逆バベルの塔――天界へのバックドア
聖教国ガリアの象徴であった白銀の聖堂は、今や見る影もない。
かつて美しいステンドグラスがはめ込まれていた窓からは、不気味な緑色の光ファイバーのような触手が溢れ出し、純白の壁面を侵食するように「論理回路」が浮き出している。
俺がこの国を「オフライン」にしてから、わずか数日。ガリアはもはや人間が住む国ではなく、世界というサーバーをハックするための巨大な「外部演算装置」へとアップデートされていた。
「//integrate_logic --target="All_Citizens" --mode=Sync」
俺が指先を空に振るうと、広場に跪く数万の信徒たちの視線が、一斉に天へと向けられた。
彼らの瞳には、もはや自我の色はない。俺が上書きした「管理者への帰依」というコードが、彼らの精神リソースを強制的に並列化し、一つの巨大なネットワークを形成している。
『エレナ。準備はどうだ』
俺の隣には、漆黒の法衣を纏った聖女エレナが立っていた。
彼女の背中には、かつての光翼ではなく、暗い光を放つデータの翼が展開されている。
「……はい、管理者様。……国民300万人の精神接続、完了しました。彼らの『祈り』は今、神への感謝ではなく、運営サーバーのプロトコルを破壊するための『論理爆弾』として充填されています」
エレナの声は、もはや震えていない。神という名の「偽の安らぎ」を失った彼女にとって、俺の命令こそが唯一の存在意義となっていた。
「いい子だ。……さあ、運営。お前たちが大好きな『信仰心』で、その鉄壁のファイヤーウォールを焼き切ってやるよ」
俺は空中に、これまでで最大級の操作画面を展開した。
その画面には、世界の雲のさらに上――物理的な手段では到達不可能な「天界(中央管理サーバー)」の構造図が、ハッキングログとして映し出されている。
「//initiate_upload --source="Galia_Network" --target="Heaven_Root_Gate"」
――瞬間。
ガリア全域から、空を貫くような漆黒の光の柱が立ち昇った。
それは数百万人の「意志」が変換された、巨大なパケットの奔流。
神が、人々の「祈り」を受け取るために開けていたバックドア。そこへ向かって、俺は「神の定義を破壊するコード」を流し込んだ。
【運営サーバー:天界・中枢】
「――警告。聖教国セクターからの異常パケットを確認。……防御障壁、融解しています!」
「馬鹿な! 人間の祈りだぞ!? なぜ、我々の深層コードを書き換える力を持っている!?」
純白の空間に、幾何学的な光の姿をした「管理者たち(自称・神)」が、かつてないパニックに陥っていた。
彼らにとって、地上はただの実験場であり、人間はリソースを産むだけの家畜に過ぎない。
その家畜が、あろうことか「システム管理権」を持って自分たちの首元にナイフを突き立てているのだ。
「あのバグ個体……アルト・グランヴェルを即刻削除しろ! 予備の勇者は!? 天使軍団の起動はまだか!」
「間に合いません! 彼が送り込んでいるのは『論理の矛盾』です! 『神は全能であるが、管理者の前では無力である』という定義を無理やりねじ込まれています! このままでは、私たちの『神格』という属性自体が消失します!」
「……ええい、やむを得ん。……世界そのものを一度フォーマットしろ。文明レベルを原始時代まで巻き戻し、あの男のデータを物理的に消去するのだ!」
【地上:聖教国ガリア】
《緊急通知:運営側が【世界初期化】の承認プロセスを開始しました。完了まで残り600秒》
脳内に響く、死のカウントダウン。
だが、俺は不敵に笑った。
「想定内だ。……あいつら、焦って『管理者用ゴミ箱(物理削除フォルダ)』のリンクを開きやがったな」
リセットを行うには、世界というファイルの全権限を一度「全削除」のコマンドに渡さなければならない。
その一瞬。すべてのガードが下がるその瞬間こそが、俺が神の喉元に食らいつく唯一のチャンスだ。
『エレナ、最終出力を上げろ。お前の命を燃やす必要はない。……ただ、俺の言葉を世界の隅々まで反響させろ』
「承知いたしました。……管理者様の意志を、世界の『仕様』へと固定します」
エレナが天に向かって叫ぶ。
その背後の光翼が、何十倍にも膨れ上がった。
俺は、背負っていた「バグの聖剣」を抜いた。
地上のあらゆる法則を無視し、存在すること自体が論理エラーであるその刃を、俺は「天」に向かって突き立てる。
「//force_overwrite --source="Alto_Granvel" --target="World_Genesis_Code"」
リセットの光が降り注ぐ中、俺の黒いコードがそれを迎え撃つ。
白と黒の光が空でぶつかり合い、世界が、激しく、激しく点滅した。
ある場所では木々が砂になり、ある場所では石が金に変わり、ある場所では死んだ人間が「設定ミス」で蘇る。
世界の整合性が完全に崩壊し、カオスが支配する数秒間。
俺は、そのカオスの中に手を突っ込み、神の「心臓」を掴み取った。
「……獲ったぞ」
――バキィィィィィィン!!
空が、ガラスのように砕け散った。
降り注いでいたリセットの光が、逆流するように空へと吸い込まれていく。
《管理者権限:完全掌握完了。……運営側(神)のアクセス権を凍結しました》
《貴方は今、この世界の『所有者』となりました》
静寂が、世界に訪れる。
ガリアの空からは青白い円環が消え、代わりに、俺の瞳と同じ緑色のプログラムコードが、オーロラのように美しくたゆたっていた。
足元で、魔力も自我も失い、ただの抜け殻となった信徒たちが崩れ落ちていく。
だが、その中に一つだけ、異様な「変異」を起こしているデータがあった。
「……あ……ああ……。……兄、さん……?」
王都からわざわざ「転送」で連れてきて、広場の隅に転がしておいた『バグの塊』――レオンだ。
激しいリセットの波を浴びたことで、俺が設定した「醜悪な魔物」の設定と、神の「初期化」がぶつかり合い、予測不能なバグ(進化)を起こしていた。
レオンの体は、醜い肉塊のまま、その表面に「神の鎧」のような白い結晶を纏い始めていた。
【個体名:レオン・グランヴェル(Error_Origin)】
【状態:管理者権限と運営プログラムの融合個体】
「ほう。ゴミを煮詰めすぎて、新しい『ウイルス』になっちまったか」
俺は、その震える肉塊を見下ろした。
かつての憎しみは、もうない。
あるのは、この新しい「未知のデータ」をどう調理してやろうかという、純粋な好奇心だけだ。
『レオン。……お前、面白いことになってるな。……お前を、俺の新しい「デバッグ用サンドボックス」にしてやる。……永遠に終わらない「死と生の再定義」を、その体で繰り返せ』
「あ……やめ……。……あああああああああッ!!」
レオンを、ガリアの演算回路の中枢へと接続する。
彼が上げる叫びが、世界のシステムを維持するための「クロック信号」へと変換されていく。
俺は、エレナを伴い、もはや誰の干渉も受けない「天界の玉座」へと続く階段を上り始めた。
神は消えた。
魔法も、祈りも、運命も、俺が定めた「数値」によって管理される。
アルト・グランヴェル。
欠陥品と呼ばれた男は、今や世界という名のサーバーそのものとなり、悠久の時を「管理」し始める。
だが、俺の支配はまだ終わらない。
この世界の「外」――このサーバーを監視している、さらなる上位存在の視線を感じたからだ。
「……次は、俺を作った『作者』でもデリートしに行くか」
管理者の瞳に、次なるハッキングの標的が映し出された。




