18、初めて見る顔
京人の家に上がると、そこはまるでホテルのスイートルームかのような絢爛豪華な場所だった。
一つひとつの家具やインテリアを見ても、恐らくは海外製の高価なものであることが伺えた。
コートを脱ぎ、洗面所で手を洗った後、結は広いダイニングルームに案内された。
「結ちゃん夜ご飯まだだよね? 一緒に食べよう。」
「え、いいの?」
多忙を極める京人に、果たして結と一緒に食事をしているような時間はあるのだろうか?
もしかしたら、遠慮して帰るべきなのでは……と結は少し心配になった。
「もちろん、大丈夫だよ。そもそも僕が家に誘ったんだし。」
「……ありがとう。」
「それじゃ、着替えてくるから、ちょっとだけ座って待ってて。」
「うん、分かった。」
結が大人しくダイニングルームのふかふかの椅子に腰掛けた時、自室に向かったはずの京人が急に結のほうを振り返った。
「覗いてもいいよ。」
「……えっ?!」
(これって、京人君の着替えを覗いてもいいってこと? でも、多分冗談だよね? もし本当に覗きに行ったらどうなるんだろう……怒られるかな? でも、怒られるとしても、京人君の着替えを覗けるチャンスなんて二度とないと思う。正直、見てみたいし、覗いておいたほうがいいのかも……)
結は覗くべきか止めるべきかを迷い、真顔のまま固まってしまった。
それを京人は別の意味に解釈した様子で、慌てて頭を下げた。
「ごめん! 冗談だよ。気持ち悪いこと言って、ごめんね。」
「えっ、いや……」
「ちょっと、ふざけすぎた。ごめんね。」
京人があまりに必死で謝罪してくるので、結は逆に申し訳なくなった。
「……違うの。」
「え?」
「京人君の着替え、見てみたくて……覗こうか迷っちゃって。私も、すみません……」
結は恥ずかしさで顔が熱くなり、俯いた。それでも、京人に誤解をさせたまま傷つけるよりは、自分が恥ずかしい思いをしたほうがましだと思い、正直に打ち明けたのだった。
「……」
すると、京人は急にくるりと後ろを向いた。
「……着替えてくる。」
それだけ告げると、京人は足早に部屋を出て行ったが、結は、去り際の彼の耳が赤く染まっていたのに気が付いた。
(嘘!? あの京人君が……もしかして、照れてた?)
結より5歳年上の京人は、いつでも冷静で余裕があって、結はいつも自分ばかりが翻弄されていると思っていたが、実際はそうでもなかったのかもしれないと、この時初めて気が付いた。
結はいつも京人といると色んな感情で胸がいっぱいになってしまうが、もしかしたら京人も同じように感じることがあったのだろうか。
結はこの時、ずっと「年上のかっこいいお兄さん」のように思っていた京人を、初めて「年の近い男性」として意識した。
今、京人はどんな顔をしているのだろうか。結はそれを知りたいと思ったが、知ってしまったらもう元の関係には戻れない気がして、結局「覗きに行く」ことはできなかった。
京人がすぐ近くで着替えていると思うと、どうにも落ち着かず、結がそわそわしながら座って待っていると、すぐに京人が戻って来た。
「ごめんね、お待たせ。」
結が京人のほうを向くと、彼はまさかの服装をしていた。
「えっ!? その服装、もしかして……」
京人は白地のコックコートに身を包んでいた。釦とギャルソンエプロンはワインレッドで統一されており、帽子こそないものの、その姿はシェフそのものだった。
「京人君がパティシエ役で出てたドラマの衣装?」
「そうだよ、嬉しいな。覚えててくれたんだ。」
「その服、どうしたの?」
「この服は最終的には処分になるって言ってたから、撮影が終わった時、お願いして貰ってきたんだ。」
「そうなんだ、懐かしい……毎回登場するお菓子がすごく美味しそうで、飯テロだって話題になってたよね。」
「ははっ。撮影する側は、何度も同じお菓子を作ったり食べたりして、味わってる余裕もないんだけどね。」
「ふふ、なんか勿体ないね。」
「丁度このドラマの撮影の帰りに、電車で結ちゃんに会ったんだよね。」
「やっぱり?! あの時、京人君からチョコの良い香りがして、後で、もしかしたらこのドラマの撮影してたのかもって思ったの。」
「すごい、よく覚えてるね。」
「うん……」
大好きな京人のことだから、会った時のことや話したことは当然よく覚えている。これがどうでも良い相手のことなら、翌朝には綺麗さっぱりと忘れていたことだろう。
だが、本人にそんなことを言うのは恥ずかしく、結はただ頷いた。
「今日はせっかく結ちゃんが家に来てくれたから、京人シェフが美味しいご飯を作ってあげるね。」
「え、作るの?!」
デリバリーでも注文するのかと思っていた結は、まさかの展開に驚いた。
「え、意外? 僕わりと料理は得意なほうだと思うんだけど……」
「ううん。確かに言われてみれば、京人君器用だから料理上手そう。」
「ありがとう。結ちゃん苦手な食べ物とかアレルギーある?」
「ううん、大丈夫。」
「良かった。じゃあすぐできるから、ちょっと待っててね。」
結に苦手な食べ物はないが、もしあったとしても、京人の作る物なら何でも食べてみたいと思った。
「2人分作るの大変でしょ? 私も何か手伝うよ。」
「ありがとう、お客さんなのにごめんね。そこの棚にグラスが入ってるから、2つ出してもらってもいいかな?」
「うん、分かった。」
京人が広いカウンターキッチンの食器棚を指差したので、結もキッチンに入ると、指定された食器棚からグラスを2つ取り出した。
「飲み物を入れるの?」
「うん。冷蔵庫に、葵が企業とコラボしてプロデュースした新商品のジュースがあるから、一緒に飲んでみよう。」
「すごい! それ今話題になってるよね。美味しくて人気になりすぎて、もうどこにも売ってないってニュースになってたよ。」
「そうなんだ。それなら、葵に貰えてラッキーだったな。」
「どんな味か気になってたから嬉しい。……冷蔵庫、開けても大丈夫?」
「うん、ありがとう。ドアポケットに入ってるよ。」
結が冷蔵庫を開けると、すぐに目的のジュースが見つかった。
透明の瓶に、ピンク色のジュースがなみなみと入り、ラベルもピンクに金縁のラインが入っていて、いかにも女性が好みそうなデザインだった。
ぱっと見では小洒落た海外の洋酒のように見えるが、実際はローズフレーバーのジュースらしい。
「ジュース、あったよ。机に置いておくね。」
結はダイニングルームに戻ると、机の上に2人分のジュースとグラスを並べた。
「うん、ありがとう。良かったら先に座って飲んでてね。ご飯すぐできるから。」
「ありがとう。」
結は京人の邪魔にならないよう、大人しく椅子に座って待っていることにした。京人が何やら手際良く料理をしているキッチンからは、既に香ばしい香りが漂っている。
だが、結は肝心の料理よりも、京人のギャルソンエプロン姿に目を引かれていた。
(京人君ギャルソンエプロン、似合いすぎ! 生きててよかった……数年分の疲れが一気に吹き飛んだ気がする。背景に薔薇の花が見える気がする。)
結が京人に見惚れているうちに、いつの間にか料理が出来上がっていたようで、京人は料理をお皿に盛り付けると、カウンターに乗せた。
「お待たせ、できたよー。」
結がぱたぱたとカウンターに駆け寄ると、2人分の炊きたての玄米ご飯とぶりの照り焼き、豚汁からほかほかと湯気が立っていた。
「和食だ! 美味しそう。」
京人の服装から洋食を想像していたが、意外なメニューで結は嬉しくなった。
「私、実はぶりの照り焼きが大好きなの。豚汁も大好き。」
子供の頃から、結は母の作る料理の中で、ぶりの照り焼きが一番好きだった。
「そうでしょう、そうでしょう。」
京人は何故か、したり顔で誇らしげにしている。結はこの展開には身に覚えがあった。
「もしかして……お母さん?」
「はは。バレちゃった?」
京人は悪びれもせず、楽しそうに笑った。
「もう、プライバシーも何もないよ……何でも筒抜けじゃん。」
「はは、会ってなくても結ちゃんのことなら色々知ってるよ。……まあ、ご飯食べながら話そうか。」
「うん、分かった。」
(はっ! また流されちゃってる……! 明らかに誤魔化されてるし……)
結は色々と腑に落ちなかったが、お腹も空いていたので、渋々、京人と一緒に料理をダイニングテーブルに運び、2人で向かい合って席に着いた。
「「いただきます。」」




