30、ルームシェア
「はあ……この家、快適すぎる。」
夕食を終えて寝支度を済ませた結は、リビングのソファに座り、テレビの電源を入れた。
(今日は京人君のドラマを観ようかな。)
京人の家で「ルームシェア」を始めてから、早くも1ヶ月が経とうとしている。ただ、家主の京人がほぼ家にいないため、現状、結は殆ど一人暮らしのような生活をしていた。
ルームシェアを始める時に、京人にマンションの家賃を払うと申し出た結だったが、それはあっさりと断られてしまった。
この家は既に京人の持ち家で、しかも、一括で購入したため、ローンの支払いもないと言われた時には、驚きすぎて言葉も出なかった。
それなら、せめて家事だけでも完璧にこなそうと意気込んだものの、この家の家電はどれもこれも優秀すぎて結の出る幕はなかった。
洗濯機は1時間程度で洗濯から乾燥まで終えてしまうし、洗剤と柔軟剤まで自動投入してくれるので殆どやることがない。
料理についても、京人から「毎日帰る時間が不規則だから、僕の分は用意しなくて大丈夫」と言われているため、作るのは1人分な上に、全自動調理器があるため、野菜を切る位しかやることがない。
食器や調理器具も食器洗い乾燥機があるため、丁寧に洗わなくても、水で軽く流す程度で事足りた。
床に目を向ければ、全自動の掃除機がせっせと四方八方を回って掃除をしている。掃除に関して結ができることは、水回りの掃除と家具の上のほこりを払う程度だった。
ルームシェアをして逆に家事が減るとは、結にとっては嬉しい誤算だった。
さらに、この家から職場までは徒歩ですぐに着く距離のため、毎日満員電車に乗る必要がなくなり、通勤時間までも大幅に短縮できた。
一緒に暮らしてみたら、家事の分担や考え方の違いで喧嘩をすることがあるかも……と覚悟していた結だったが、それも杞憂に終わった。
家事はむしろ減って自由時間は増えているし、そもそも肝心の相手が家にいないのだから、喧嘩になるはずもなかった。
そこで、結は空いた時間に、京人の出演した番組を観たり、過去のインタビュー記事を読んで過ごしていた。
真面目な結は、告白の返事をするにあたり、京人のことを少しでも多く理解したうえで結論を出したいと考えていた。
それに、1年以内に結婚したいと言っていた京人のことを考えると、結論を出すなら1日でも早いほうが良いだろうという思いもあった。
京人の出演作のドラマをつけて、いざ視聴を始めたところで、玄関の奥からドサッと荷物を置くような音がした。
(京人君、帰って来た!)
結は急いでテレビを消すと、転がるような勢いで走って玄関に向かった。
「京人君っ! おかえり……」
結が勢いよく玄関のドアを開けると、そこにいるはずの京人の姿はなく、玄関先の小部屋には大きなボストンバッグだけがぽつんと置かれていた。
(だめだ……今日も間に合わなかった。)
結は諦めて、奥に置かれている木製の椅子のほうに向かった。
(やっぱり……)
そこには、椅子の背もたれに寄り掛かり、すやすやと眠る京人の姿があった。
この部屋は暖房が効いていてほのかに暖かいとはいえ、部屋の中に比べれば薄ら寒い。
京人が風邪をひかないよう、結は自室からブランケットを持って来て、そっと京人の肩に掛けた。
このブランケットは、結がPlantsのライブで買ったオフィシャルグッズで、無駄に大きな文字で「榎本京人」と書かれている。
自分の名前が入ったブランケットを「榎本京人」本人が掛けているとは、まるで自分の持ち物に記名する小学生のようで、何ともおかしな光景だった。
(ふふ、笑っちゃいけないけど、なんか面白い。)
同居を始めてから分かったことだが、京人はいつも帰宅してすぐにこの玄関先の小部屋で眠ってしまうようだった。
それでも、いつも結が起床する頃には、既にここに京人の姿はないので、いつの間にか起き出して寝支度なのか身支度なのかよく分からない支度を済ませて、毎日きちんと仕事には行っているらしい。
最近は、帰宅して早々にここで眠りにつく京人にブランケットを掛けるのが結の日課になりつつある。
いつも京人が帰宅した音が聞こえると、眠り出す前に寝室に移動してもらおうと、慌てて玄関先に向かうのだが、京人が眠るのが早すぎて、間に合ったことは一度もなかった。
本来なら無理にでも起こして寝室に連れて行くべきなのだろうが、多忙な京人の安眠を妨げることは憚られた。
それに、一日の終わりに京人の寝顔を見ることができるこの時間は、結にとってはご褒美のような貴重な時間だった。
もし京人が帰宅早々にさっさと寝支度をして寝室に向かうようになってしまったら、それはそれで寂しいような気がする。
結は京人の前にしゃがみ込んで、すうすうと寝息を立てている寝顔を下から覗き見た。
(可愛い。子供みたい。)
すっかり大人の男性になった京人だが、眠っていると少しだけ昔の面影がある。
(髪、さらさらですごいなぁ。)
綺麗な髪に触れてみたい衝動に駆られてつい手を伸ばしてしまったが、触れる前になんとか思い留まった。
(さすがに、勝手に触るのは駄目だよね。)
京人は触れても怒りはしないだろうが、それでも本人の許可も得ずに、陰でこそこそと触れるのは卑怯な気がして嫌だった。
(おやすみ、京人君……)
結が伸ばした手を引っ込めて、最後にもう一度だけ寝顔を見ようと視線を上げると、京人と目が合った。
「うわぁ!」
結が驚いて後ろに倒れそうになると、京人がとっさに結の両腕を掴み、支えてくれた。
「大丈夫?」
「だっ、大丈夫……。ビックリしたぁー……!」
京人はそのまま結の手を引くと、一緒に立ち上がった。
「驚かせてごめん……おはよう。」
京人は寝起きのせいか、眠そうに何度か瞬きをしていた。
「うん、おはよう……?」
もう夜だけど……と思いつつ、結は京人と同じ挨拶を返した。
「あの……京人君、いつから起きてたの?」
「いま起きたよ。」
「そっかぁ。」
思い留まったとはいえ、勝手に髪に触ろうとしていたことがバレたら恥ずかしすぎるので、結は安堵してため息をついた。
(よかった……バレてないみたい。)
「髪、何かついてた?」
「えっ!?」
京人は不思議そうに自分の髪を触っていた。どうやら気づかれていたらしい。結は途端に恥ずかしくなり、赤くなった。
「すごく……サラサラだったから。」
「……え?」
返答が予想外だったようで、京人はきょとんとした顔をしている。結は居た堪れなくなり、赤くなった顔を隠すように少し頭を下げた。
「…………すみません。」
「いや……大丈夫。」
顔を上げて反応を覗うと、京人は恥ずかしそうに視線を反らした。どうやら、髪に何かが付いているわけではないことは伝わったらしい。
久々の再会なこともあり気恥ずかしい空気が流れ、結が何を話すべきか逡巡していると、京人が肩に掛けられているブランケットに気がついた。
「あ、ブランケット。いつもありがとう。僕のグッズ買ってくれたんだね。」
「うん……」
京人のグッズを買っていたことが本人にばれてしまい、余計にに恥ずかしくなった結は、小声で頷いた。
(よく考えたらこれは、京人君推しだって自白してるようなものだよね……)
京人は嬉しそうに微笑むと、ブランケットを手に取って、丁寧に角を揃えて畳んだ。
「もし結ちゃんが買ってるのが他のメンバーのグッズだったら、捨てたくなっちゃうところだったよ。」
少々過激すぎるが、京人にやきもちを焼いてもらえたことがなんだか嬉しくて、結は笑った。
「ふふ。捨てられちゃったら困るから、京人君のでよかった。」
一途な結が京人以外のグッズを買うはずもないが、京人にとっては心配の種だったらしい。
結が微笑ましく思いながら京人を見ると、京人はなぜか視線を外し、ブランケットをぎゅっと抱きしめた。
「うん……。」
「?」
結が首を傾げると、京人は結に向かってブランケットを差し出した。
「……はい。」
「あ、畳んでくれてありがとう。」
結が手を出すと、京人は結の手の上にブランケットを置いたが、なぜかそのブランケットから手を離してくれなかった。
「?」
「結ちゃん、明日は仕事休みだよね?」
「? うん。明日と明後日は休みだよ。」
「もう眠い?」
「うーん、まだ眠くはないかな。テレビ見ようとしてたし。」
さすがに、京人のドラマを観ようとしていたことは恥ずかしくて伏せたが、結の返事を聞くと、京人は嬉しそうな顔をした。
「それなら、今からおうちデートしない?」
「おうちデート?!」




