25話 属性アップ訓練(巌王編)2
地下の巨大迷路は、まるで息をひそめたように動きを止めていた。
足元には乾いた砂利と、ところどころに黒く湿った土が混じり合い、踏むたびに微かな音が空間に響いた。
入り口付近は外からの光が僅かに差し込み、岩壁の輪郭だけは辛うじて見える。 だが数歩進むと、光は急激に弱まり、完全に消える。 そこから先は、闇が全てを支配する空間だった。
足元には大小の裂け目があり、深いのか浅いのか分からない穴がぽっかりと口を開けている。 風はほとんど流れず、空気は重苦しく、湿り気を帯びていた。
「きゃっ! ちょっと、誰よ今お尻触ったの……!」
「うおっ、 気を付けろ! ここ、地面に穴が空いてるぞ!」
「ここって……どこだよ、もう全然見えねぇ……」
不安を紛らわせるためなのか、普段より口数の多い生徒がやたらと喋り続ける。 声だけが暗闇に吸い込まれ、反響し、また不安を増幅させていった。
「アウレリアも暗いと進むの大変?」
暗闇の中、まるで夜目でも聞くのかセレナがよいひょいと暗闇の中を進んでいく。
「セレナさんはこの暗闇でも見えるように進めるのですね」
「平民!なにか灯りになる物はないんですの?」
「灯り??」
セレナは暫く首をかしげ、それから……
バンッ!!
迷いなく壁を思いきり叩いた。 乾いた衝撃音とともに、岩壁の隙間から小さな虫が潰れ、ぬるりとした体液が飛び散る。
次の瞬間、その体液がじわりと淡い黄緑色の光を放ち始めた。 まるで蛍の光のような、弱々しいが確かな明かりだ。
「……やっぱり、これ光るヤツだった」
セレナが何気なく呟いた顔と手のひらが、薄明かりに照らされる。
しかし壁を叩いたセレナの行動は、全く別の効果を生んでいた。
幼少の頃から蝶よ花よと家族に溺愛され、何不自由なく育てられてきたリーナ・メルヴィの鼓動が――
早鐘を……打つ、打つ、打つ。 その速さたるや、もはやエイトビートの暴走ドラム。
(な、なにこの胸の高鳴り……っ! 暗闇の中から突然見えた腕は、ワタクシを抱き寄せるように…… えっ、えっ、そんな……そんなの……)
顔を真っ赤にしたリーナがセレナの横顔を盗み見る。 飾らない凛々しさが、光に縁取られて浮かび上がる。
(か、かっこいい… よすぎますわ……! いえ、違いますわ! 平民のくせに、なんでそんな…… でも……でも……っ)
胸の奥が熱くなる。 ぼーーー……
呼吸が浅くなる。 ぜえぜえ……
足が少し震える。 がくぶる……
(ワタクシ……平民にときめいてますの!? い、いえ、違いますわ! これはただの驚きで……驚きで……っ!)
リーナは真っ赤な顔を隠すように、勢いよくセレナから視線をそらした。
しかし動揺しすぎて、足元の小石を蹴ってしまう。
ガンッ!
リーナの蹴った小石はワー〇ドカップ決勝で逆転ゴールのごとく、迷路の壁に激突し全体を揺らした。
「い、いったぁ……!」
「大丈夫? リーナ」
セレナが心配そうに覗き込む。 その顔は淡い光に縁取られ、ふわりと柔らかく輝いて見えた。 瞳は宝石のように澄んで、まつげはやけに長く、頬のラインは優しくて…… まるで美の女神が作りたもうたかのようだった。
(ひゃああああああああああああああああっ!! ち、近いですわ近いですわ近いですわ!! なんでそんな優しい声で……っ! ワタクシの心臓が持ちませんわ!!)
リーナは慌てて胸を張り、貴族らしい余裕を装おうとする。
「べ、べつに驚いてなどいませんわ! ただ……ええと……その……暗闇で転ばないように、平民の動きを観察していただけですの!」
「えっ、そうなの? なんか顔赤いよ?」
「赤くなんてありませんわーーっ!!」
リーナが全力で否定した。 だが声が裏返り、余計に怪しい。
(落ち着きなさいワタクシ! 平民相手に取り乱すなんて…… でも……でも……さっきの壁ドン…… あれは……あれは……っ)
思い出した瞬間、また顔が熱くなる。
「リーナ、本当に大丈夫? なんか息も荒いし……」
「だ、だいじょうぶですのっ!! ワタクシはただ……ただ…… ちょっと疲れただけですわ!!」
「…疲れてるの? じゃあ休憩していく? それとも手、握っておく?」
「な、なななななななななななななっ!? きゅっ、休憩!? け、結構ですわーーーっ!!」
リーナの悲鳴が迷路に響き渡る。 その声に、近くの生徒たちが振り返った。
「……え、今の声、リーナ嬢じゃね?」
「なんか……めっちゃ取り乱してなかった?」
淡い発光虫の光が、セレナとリーナの距離をぼんやり照らす。 その距離は――どう見ても近い。
「ちょ、ちょっと待て……あれって……」
「なんか二人の距離……近くね?」
「いやいやいや、リーナ嬢って言えば気位が高い事で有名だぞ……!」
「でも見ろよ、リーナ嬢、顔真っ赤だぞ……!」
「えっ、なにそれ…… もしかして……恋……?」
ざわっ…… 暗闇の中、噂が一瞬で広がる。
(や、やめてぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!! なんでよりによってそんな誤解が……! ワタクシはただ……ただ…… 平民がすごく近くに来て…ドキッとしただけで……違いますわ違いますわ違いますわーーっ!!)
リーナは内心で絶叫しながら、必死に平静を装う。
「み、みなさん誤解ですわ! ワタクシはただ、そう、この不慣れな平民に、”どんな状況でも平静を保つ”心構えについて教えて差し上げていたのです!」
「なーんだ、そうだったんだ」
「そうよね、リーナさんがただの平民に動揺するなんて、ありえませんよね」
「もっ、勿論ですわ! ワタクシがこんなちんちくりんな平民ごときに…」
「ちんちくりん? 私、小さい?」
セレナがしゅん、と肩を落とした。 その仕草がまた妙に可愛くて、リーナが心の中で必死に弁解した。
(ああああ!!違うんです違うんです! セレナさんは愛らしいんです! 毎晩抱きしめて一緒に寝たいくらいですわ!!)
リーナの心の叫びは、もはや絶叫に近かった。
そんなリーナの混乱など露知らず、セレナはふと思い出したように手のひらを広げる。
「そういえば、ほら。 この虫をプチッと潰すと、中の体液をつけるだけで暗闇でも少し明るくなるんだよ」
セレナが発光虫の体液がついた手のひらを、至近距離で、ためらいなく、リーナの目の前に差し出した。
リーナの視界いっぱいに広がる、潰れた虫の残骸とセレナの手。
「ひっ! ぎゃああああああああああああ!!!!!!!!」
リーナはその場で気を失った。 迷路に、発光虫の淡い光と、リーナの悲鳴の余韻だけが残った。
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