19、彼のやきもち
結はまず京人の手作りのぶりの照り焼きを箸で小さく切って口にした。身がふかふかで、みりんと醤油の味がしっかりと染み込んでいて、まるで料亭の一品のようにとても美味しかった。
実は、ぶりの照り焼きは結の一番得意な手料理でもあったが、京人の手作りには敵わないと思った。
「すごく美味しい……! 感動したよ。京人君、プロの料理人になれるよ。」
「良かったー! ありがとう。」
「京人君、本当に器用だよね。何にでもなれそう。」
「……そうかな?」
京人は何故か心中複雑そうな顔をしたので、結は不思議に思ったが、気を取り直してグラスを手に取り、葵がプロデュースしたというピンク色のジュースを口にした。
「うわ、美味しい! これは人気になるのも納得。」
「本当? 良かった。実は僕もまだ飲んだことないんだ。」
京人も一口飲むと、感動したような顔をした。
「……うん、確かに! これは美味しいね。明日、葵にお礼言っておこう。」
「京人君、明日も仕事なの?」
「うん。でも明日は午後からだから、久々の休みなんだ。」
「えっ……そっか。」
午後から仕事でも、京人の中では「休み」になるのか、と京人の多忙さが垣間見えて、結は内心驚いた。
「結ちゃんは明日お休み?」
「うん、明日と明後日はお休みなんだ。大体毎週、火曜日と水曜日がお休みなの。」
結が働いている営業所は土日も営業しているため、代わりに火曜日と水曜日が定休日になっている。
「そっか、良かった。結ちゃんのお母さんに聞いてた通りだ。」
「それも聞いてたの?! もう私のこと、何でも知ってるね。」
結は、母経由で全てが京人に筒抜けのようで恥ずかしくなったが、そんな結の様子を見て、京人は苦笑した。
「……そうでもないよ。」
「?」
京人は少し、寂しそうな顔で笑った。
「本音を言えば、結ちゃんとは中学からも同じ学校が良かったし、もっと欲を言えば、同い年でクラスメイトだったら良かったのにな、って。」
「それは……」
それは結も何度も考えたことだったが、まさか京人も同じ事を考えていたとは思わず、結は意外に思った。
「学年が違っても、せめて学校が一緒なら、同じ部活に入れた可能性もあるけど……学校も学年も違ったから、学生時代の結ちゃんのことは殆ど知らないし。正直、あの子が羨ましくて……」
「……あの子?」
京人の言う「あの子」が誰のことか思い当たらず、結は首を傾げた。
「一翔だよ、一翔。」
「あぁ! ……え、何で? というか、京人君、よく名前覚えてたね。すごい記憶力。」
懐かしい名前が出てきて、結は驚いた。一翔とは特別接点が多い訳ではなかったはずだが、一体何が羨ましかったのだろうか?
「だって、家が近いのに、塾も一緒で、中学では隣の席だって言ってたし……」
京人は若干、不貞腐れたような顔をしている。
(もしかして……やきもち?)
京人がそんなことを考えていたとは予想外で、結は慌てて弁解した。
「確かに、家も近いし塾も一緒だったけど、一度もお互いの家に行ったことはないし、正直、隣の席だったことも忘れてたよ……」
結は忘れていたことを頭の中で一翔に謝罪した。
結と一翔の実際の関係性を知った京人は、安心したように笑った。
「そうなの? ……そっか。それなら、僕のほうが結ちゃんと仲良しだね。」
「ふふ、そうだね。」
京人にこんなことを言ったら怒られそうだが、一翔にやきもちを焼く京人が可笑しくて結も笑った。
そこで、ふと京人が何かを思い出したように話題を変えた。
「あ、そういえば、結ちゃんのお父さんとお母さん、今は台湾に住んでるんだって?」
「そうなの。去年お父さんが台湾に転勤になって単身赴任しようとしてたんだけど、お母さんがどうしても一緒に行きたいって言いだして。」
「そうなんだ。前にお母さんに連絡した時に、今は夫婦揃って台湾に住んでて、結ちゃんが実家で一人暮らししてる、って聞いてビックリして。」
「そうなの。なっちゃんの歌で台湾が登場する歌があって、当時、なっちゃんがよく台湾でロケしてたから、お母さんがどうしても現地に住んで聖地巡礼してみたいって。」
「そんな理由で?! てっきり、お父さんと一緒にいたいのかと思ってた。ははっ、お母さん面白いね。」
「お母さんもなっちゃん大好きだから。たまに、なっちゃんが撮影してたのと同じ場所で撮った写真が送られてくるよ。」
「ははっ、楽しそう。来年ツアーで台湾に行くから、会えたらいいな。」
京人は心から楽しそうに来年のツアーの話をしているが、結には少し心配事があった。
「……京人君。もし、話せないことだったら話さなくてもいいんだけど、来年ツアーがあるのに、どうして今婚活をしようと思ったの? これからもっと忙しくなるんじゃないの?」
結はただ興味本位で訊いている訳ではなく、京人のことが心配だった。
結の思いを察した様子の京人は、食事をしていた箸を置いて、どう答えるべきか考えるような仕草をした。
「そうだね……忙しくなるのは事実だし。理由は色々あるんだけど、タイミング的に今しかないし、今やらないと後悔すると思ったから、かな。」
「……そっか。」
京人が答えをはぐらかさずに、真剣に答えようとしてくれたことは結にも伝わったが、それでも回答があまりに抽象的すぎて、結は知りたかった答えを得られなかった。
(何か、私には話せないような事情があるんだろうな……)
例えば、もし相手が恋人だったら、京人も「話せないような事情」を話したりするのだろうか。結はそんなことを考えて、少しだけ胸が痛んだ。
「僕のことよりも、僕は正直、結ちゃんの話のほうが気になるかな。」
「私の話?」
特段話題になるような事がない結は、何のことか分からなかった。
「結ちゃんもまだ独身でしょ? まだ婚活は始めてないの?」
「うん、まだ……」
「そっか!」
結が答えると同時に、京人は安心したように笑った。
「それなら、これまで結婚したいと思うような相手はいなかったの?」
答えにくい質問をされて、結はどう答えるべきかと悩んだ。
「私は……」
(京人君のことを想ったまま他の人と付き合うのは不誠実だと思うし、ましてや結婚なんて……)
結はこれまで何度か男性に告白されたことがあった。その中には、結婚を前提にした交際の申し込みもあったが、真面目な結は、京人を思ったまま他の男性と付き合うことがどうしてもできなかった。
かと言って、アイドルとして大成功している京人と一般人の自分がお付き合いするような未来も想像がつかない。
結婚相談所の職員として働いていながら、結は自分の将来が一番見えていなかった。
だからこそ、自分の将来から目を背けるように、自分ができない分、少しでも多くの人が幸せな家庭を築けるよう奔走していた部分もある。
「素敵な人は沢山いたけど……結婚したいと思うような相手はいなかったのかも。」
「それは、僕も含めて?」
京人は切羽詰まったような真剣な顔で結を見つめている。
「えっ、いや、京人君はそもそも職業的に……」
結はつい「職業的に結婚は難しいんじゃないか」と言いそうになり、口を噤んだ。これから婚活をしようとしている京人に言うべきではないし、アイドルでも結婚して成功を収めている人だって沢山いる。
最後までは言葉にしていないが、結は自分の失言を恥じた。
だが、当の京人は逆に、なぜか期待に満ちた顔をしている。
「それなら、もし僕がアイドルじゃなかったら?」
「えっ……」
言われて初めて、結はアイドルではない京人の想像をしたことがなかったことに気が付いた。




