27、水も滴る
洗面所から京人が出て行き今度こそ一人になった結は、やっと一息つけたとばかりに洗面台にもたれ掛かった。
(こんなの本当に身が持たないよ……京人君って恋をすると、こんなに甘々になるの?!)
京人といると、何をしていても空気が甘くなってしまい、落ち着かない。
結のイメージでは、京人はいつでも余裕たっぷりで、恋をしても淡々としているタイプだろうと思っていた。
それなのに、実際の京人は結の言動ひとつで照れたり喜んだりして、本当に同一人物なのかと疑いたくなる程だった。
(でも、これが本当の京人君なんだ……)
長年一方的に推していたせいで、どこか遠く感じていた京人が「幼馴染の」京人に戻ったように感じていた。
(私は、どうしたらいいの……?)
結の自惚れでなければ、京人は真剣に結のことを想ってくれているような気がする。
子供の頃から要領が良かった京人は、好きでもない相手に時間を割くことはないように思えた。多忙を極める今なら尚更だろう。
それに、結も伊達に歳を重ねてはいない。仕事はプロの仲人だ。本気で恋をしている人の空気感は分かる。
告白された以上、何かしらの返事はしなければならないが、お互いの年齢的にも、受け入れるには結婚やその先の生活のことまで覚悟をして受け入れる必要がある。
そう簡単に結論を出せる問題ではないように思えた。
(でも……)
再会してみて分かったことだが、やはり結は京人のことが好きだし、誰かと生活を共にするなら、その相手はどうしても京人が良いと思ってしまう。
不思議と、こんなに自然体で一緒にいられる相手は他にいないという確信があった。
結局、結は自分がこの後どうするべきなのか、はっきりとした結論を出せなかった。
(お風呂、入ろう……)
現実逃避をするように、京人に言われた通り脱いだ服を全て洗濯機に入れると、ドア越しに京人に声を掛け、浴室に向かった。
それでも、ここが京人が普段使っている浴室だと思うと、全く落ち着かず、結は早めに浴室を後にした。
ーーーー
結が入浴している間、京人もまたリビングのソファに座りながら、落ち着かない時間を過ごしていた。
先程、ドア越しに結に声を掛けられて、アプリで洗濯機を回し始めた。
(ということは、結ちゃんは今お風呂に……)
考えてはいけない「何か」を想像しかけて、京人は慌てて仕事の台本を手に取った。
(今何かを考えたら、いろんな意味で大変なことになる……それだけは絶対に駄目だ。)
とにかく今は仕事に集中しようと、京人は台本をぺらぺらと捲り始めた。仕事モードに入ると、自然と台本に集中し、時が経つのも忘れて没頭した。
「あの……お風呂ありがとう。」
京人が台本を読み始めてから暫くして、結が洗面所から出てきた。
「あれ? 早かったね、結ちゃ……」
京人は台本を閉じると、顔を上げて結のほうを向き、そのまま固まった。
「あの……、ごめんね。髪がまだ乾いてなくて。ドライヤーってあったりする?」
ぶかぶかの京人のTシャツとスウェットに身を包んだ結は、まだ濡れたままの髪を下ろした無防備な姿をしていた。
本来は家族か恋人しか見ることができないような結の姿を目にして、京人は一瞬昇天しかけた。
「……っ!」
「京人君?」
「……ごめん。ドライヤー出すの忘れてた。」
京人は我に返ると、足早に洗面所に向かい、棚からドライヤーを取り出し、結にサッと手渡した。
「ありがとう。」
「いや……僕はリビングで待ってるね。」
「うん、ありがとう。」
結がドライヤーで髪を乾かし始めると、京人はリビングに向かうのかと思いきや、洗面所に留まっている。
「……?」
結が髪を乾かしながら京人の様子を伺えば、じっと鏡越しに結を見つめて微動だにしない。
(なんでまだいるの?! ノーメイクだから恥ずかしい。薄くでもメイクしておけばよかった……)
「あの……どうしたの?」
ドライヤーの電源を切り、言外に、恥ずかしいからあまり見ないでほしいという思いを込めて結が訊ねると、京人はにっこりと微笑んだ。
「僕もお風呂入るから準備してくるね。」
「? ……うん。」
京人の笑顔にどことなく違和感を覚えつつ、結は急いで髪を乾かした。
ーーーー
髪を乾かし終わった結と交代で京人が浴室に向かい、結は洗濯し終わった自分の服を持ってリビングに戻って来た。
服を畳んで自分の鞄にしまうと、結は手持ち無沙汰になり、ソファでのんびりと京人を待とうかとスマートフォンに手を伸ばした。
「出たよー。」
まだ殆ど何もしていないのに、もう京人が出てきたことに驚き、結は京人のほうを向いた。
「え、早っ……え?」
「さっぱりしたよ。」
京人はまるで普段通りの態度だが、その格好に結は驚いた。
「その服って、もしかして……」
「うん、結ちゃんが今着てるのと同じ服だよ。同棲中のカップルみたいだね。」
「同棲中の……カップル!?」
京人はラフなTシャツとスウェット姿だが、そのデザインは上下とも、今結が着ているものと全く同じだった。
2人で全身同じ服に身を包んでいる今、端から見ればきっと京人の言う通り、カップルに見えるのだろう。
(これはもはや、同棲して数年目の、お互いの服を許可もなく勝手に着るようになった頃のカップル!)
京人は嬉しそうに、悪戯が成功したような顔でにやにやと笑っている。
「それに、髪っ……!」
京人の髪はまだしっとりと濡れたままで毛先からは水が滴っているが、本人は気にする様子もなく、時折、手にしたタオルで大雑把にがしがしと拭っている。
(こんなに適当な感じなの?!)
何でも丁寧にこなすイメージがある京人の珍しく男性らしい様子に結は驚きを隠せなかった。
京人の髪といえば、子供の頃から寝癖知らずで、いつもさらさらと綺麗で、幼い頃からいつか触ってみたいと密かに思っていた。
しかし、まさかこんなにもぞんざいな扱いから、あんなに美しい髪が生まれていたのかと思うと、驚きしかない。
(私はいつもコンディショナーとかヘアオイルとか塗るの大変なのに……しかも、なんでこんなに、色気が!)
いつもと違ってただ濡れているというだけで、どうしてこんなにも雰囲気が変わるのだろうか。
今の京人には、直視し難いほどの色香があった。
「飲み物だけ飲んだら、髪を乾かしてくるね。」
京人はキッチンからペットボトルの水を2本持って来て、1本結に手渡した。
「よかったら、結ちゃんも飲んで。」
「あ……ありがとう。」
「髪、乾かしてくるね。」
結がペットボトルを受け取ると、京人はまた洗面所に向かった。
(よかった……あのままだと、心臓に悪いよ。)
結は安心して、ほっと息を吐いた。
もしかして先程髪を乾かさずに出て来てしまった自分も、京人の目にはこんな風に映っていたのだろうか、と一瞬考えた結だったが、まさかそんなことはないだろうと頭の中でかぶりを振った。




