23、彼女の弱点
僕がリビングに戻ると、彼女だけでなく、彼女に出したシフォンケーキまでもが忽然と姿を消していた。
久々に再会した彼女が、あまりにも可愛すぎるとは思っていたが、まさか本当に妖精の類だったのだろうか……そんな非現実的なことまで考えてしまうほど、僕は混乱していた。
「結ちゃん……?」
恐る恐る声をかけると、くすくすと控えめな笑い声が聞こえてきた。
「ふふふ、どーこだ?」
(……かくれんぼ?)
ダイニングテーブルのほうから彼女の声がして安心したが、どうも様子がおかしい。
テーブルに近づき、屈んで下を覗き込むと、彼女が幼子のようにしゃがみ込んで隠れていた。
「見つかっちゃった。京人君、ビックリした?」
「うん、ビックリしたよ。」
「そっかあ。ふふふ。」
結ちゃんは僕に見つかったことが嬉しくて堪らないといった様子で、ににこにこと笑っている。
(か、可愛い……!)
だが、どうにも違和感が拭えない。久々に再会した大人の彼女というよりは、まだ幼い頃の彼女のような天真爛漫さを感じる。
僕に見つかったせいか、彼女は大人しくダイニングテーブルの下から出てきたが、足取りが覚束ない。
(これは、もしかして……!)
「結ちゃん、ブランケットを持って来たから、ソファに行こうか。」
「うん、分かった。」
僕はさり気なく彼女をソファに誘導して座らせると、ブランケットを渡し、慌ててキッチンに向かった。
キッチンカウンターには、まだ片付けていないシフォンケーキの空箱があった。すぐにラベルを見て原材料を確認すると、予想通りのものが入っていた。
(やっぱり、洋酒が入ってる……)
先程自分もシフォンケーキを食べたが、アルコールは全く感じなかった。
恐らく、香り付け程度に極微量の洋酒を使用していたのだろう。
(まさか、これで……?)
シンクに目をやると、2人分の空になったお皿が置いてあった。きっと彼女が完食した後、運んでおいてくれたのだろう。
もし完食していたとしても、それで酔うほどの量になるだろうか?
ただ、思い起こせば、食事前に彼女の苦手な「食べ物」については確認したが、「飲み物」については確認していなかった。
(もしかして、結ちゃんはお酒が苦手だったのかな……わざとではなかったとは言え、申し訳ないな。)
大人しくソファに座っている彼女に近づいて様子を伺えば、まるでコアラの赤ちゃんのように、僕が渡したブランケットをぎゅっと抱きしめて、目を閉じている。
(可愛すぎる……! このブランケットは家宝にしよう。)
とはいえ、このまま放っておけば、彼女はすぐにでも眠ってしまいそうだ。
当初の予定では、次に会う約束さえ取り付けたら、タクシーを呼んで早めに彼女を家に帰すはずだった。
だが、今の彼女を一人で帰すのは危険すぎる。
(……落ち着くまで、暫く寝かせてあげよう。)
幸いにも、明日の仕事は午後からなので、それまでには彼女も目を覚ますだろう。
そう判断した僕は、彼女を寝室に連れて行くことにした。決して不埒なことをしないと、己に誓いを立てて。
「結ちゃん、寝室に行こうか。」
彼女にそう声をかけたが、返ってきたのは静かな寝息だけだった。
(可愛すぎる……! 結ちゃんの寝顔初めて見た。)
幼馴染とはいえ、彼女のこんなにも無防備な姿を見るのは初めてのことだった。僕は得も言われぬ幸福感に酔い痴れた。
(今日だけじゃなくて、明日も……これから先ずっと、一緒にいられたらいいのに。)
もし僕がアイドルになっていなかったら、今頃は彼女とこんな幸福な毎日を過ごしていたのだろうか。
そんな有りもしないことを考えてしまう位、彼女といられるこのひと時が幸福で堪らなかった。
その時、うつらうつらと船を漕いでいた彼女の身体が急にガクンと傾いた。
「危ない!」
僕は慌てて、抱き留めるように彼女を支えた。
(間に合ってよかった……! あぁ、小さい。可愛い……)
彼女は別に女性の中で特別小さい訳ではないのだろうが、それでも自分の腕の中にすっぽりと収まっていると、華奢に感じる。
まさか自分に対して邪な想いを抱く危険な男に身を預けているとも露知らず、彼女は僕の腕の中ですやすやと気持ちよさそうに眠っている。
(これは、僕が運ぶしかなさそうだな。)
しかし、このままベッドに寝かせてしまうと、彼女のスーツに皺がついてしまう。
(ジャケットだけ脱がせて、ハンガーに掛けておくか。)
彼女の身をソファの背もたれに預け、スーツのジャケットのボタンに手を掛けた。
(さっきは冗談で、着替えを覗いてもいいとは言ったけど、まさか僕が結ちゃんを着替えさせることになるとは思わなかったな……)
幼馴染の彼女に、少しでも男として意識してほしいという思いからそんなことを言ってしまったが、予想外の返事をされて、先程はこちらのほうが狼狽えてしまった。
その時の真っ赤になって恥じらっていた彼女の姿はあまりにも可愛らしく、僕はきっと生涯忘れられないだろう。
あの時は、彼女を抱きしめたくて堪らなくなったが、「嫌がるようなことはしない」という約束を信じて、ここまで付いてきてくれた彼女を裏切りたくない一心で、なんとか耐え抜いた。
彼女にとって、僕は「年上の幼馴染」でしかなく、異性としては意識されていないと思っていた。
だが、あの瞬間の彼女の様子を見て、少しだけ希望が湧いた。
だからこそ、好きな人のジャケットを脱がせる程度で動揺するわけにはいかないし、信頼を損なうようなことは絶対にできない。
僕は深呼吸をしてから、彼女のジャケットのボタンを全て外すと、今度は彼女の頭を自分の左肩に凭れさせて、そっと彼女の両肩からジャケットを下ろした。
白いブラウスとネイビーのスラックスというラフな姿になった彼女を横抱きにすると、僕は寝室に向かった。
少なくとも今この瞬間だけは、自分が彼女を独占していると思うと心が満たされた。
寝室に着き、眠る彼女をそっとベッドに下ろすと、まるで押し倒しているかのような形になり、もし今彼女が起きてしまったらどうしようかと緊張したが、彼女が目を開けることはなかった。
もし今彼女が目を覚ましていたら、少しは自分のことを意識してくれただろうかーー。そう思うと、目を覚まさなくて残念な気もした。
ゆっくりと肩まで布団を掛けると、ふと彼女が何かを囁いたように感じて、口元に耳を近づけた。
「も……わたしも……すき……」
(好き……?)
彼女は何やら寝言を呟いていたが、すぐにまた、すうすうと寝息が聞こえてきた。
夢の中では一体誰が彼女と話をしているのだろうか。相手が自分ならまだしも、もし他の男だったら……
そう考えると、自分の顔からすっと表情が消える感じがした。相手が誰だとしても、絶対に負けられない。
彼女の寝顔ならいくらでも眺めていたいが、まだやることが残っている。
僕は名残惜しく感じつつ、彼女が眠る寝室を後にした。




