13話 カトレアの陰謀3
魔導音楽の授業は、いつも静かな調律の気配から始まる。
響律教室の壁には、魔力を帯びた五線譜が淡く流れ、空気そのものが音を孕んでいるようだった。
――そして今日は、前回セレナが奏でた《返響菌ホルン》の音色が教室を騒がせた“楽器演奏の日“だ。
あのときの衝撃は、まだ生徒たちの耳に残っている。 魔物素材の楽器だと侮っていた者たちでさえ、最後には息を呑んで聴き入ったほどだ。
教壇に立つ銀髪の響律講師は、指先で空をなぞり、淡い光の五線譜を浮かび上がらせる。
「前回のセレナリアさんの演奏……本当に素晴らしかったです。さて、今日は他の人にも演奏してもらいましょう」
生徒たちは緊張した面持ちで順番に演奏を始めていく。 前回の“事件”のせいか、誰もが妙に慎重だ。
アンナの番がやってきた。 彼女が《星影リュート》を抱え、優雅に弦を撫でると、澄んだ音が教室に広がる。
だが次の瞬間―― リュートに埋め込まれた魔石が、ぼうっと不穏な光を放ち始めた。
「なっ……なに……?」
アンナが戸惑う間にも、魔石の輝きは強まり、音色は勝手に高音へと跳ね上がる。
その暴走に呼応するように、セレナの《返響菌ホルン》も震えだした。
「えっ、ちょ、ちょっと!? なんで鳴ってるの!?」
ホルンはセレナが触れていないのに勝手に共鳴し、音を反射・増幅し始める。 その影響は瞬く間に教室全体へ広がった。
黒板のチョークがカタカタと震え、勝手に走り出す。 そして――なぜか“犯人はヤス…”と書き始めた。
「だから!? 私そんなこと書いてませんってば!!」
カトレア令嬢の完璧なブロンドの髪は、魔力の乱流に巻き込まれ、見事なトサカ……いや、モヒカンへと変貌した。
「汚物は消毒だぁ!! じゃなくて、わたくしの髪が……髪が……ッ!!」
アンナの《星影リュート》とセレナの《返響菌ホルン》が完全に共鳴し、先日の比ではない魔力の暴走を引き起こしていた。
このままでは――学園の施設が崩壊する。
アンナは暴走するリュートを必死に抱きしめ、震える声でつぶやく。
「いや……いや……落ち着いて……お願い……!」
セレナも慌ててホルンを抱え込み、床に踏ん張った。
「ちょ、ちょっと! 暴れないでってばぁ!」
その瞬間、セレナの視界に淡い金色の文字がふっと浮かび上がる。
――《魔力操作 1/5》
(……魔力操作? いやいや、私のギフトは師匠譲りの死傷系《宵闇切断》でしょ。
師匠と死傷、ぷぷぷ……)
セルフボケからのセルフ突っ込みで、思わず吹き出すセレナ。
「いやいやいや、なんで今そんなギャグみたいな事思い出してんの私……!」
しかし、そんな残念な感情に浸っている暇はなかった。
響律教室に渦巻いていた《星影リュート》と《返響菌ホルン》の魔力激流―― その奔流に、セレナ自身の魔力が“勝手に”吸い寄せられるように流れ出した。
「えっ、ちょ、ちょっと待って!? 私の魔力、なんで勝手にぃぃぃ!!」
セレナの叫びをかき消すように、魔力の渦はさらに勢いを増していく。
魔石にセレナの魔力が吸い込まれるたび、《星影リュート》から溢れ出す魔力は爆発的に膨れ上がった。
まるで―― 静かな雪原で転がした小さな雪玉が、回転するたびに倍々に巨大化し、気づけば破裂寸前の雪塊になっているような。
そんな、空気そのものが張り詰めていく緊張感が教室を満たしていく。
セレナは戸惑いながらも、逆流を押し止めるように魔力を送り込んだ。
「んっ……! 止まってよ……!」
膨れ上がった《星影リュート》の魔力を、《返響菌ホルン》が吸収し、さらに増幅する。
高音が跳ね上がるたび、衝撃波が教室を揺らし、周囲の物が粉砕されていく。
「んっ……!」
魔石は、まるで触れた瞬間に破裂する寸前のポップコーンのようだった。 内部に溜まった圧力が限界まで膨れ上がり、ほんの少しでも魔力操作を誤れば―― 《星影リュート》も、《返響菌ホルン》も、そして教室そのものも爆ぜ飛ぶ。
そんな危うさが、空気をひりつかせていた。
その中で、セレナは必死に魔石へ流れ込む魔力を押さえ込み、自分の魔力で暴走を鎮めようとする。
「だいじょうぶ……落ち着いて……!」
だが魔石は底なしの穴のようにセレナの魔力を吸い上げ、吸えば吸うほど返ってくる魔力は膨れ上がる。 《返響菌ホルン》の音は鋭い衝撃波を帯び、跳ね返るたびに教室の空気が震えた。
――まるでポップコーンじゃん。
セレナが、脳内で“お腹いっぱいポップコーンを食べる妄想”をしていると、魔石の発光がふっと落ち着き、暴走がぴたりと止まった。
アンナは自分の《星影リュート》をそっと抱き寄せ、震える声でつぶやく。
「……よかった……本当に……壊れなくて……」
母の形見を失う恐怖から解放されたのか、彼女の肩から力が抜けていく。 その安堵は、胸の奥からじんわりと滲み出るようだった。
周囲の生徒たちもほっと息をつき、緊張の糸がようやく緩む――はずだった。
だが、その空気を切り裂くように、ひときわ甲高い声が響く。
「ちょっとお待ちなさいませ!」
カトレア・ドロワーズが、怒りを隠そうともせずアンナとセレナを指差した。
「今回の騒動の責任、どう取るおつもりですの?」
講師が慌てて間に入り、「これは事故です。誰の責任でも――」と宥めようとする。
しかしカトレアは引き下がらない。むしろ、ここぞとばかりに声を強めた。
「事故ですって? いいえ、違いますわ。 この騒動はアンナさんが演奏し始めた途端、セレナさんの楽器が暴走したのです。 原因はアンナさんにあるのは明白でしょう?」
その言葉に、周囲の生徒たちがざわめき始める。
「……確かに、そう見えたかも」
「アンナさんの音で反応したのかな……?」
「セレナリアさんの楽器、危険すぎるわよね……」
誰もが“強い側”に寄り添うように、カトレアの言葉へ同調していく。 先ほどまでの安堵は霧散し、教室の空気は再び重く張りつめた。
カトレアはその流れを見逃さず、さらに追及の矛先をセレナへ向ける。
「そして――こんな危険な魔物の楽器を学園に持ち込んだセレナリアさん。 あなたの責任も、きっちり追及させていただきますわ」
先ほどまでの安堵が嘘のように、教室の空気が再び張りつめていく。
そんな重苦しい空気の中、イザベル・クロイツがおずおずと手を上げた。 その動きに気づいたカトレアが、鋭い視線でイザベルを射抜く。
その目はまるで「余計なことを言ったら分かっているわね」と告げているようだった。
だが――イザベルは、あの日以来アンナと急速に距離を縮めていた。 不器用ながらも助け合い、励まし合い、気づけばイザベルの中でアンナは“守りたい人”であり、“敬うべき相手”へと変わっていた。
「あ、あの……」
イザベルは大きく深呼吸をし、震える声で言いかける。
「アンナさんは――」
その瞬間、カトレアが慌てて口を塞ごうとするように声をかぶせた。
「イザベル! クロイツ家の借金がどうなっても構わないという訳ね」
「アンナさんは……脱いだら…すごいんです!!」
方向性は違えど、イザベルとアンナの“盛大な自爆劇”であった。
「ど、どういうことだ……?」
「イザベルさん、カトレアさんに借金で脅されてたの?」
「脱いだらすごいって!?」
教室中が混乱に包まれる中、イザベルは震える声で、しかしはっきりと告白した。
「わ、わたし……カトレア様に命じられて……アンナさんの《星影リュート》の魔石に……細工を……」
その瞬間、教室の空気が凍りついた。
「えっ……」
「じゃあ、今回の暴走って……」
「アンナさんやセレナさんのせいじゃなかったの……?」
ざわめきが広がり、視線が一斉にカトレアへ向けられる。 カトレアは顔を引きつらせ、扇子を震わせながら後ずさった。
「ち、違いますわ! わたくしはただ――」
言い訳を始めようとしたその時。
「アンナ・ミラージュさんって……」
「なんか……すごい人なんじゃ……?」
「いや、さっきの“脱いだらすごい”ってどういう……?」
一部の男子が、妙な方向に盛り上がり始めた。
こうして、イザベルの告白によってカトレアの企みは白日の下にさらされ、
ついでにアンナ・ミラージュの男子人気がなぜか上昇したことを付け加えておく。




