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14話 ダリオ、光を失った日

 10年前、教会は“四神”に関する古文書の一部を公開した。


 そこには、世界はあるギフトによって創造され、そのギフトの持ち主が四体のぬしを生み出したと記されていた。

 四体の(ぬし)はあまりにも強大なため、普段は眠りにつき、世界に危機が訪れた時にのみ目覚める存在だという。

 さらに教会は、四体の(ぬし)は「自ら従う(ぬし)を選ぶ」と発表し、現在その候補として最も有力視されているのは、(ぬし)と同じ属性を持ち、かつ魔力値の高い者だと説明した。


 この発表をきっかけに、属性系ギフトを持つ家系は王家から厚遇されるようになり、その影響は子どもたちの世界──すなわち学園社会にまで及ぶこととなった。


 ロセッティ家は代々火属性のギフトを濃く受け継ぐ家系で、とりわけ長男にはその力が強く現れていた。 そのためロセッティ伯爵の関心は常に長男へと向けられ、ダリオがどれほど努力し、

「今日はこれができるようになった」と報告しても、伯爵は一度たりとも振り返らなかった。


 そして──教会の発表を境に、伯爵の価値観は決定的に変わった。


 伯爵は、ロセッティ家が“幸運にも火属性の家系である”ことを誇りとし、

「家の未来は四神選定にかかっている」


 すなわち “炎帝”の主に選ばれるかどうかがすべてだ と信じ込むようになった。


 四神の選定に関わるのは“属性”と“魔力値”。 それ以外は家の未来にとって無価値だと、伯爵は本気で思い込んだのだ。


 その結果、伯爵の目には 「火属性の魔力値が高い長男イグナーツ」 しか映らなくなった。

 ダリオがどれほど努力しようと、どれほど成果を見せようと── 伯爵はもはや、ダリオに視線すら向けなくなった。



 ダリオには兄がいた。

 兄イグナーツは誰の目から見ても優秀で、父の愛情は最初から最後まで兄だけに注がれていた。


 イグナーツは学園の魔法試験で 歴代二位の攻撃魔力値 を叩き出し、模擬戦では 一年間無敗、火属性適性は 最高ランクの“紅級”。

 王家から視察が来たことすらある、まさに“選ばれる側”の人間だった。


「父上、学園の魔法試験で攻撃力の最高値を更新しました」

「でかした。このままいけば“炎帝”の主の選定に、お前が選ばれるだろう」


 その会話の横で、ダリオは勇気を振り絞って口を開く。

「あ、あの……父上。僕も選定の儀で、火属性の──」


 だが、父は振り返りもしなかった。 まるでそこにダリオという存在がいないかのように。

 拒絶よりも冷たい、完全な無関心。 その沈黙が、ダリオの胸に深く突き刺さった。



 だが、ダリオが心を閉ざすことなく育つことができたのは、ただ一人── ロセッティ家で働くメイド、マリエル・ラングレーの存在があったからだ。

 九歳年上の彼女は、家族から顧みられないダリオにとって、唯一、自分を“見てくれる”大人だった。


 食卓で父や兄に無視されても、誕生日を忘れられても、努力を笑われても──  マリエルだけは違った。

 彼女はいつも膝を折り、幼いダリオと同じ目線に降りてきてくれた。 その柔らかな声で、そっと心を拾い上げるように言う。

「ダリオ様は、よく頑張っていますよ」


 兄と比較されて落ち込むたび、マリエルは必ず彼の隣にいてくれた。


「ダリオ様が()()になってイグナーツ様を超えれば、旦那様もきっと見てくださいますよ」


 その言葉は慰めだったのかもしれない。 けれど──幼いダリオにとっては、父の視線よりも、マリエルの微笑みの方がずっと大切だった。


「ぼ、僕が……一番になったら、マリエルは……う、嬉しい?」


 その問いは、幼い胸の奥に芽生えた“初めての特別な感情”の形だった。

 マリエルは一瞬だけ驚いたように目を瞬かせ、すぐに、春の陽だまりのような笑顔を咲かせた。


「もちろんです。ダリオ様が頑張る姿を見るのが、私はとても嬉しいのですよ」


 その温かさだけが、幼いダリオの世界をつなぎとめていた。 父にも兄にも与えられなかった“自分を見てくれる人”が、マリエルだけだったから。



 しかし──

 ダリオがギフトを授かった聖授の儀の日は、彼にとって最悪の一日となった。


「マリエルー!聞いてよ!僕ね、火属性の──!」


 いつものように儀式から帰るなり、ダリオは真っ先にマリエルの部屋へ駆け込んだ。 喜びを真っ先に伝えたい相手は、彼女しかいなかった。

 だが、扉を開けた瞬間── ダリオの世界は音を失った。


 部屋の中央で、マリエルは手首を切り、自ら命を絶った姿で横たわっていた。

 目に映る光景を、心が理解することを拒む。 脳が、現実を受け入れようとしない。


 その時、背後から兄の声が聞こえた。


「あーあー、もう死んじまったか…… でもまあ、あとくされがなくなったからいいかぁ」


 その声音は、まるで壊れた玩具を見下ろすような軽さだった。


 兄の言葉が耳に届く。

 だが、意味が頭に入らない。 理解したくない。 理解してはいけない。


 それでも兄は、いつものようにダリオを無視したまま、淡々と続けた。


「あの女、俺が抱いてやるって言ったのにさ。 男爵令嬢ごときが、一人前に拒みやがってよ。 ムカついたから、力づくでやってやったんだ」


 兄上は吐き捨てるように笑った。


「あと数回は遊ぼうと思ってたんだが……勝手に死んじまってさ。つまんねぇよな」


 その瞬間、ダリオの中で何かが音を立てて崩れた。

 家族に疎外されても、マリエルだけは自分を見てくれた。

 幼い自分の努力を拾い上げ、泣けば抱きしめ、失敗すれば励ましてくれた。


 その“唯一の光”を、この男は笑いながら踏みにじった。


 次の瞬間、ダリオの視界は赤く染まった。


 怒りでも、涙でもない。

 胸の奥底で、もっと暗く、もっと重たい“何か”が蠢いた。


 それは感情と呼ぶにはあまりに粗暴で、理性と呼ぶにはあまりに幼い衝動だった。

 授かったギフトが、その衝動に引きずられるように暴走したのだ。


 熱が走り、視界のすべてが赤く染まる。 しかしダリオの中では、世界は物音一つなくひどく静かだった。


 そこから先の記憶は、ダリオにはない。


 ただ一つだけ確かなのは── 父と兄は、火属性の魔術によって屋敷ごと焼き尽くされていた。

 マリエルを奪った者たちに、ダリオは授かったギフトで“報い”を与えたのだ。


 事件は、ダリオ家に恨みを持つ者の仕業として処理された。

 暴虐武人として知られた兄はあちこちで恨みを買っており、容疑者は数えきれないほどいた。

 世間は、兄と父に虐げられていたダリオに同情的だった。


 ──そして、その日を境に、ダリオは“火に呑まれる悪夢”を見るようになった。



「……またか。なんで、今になって」


 悪夢にうなされ、ダリオは息を呑んで目を覚ました。 胸は早鐘のように鳴り、寝台の上で額を押さえながら低く吐き捨てる。

 重い呼吸を整え、部屋を出ると、マルコとレオが並んで出迎えた。



「「おはようございます」」

 二人の挨拶に、ダリオは片手を軽く上げて応じる。

「レオ、ステラードとあの平民に負けっぱなしじゃあるまいな」

「も、もちろんですよ!」

「それならいい。いいか──何事も一番にならないと意味がない。それ以下はすべて無価値だ」


 あの日以来、ダリオは“二番以下”に価値を見いだせなくなった。

 一番を取ったときにだけ見せてくれた、マリエルのあの笑顔。 今の彼にとって、喜びと呼べるものは、その記憶だけだった。 

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