26、お泊り会
「ん……?」
結がぎゅっとしたせいか、京人を起こしてしまったようで、寝起きの京人は目を瞬かせた。
「おはよう、京人君。」
「……?」
「ごめんね、起こしちゃった?」
「……っ!」
一瞬で顔が赤くなった京人は、結から隠れるように腕で自分の顔を覆った。それなのに、瞳だけは録画でもしているかのように、じっと結を見つめている。
「……大丈夫? どうしたの?」
結がおずおずと声をかけると、京人は何かを呟いた。
「……推し尊死。」
「オシトートシ? ……オキシトシン?」
オキシトシンなら知っているが、オシトートシとは一体何だろうかと結が疑問に思っていると、京人は苦笑した。
「はは、違うよ。可愛すぎて困るってこと。」
「! 京人君。私もう子供じゃないよ。しかも、アラサーだよ?」
「うん……知ってるよ。」
だからこそ困っているのだ、と恋人に向けるような甘い顔で頷いた京人に、今度は結が赤くなる番だった。
恋愛経験があまり豊富ではない結でも、さすがに京人の表情を見ていて気が付いた。
(京人君、私のことが好きって言ってたの、本当だったんだ……)
結は京人に告白をされても、インタビュー記事を読んでも信じ難いような思いだったが、今の京人の表情を見たら、信じずにはいられなかった。
「結ちゃん、とりあえず、目が覚めたならもう起きようか。」
「うん……」
「こっちだよ。」
ラフなTシャツにスウェット姿の京人は、ベッドから降りた。
離れてしまった体温を名残惜しく感じつつ、結も京人の後に続いた。
ーーーー
広い家の中で迷子にならないよう、鴨の子供のように京人の後ろをついていくと、辿り着いたのは広い洗面所だった。
洗面所はホテルかのような大きな鏡がついていて、一人暮らし用とは思えない大きなドラム式の洗濯機があった。
洗面所の更に奥には、家族で入れそうな広い浴室も見える。
「結ちゃん、いまお風呂沸かすから、よかったらお風呂入っておいで。」
「え!? 大丈夫だよ、もう帰るから。」
「危ないよ。まだ暗いし、もう終電もないし。」
「え……今、何時?」
「まだ夜中の3時だよ。」
「3時!? もしかして私、1日中寝ちゃってた?!」
「はは、違うよ。結ちゃんが寝てから、まだそんなに時間経ってないよ。」
「なんだ……ビックリした。」
結はほっとしたのも束の間、京人を夜中に起こしてしまったことに気が付き、申し訳なくなった。
「ごめんね、夜中なのに起こしちゃったよね。もう朝なのかと思ってた……」
「大丈夫。むしろ、いつもよりよく寝た位だよ。」
「そうなの……?」
恐らく、結が寝たのは9時前後のはずだ。その予想が正しければ、まだ6時間程度しか経っていないことになる。
さらに、京人が寝たのは結よりも遅いはずなので、それでもよく寝たほうになるとは、いつもほとんど眠れていないのではないか。結は京人の身体が心配になった。
京人はそんな結の心配を察した様子で、結を安心させるように微笑んだ。
「僕は慣れてるから、大丈夫だよ。」
「……そっか。」
京人のことが心配なのに、今の自分は心配できる「立場」にない。そのことが結は辛かった。
京人は結のためにお風呂を沸かすと、洗面所の棚から半透明の大きなケースを取り出し、洗面台に置いた。
「よかったら、これ使って。」
「? ありがとう。」
結が中を覗き込むと、洗顔用品や化粧品等、入浴時に必要になるものが一式ずらっと並んでいた。
「ここに、シャンプー、コンディショナー、ボディソープ、メイク落とし、拭き取り化粧水、化粧水、乳液、美容液、パック、歯ブラシとか色々入ってるから。」
「えっ……ありがとう……。」
「あと、これで足りるか分からないけど、一応化粧品も色々あるよ。」
京人は色鮮やかなアイシャドウとリップグロスを手に取って、結に見せた。他にもアイライナーやファンデーション等、十分すぎるほどに揃っていた。
どうしてこんなに「揃っている」のかと、結は疑念を抱かずにはいられない。中にはパステルカラーを基調とした明らかに女性向けの商品もある。
まるで、家を訪れた女性が持ってきたものを、全てそのままとっておいたかのようなラインナップだ。
結の表情から何かを察した様子で、京人は慌てて否定した。
「一応言っておくけど、違うからね? これは、殆ど葵が企業とのコラボ案件でプロデュースした商品だよ。『お前も使って宣伝しろ』って沢山押し付けられたんだ。」
「でも、化粧品は……」
「これは、事務所のチャンネルの動画企画で女装対決をしたことがあって、その時に葵が事前に僕の家で色々試しておきたいって沢山持って来たんだ。」
「それ見た! 京人君が美人すぎるってすごい話題になってたよね。女性キャラのコスプレもしてたやつでしょ?」
「うん。葵がメイクしてくれたんだけど、こだわりがすごすぎて、色んな種類を何度も試すのがすごく大変だったよ……ほとんどカットになってたけど。」
「ふふ、その光景見たかったかも。あの回の企画すごく面白かったよ。爆笑しすぎてお腹が痛くなっちゃったもん。」
「笑い事じゃないよ、もう。本当に大変だったんだから……まあ、結ちゃんが喜んでくれたなら、苦労した甲斐があったかな。」
「京人君、本当に綺麗だったよ。」
「うーん、なんか複雑だなぁ。……でも、ありがとう?」
実は、結はその時の京人の女装写真をスマートフォンの待受画面にしているのだが、本人のためにもそれは言わなかった。
(元カノが置いていった化粧品とかじゃなくて、良かった……)
「正式に誰かとお付き合いしたことは一度もない」と言っていた京人の言葉を少しだけ疑ってしまい、結は申し訳なく思った。
「どうかな? これで色々足りそう? あ、タオルは今出すね。」
「ありがとう。多分大丈夫だと思う。」
結は京人が棚から取り出したネイビーのふわふわのタオルを受け取った。
(服は仕方ないから、また着ればいいか。)
呑気にそう思っていた結だが、京人は抜かりなかった。
「着替えの服も今持ってくるから、ちょっと待っててね。」
京人が小走りで洗面所を出て行き、結は広い洗面所に一人取り残された。
洗面所の大きな鏡に目を向けると、よく寝たせいか、鏡の中の結は普段よりも肌艶が良かった。
(よかった、そんなにメイク崩れてない。)
眠っていたため、ある程度のメイク崩れは覚悟していたが、冬で涼しいためか意外と綺麗なまま残っていて、結は安堵した。
(もし久々に会った京人君の前で、メイクが落ちてパンダ目とかになってたら、ショックで泣いてたかも……)
泣いても余計にパンダの再現度が増すだけなので、そうならなかったことは不幸中の幸いだった。
もちろん、実際の京人はパンダ目になった結を見ても、引くどころか逆に他人があまり見ることができない姿を目にして、ただ喜ぶだけなのだが。当の結はそんなことは知る由もない。
(それにしても、私が京人君の家にいるなんて、なんか不思議だな。一昨日までは、まさかこんなことになるなんて思ってなかったし……)
一昨日、営業所に京人の偽物が来ると思って身構えていた自分が、今の自分を見たら仰天するのではないか。そんなことを考えて、結はおかしくなった。
その時、着替えを手にした京人が洗面所に戻って来た。
「お待たせ。ちょっとサイズが大きいかもしれないけど、良かったら使って。」
結は京人が差し出した着替えを受け取った。
「ありがとう。色々とお手数をお掛けしてすみません。」
「気にしないで。そもそもこうなったのは僕のせいだし、僕はむしろ嬉しいから。」
言葉の通り、京人は本当に嬉しそうに見えた。
「……ありがとう。」
「あと、服は洗えるやつかな?」
「うん、一応スーツも全部ウォッシャブルなの。」
「それなら、服は全部洗濯機に入れておいてくれたら、45分で乾燥まで終わるから、声かけてくれたらアプリで洗濯機回しておくよ。」
「45分!? 便利だね。しかも遠隔で操作できるなんて……」
「地方ロケから帰ってきても、すぐに洗濯が終わるから便利なんだ。」
「すごいね、私も欲しくなっちゃうな。」
「……うん。」
家事まで要領が良いところが、いかにも京人らしいと結は感心して褒めたつもりだったが、京人はなぜか少し恥ずかしそうにしていた。
「どうしたの?」
「いや、わざわざこの洗濯機を買わなくても、もし付き合ったら結ちゃんも一緒に使えるのにな、って。」
「!」
それは、付き合ってこの家に何度も泊まったりすることを言っているか、それとも同棲……と結は一瞬で色々と想像して赤くなった。
甘くなった空気を変えるべく、結は何かを言おうと思ったが、焦れば焦るほど何も言葉が出てこない。そんな結をじっと見つめる京人は全く視線を離してくれず、余計に居た堪れない。
「あの…………」
「うん?」
京人は結に言葉の先を促すように頷いた。
「とりあえず……お風呂お借りしてもいいですか?」
「はは、もちろん。」
真っ赤になって、これ以上はどうか許してほしいと逃げを打った結に、京人は微笑んだ。




