちゃった」
「ミリム…ちゃん?」
「うん、名前が分かったから」
「そっか、名前分かったんだね。 学園長から聞いていたけど、本当に私たちと変わんないね」
アウレリアとミアが、まじまじとミリアを見つめる。 興味津々というより、珍しいものを観察するような視線だ。 それをエミリアが二人を横目で見ながら、ぴしゃりと窘めた。
「二人とも、よしなさい。失礼ですよ。 ……でもこの子、聞き分けがよさそうですね。 ミアとは大違いです」
「あ――、エミっち、ひどいっす!!」
ミアが両手をぶんぶん振って抗議する。
四人+一人の雑談を、少し離れた場所からじっと見つめる影があった。 ストーカー……いや、女生徒のリーナ・メルヴィである。
彼女の目はセレナだけを映していて、吸い寄せられるように離れない。
その瞳は、焦点が合っていないトロンとした光を宿していて、周囲の喧騒など一切耳に入らず、セレナの姿だけが世界の中心になっている。
「あああ……セレナさん……ご無事でしたのね……」
リーナの胸の奥から漏れた声は、セレナを死なせてしまったかもしれないという底なしの絶望に沈んでいたのだ。 だが今、自分の視界の中に、確かにセレナが“生きて”立っている。
その事実が、安堵と歓喜と切望、そして恋情までもが混ざり合って気持ちが溢れていた。
セレナが笑えば、リーナの心臓も跳ねる。
セレナが走れば、リーナの呼吸も乱れる。
セレナが誰かと話せば、胸の奥がきゅっと痛む。
――他のものは、もう目に入らない。
リーナの視界には、セレナの後ろ姿だけが、淡い光をまとって揺れていた。
読んでいただきありがとうございます。面白いと思ったら星の評価を貰えると嬉しいです




