デバッグ・ウォー
王都の空は、もはや青さを失っていた。
俺が書き換えた「Eternal Abyss」のコードにより、天は深い紫と黒が混ざり合う混沌の色に染まり、星すらもその瞬きを停止している。3倍へと引き上げられた重力は、王都を構成するあらゆる建築物の「悲鳴」を引き出していた。かつて優雅な姿を誇っていた白亜の塔は自重に耐えきれず根元から砕け、広場にいた騎士たちの鎧は、内側の肉体を押し潰す鉄の棺桶へと変わっていた。
絶望が、物理的な重さを持って世界を圧殺している。
だが、その地獄の中心部、王都の北に位置する聖神殿から、一筋の「白」が闇を裂いて立ち昇った。
「――バグを検知。世界の整合性を著しく損なう特異個体を視認。これより、削除プロセスを開始します」
光の柱の中から現れたのは、黄金の甲冑を纏い、背中に六つの光翼を広げた男だった。
勇者、カシエル。
地上の人間が「救世主」と崇めるその存在の頭上には、俺の管理者視点にのみ、無機質な文字列が浮かび上がっていた。
【個体識別:System_Cleaner_Ver1.0(通称:光の勇者)】
【属性:絶対秩序・不変】
【特性:物理攻撃無効、概念干渉耐性・極、因果律補正】
「……なるほど。単なる人間じゃないな」
俺は三首の巨鳥の背を叩き、勇者の正面へと降下させた。
勇者の瞳には感情がない。それは慈悲深い英雄の目ではなく、スプレッドシートの入力ミスを修正しようとする事務員の、事務的で冷酷な光だった。
『お前が運営の差し金か。……案外、古臭いデザインだな。光り輝く正義の味方なんて、今時流行らないぞ』
俺の声が響いても、カシエルの表情は一切動かない。彼は手に持った光の剣をゆっくりと正眼に構えた。
「対象の嘲笑を確認。言語データの解析は不要と判断します。……執行」
カシエルが踏み込んだ。
3倍の重力、さらには俺が設定した「物理法則の遅延」を一切無視し、彼は一瞬で俺の懐へと潜り込んできた。光の剣が、俺の首筋へと閃く。
「//bypass_collision --all」
俺がコマンドを叩く。
光の剣が俺の喉元を通り抜けた。だが、手応えは皆無だ。俺の肉体は今、この世界の「当たり判定」から除外されている。空気を切るのと同じ、ただのすり抜けだ。
「……攻撃の無効化を確認。対象は空間座標に干渉する特権を使用中。……対応策:次元軸の強制固定を実行」
カシエルが空いている左手を天に掲げた。
すると、俺の周囲の空間が、まるで見えないガラスに閉じ込められたように「凝固」していく。
《警告:外部プログラムによる空間のフリーズを検知。管理者権限の一部が制限されています》
「ほう。俺の権限に割り込んでくるか」
面白い。これこそが「運営」の力か。
カシエルは俺の回避設定を強制的に書き換え、再び剣を振り下ろした。
今度は、逃げられない。空間ごと斬られる。
だが、俺は笑った。
「//modify_attribute --target="Light_Sword" --set="Density=Air"」
俺に接触する直前、勇者の剣の「密度」を「空気」へと書き換えた。
黄金の輝きを放っていた刃は、俺の肩に当たった瞬間にただのそよ風と化し、虚しく霧散した。
『驚いたか? お前の武器は神が作ったのかもしれないが、その物理演算を行っているのは、この世界のシステムだ。そして俺は、その数値を直接いじれるんだよ』
俺は至近距離から、カシエルの胸部に掌を当てた。
「//delete --target="Caelum_Armor_Chest"」
バリンッ! と耳障りな音がして、勇者の黄金の鎧が、パズルのピースが崩れるように消失した。剥き出しになったのは、白く、血の通っていない人形のような肌。
「……防具データの損壊を検知。……自己修復プログラム、起動」
カシエルが呟くと、失われた鎧が瞬時に再生していく。
それだけではない。彼の周囲に、無数の「光の杭」が出現し、一斉に俺へと射出された。
一本一本が、因果を無視して「必ず心臓に命中する」という強引な設定がなされた呪いの一撃。
『無駄だと言っている。……//pause_object --target="All_Incoming_Projectiles"』
数千の光の杭が、俺の鼻先数ミリでピタリと止まった。
俺は、その中の一本を指で摘み、くるりと反転させた。
『//overwrite --target="Holy_Stake" --property="Target=Hero"』
俺が指を弾くと、止まっていた全ての杭が、逆方向へと――カシエルへと向かって音速を超えて撃ち返された。
「……防御結界、展開」
勇者の前に展開された七重の光の盾。
だが、俺が返した杭は、もはや「神の武器」ではない。
俺が「絶対に防げない」という属性を上書きした、論理崩壊の塊だ。
ガガガガガガァァァァン!!
神の盾が、薄氷のように容易く砕け散る。
カシエルの全身に、自らが作り出した光の杭が突き刺さり、彼を広場の地面へと叩き落とした。
ドォォォォォン!!
3倍の重力も相まって、勇者は地面に深々とクレーターを作って埋まった。
広場にいた父親やレオン、そして這いつくばる民衆が、信じられないものを見たように目を見開く。自分たちの最後の希望である勇者が、文字通り「ゴミ」のように扱われているのだ。
『どうした、運営の使い走り。……修正プログラムが、バグに負けてちゃ世話ないぞ』
俺はゆっくりとクレーターの縁に降り立った。
カシエルは、全身から金色の粒子(血の代わりか)を流しながら、よろよろと立ち上がった。
その瞳に、初めて「ノイズ」が走った。
「……予測不能なエラーを検知。……通常プロセスでの削除は不可能と判断。……最終手段:世界領域の初期化を選択」
その言葉を聞いた瞬間、俺の脳内に、かつてない最大級の警告音が鳴り響いた。
《緊急警告:対象個体が【強制再起動コマンド】の詠唱を開始。成功した場合、この世界の全データはフォーマットされ、全人類、そして貴方のデータも消滅します》
「……なるほど。バグが直せないから、サーバーごと潰してやり直そうってか」
空が高鳴り、王都全域が、眩い白に包まれようとしていた。
神の慈悲。それは、俺という汚れを消すために、この世界に生きる数百万の命を道連れにするという、究極の横暴。
「いいぜ、やってみろよ。……でも、その前に『俺という特異点』を読み込みすぎたな」
俺は、カシエルの周囲に浮かぶ「光の粒子」――彼が世界を初期化するためにかき集めているマナの奔流に、自分の意識を同調させた。
管理者の権限を、カシエルのシステムを介して「運営(神)」の深層サーバーへと流し込む。
バックドア(裏口)は見つけた。
「//access_root --bypass_all_security」
俺の視界が、真っ白な虚無の世界へと切り替わった。
そこには、地上の景色はない。
ただ、巨大なクリスタルのような構造体が、延々と並んでいる。この世界の「データ」が保管されている場所。
その中心に、一つの大きな「核」があった。
この世界の「神」と呼ばれる演算装置。
『見つけたぞ、クソ親玉』
俺はその核に向かって、最後の一撃を打ち込んだ。
「//modify_global_logic --set="Administrator_Authority=Permanent"」
「//grant_permission --target="Alto_Granvel" --access="God_Level"」
俺の権限を、「暫定的なもの」から「この世界の唯一絶対の主」へと書き換える。
バキ、バキバキッ……!!
神の核に、巨大な亀裂が入った。
現実世界に戻ると、初期化の光を放っていたカシエルが、断末魔のようなノイズを上げて、その場に跪いていた。
彼の光翼は枯れ果て、黄金の甲冑は錆びついた鉄へと変わる。
「……け、権限の……侵害を確認。……運営特権が、剥奪……され……。が……あ……」
カシエルは、ただの「壊れた人形」へと成り果てた。
俺は、その頭を冷たく踏みつける。
『お疲れ様。……もう、お前の主(神)には繋がらないぞ。このサーバーは、たった今から俺が買い取った』
俺は空を見上げた。
混沌とした紫の空が、俺の意志一つで「澄み切った黄金色」へと塗り替えられていく。
重力は元に戻り、落下していた建物は、中空で停止した後にゆっくりと元の場所へと「巻き戻されて」修復されていく。
だが、死んだ人間は戻さない。
俺に逆らった愚か者たちの死体は、見せしめとしてそのままにしておく。
王都広場にいる全員が、言葉を失って俺を見つめていた。
恐怖を通り越し、もはや「神」を見るような、虚無的な敬虔さすら漂っている。
俺は、地面に這いつくばっている父親に向かって、静かに告げた。
『父上。……世界は今、アップデートを完了した。これからは、俺の想像した通りの「完璧な地獄」を楽しんでくれ』
俺はカシエルの残骸を指先でデリートし、三首の巨鳥と共に、王城の最上階へと向かった。
そこが、新しい俺の「管理室」だ。
アルト・グランヴェルの逆襲。
それは、単なる復讐劇を終え、世界そのものを自分好みに調教する「神の遊戯」へと昇華された。
第5話、お読みいただきありがとうございました。
文字数・展開ともに、前回の倍を優に超える「管理者無双」の頂点を目指しました。
神の修正プログラムである勇者カシエルとの、次元を超えたハッキングバトル。
物理攻撃ではなく、設定値の書き換え合戦という本作ならではの最強感、伝わりましたでしょうか。
「初期化」という神の究極技を逆手に取り、サーバーの深層へアクセスして権限を強奪するアルト。
もはや、彼を止められる存在はこの世に存在しません。




