which is the next Sunlight Prince?
「千一夜物語」は中東の宮廷の閨で語られる物語集だ。近代に確たる形で書の形になるまでに延々と夜話が集められ続けたので、様々な話が雑多に混ざっている。宮廷の無聊を慰めるための物語は艷やかな彩りに満ちている。登場人物たちは高貴な身分にしろ、魔神にしろ、卑しい出自にしろ、放蕩息子にしろ、男女の心が通じ合うと奔放に体を重ねる。
その中で、反道徳的な行為にも順列がついているようで面白い。
アッバース朝君主ハールン・アッ・ラシードと正妃ズバイダの出会いの物語である「荷かつぎ人足と乙女たちの物語」中の第一の托鉢僧の話の中では同父母の姉弟の「近親婚」が語られる。至情に耐えかねた二人は墓所の中に生きるのに必要なものを運び入れて隠れ住むことを決意する。しかしそれは天の許すところとならずに、語り手の僧の先導で墓が空けられたときに、「二人は抱き合ったまま炭と化していた」となる。
千一夜物語中最長編となる「オマル・アル・ネマーン王とそのいみじき息子シャールカーンとダウールマカーンの物語」ではシャールカーンは知らずとはいえ異母姉妹(ダウールマカーンの妹)のノーズハトゥと愛し合うようになってしまう。ある時、二人は互いの話から異母兄妹であることを知り、驚いてこれを秘とすることを約して分かれた。二人の血を引く子が誕生したが罰は訪れなかった。
千一夜物語中の主人公達は皆、美形だ。物語中で男から迫られることもあるし、登場人物の若衆趣味が描写されることもある(ほくろ物語等)。これらは周りに知られたら強烈に馬鹿にされる。ただそれだけだ。
女性同士の愛も出てくる。内容は描写されないが(好意を伝える、或いは人前で手を繋ぐ程度かもしれない)、父親は我が娘の恋愛に「全く奔放な娘で困っております。」と愚痴を言う程度だ。
閨で語られる物語にはこのような不道徳さがあったほうが盛り上がるのだろう。以外とレズが若いころのお遊びと大目に見られているように感じる。男同士はバカにされるが、ブルキヤの若王(地下の姫ヤムリカ中の話)が出会った美青年を共に暮らそうと誘う事が友愛と捉えられている当たり、瀟洒にするのであればOKということか。
血縁の忌はどこでも忌まれるが、隠れていても天の火に焼かれる同母同士間に対して、異母同士間は「知らずに、知られなければ」許されるのは、いとこ婚が多いとされる男系宗族社会では少しは言い分が立つ「イケナイ事」なのだろう。6歳頃から男女が別れて暮らすアラビアの部族社会では、異母兄妹であれ、久しぶりに会って恋に落ちた名も無きシャールカーンとノーズハトゥは多かったのかもしれない。
「大変な1日だったな、、、、。」
蓮華王院の御所で後白河法皇はようやく安らいだ。今、木曽義仲が帰った。
「皇嗣のことにも口を挟んでくるとは。勘所を嗅ぎつけるのがうまい男だ。蛮人だ、なんだと侮っていると危ないな。」
「我が軍勢は今は亡き以仁王の一子、北陸宮を擁しております。今は後方で待機していますが皇位が空位ということはあり得ざること。急ぎ加賀国よりお越し頂きます。」
叔父の行家があんぐりとしている。
「確かに日嗣の御子がおらぬということはあり得ぬ。以仁の、、、おおそういえば世を去った上皇にも居ったな、皇孫を見定めて選ばなければならぬ。ここではさすがに決められない。だが選定を急がねばな。両名ご苦労だった。」
法皇が言うと行家が
「長居をしてしまったものです。それでは退出いたします。」
と言って義仲に促した。法皇がこれに関してここでは決めぬと踏ん張ったのを見て義仲は退出した。ここで押し合う時間はあまりない。都になだれ込んできた畿内の源氏を配下にまとめなければならない。後で改めて決めるか。
「軍勢を率いる以上、都の治安は義仲の手の中にある。その責も。何とか意をそちらに向けてくれたわい。」
庇護される者の立場を活かした形になった。が、急がねば。皇位を決めるのはこちらだ。当たりはつけている。子の故高倉上皇の三男惟明、四男尊成親王だ。長男言仁は平家とともに、次男守貞親王も皇太子として連れて行かれた。ならこの二人の内、ふさわしい方でいく。すでに人を遣っている。
あの場では今上はもはや世を統べるものではない、よって代わりを、、、という流れになったが、法皇の中ではまだ言仁が日嗣の御子としてある、そして三種の神器も共に西海にある。
「心から、残心もなく、孫を見捨てることはできぬわ、、、。」
そういう心は政に関わるものとしては致命的かもしれぬ。しかし捨てれぬ。あくまで御世替わりが必要になった時の皇子の見定めだ。
「ふふふ。」
義仲は笑った。この都に満ちる兵は全て源氏。20年の鬱屈を晴らすことができた。西海に逃げた平家は戻れまい。
「ここに集まった源氏の兵は誰に統べられている?この義仲だ。関東の頼朝がいつまでも正嫡と言えるものか。」
既に今井、海野、足利等が京の地固めに取り掛かってゆく。この地は我が軍勢にどのような力を与える、か。
木曽義仲の意を受けた俊尭僧正が北陸宮即位に向けて蠢いている。はや、方方から聞こえてくる声に木曽の遠慮のなさをヒシヒシと感じる。その中で惟明、尊成親王が蓮華王院の御所に来た。老いらくの身には孫との触れ合い自体がうれしい。まず5歳の三宮惟明が呼ばれた。
「おぉう、大きくなったのう。さあさあ爺に顔を見せておくれ。」
思わず顔をほころばせ招く。しかし、
「やあや、やあや。」
とむずがって近くに寄ろうとせずにお付きのものも困った様子であった。
見知らぬものとはいえ、ここまで人見知りするのは皇位につくものにはちと、どうかのう。そう思った。
「今日は機嫌が悪いようじゃな。まあ日を改めて、今日はもう帰って休め。」
と御所から帰らせた。次に4歳四宮尊成が呼ばれた。
「さあ、ここへ、ここへ。」
と言うや、ニコリと笑って進んできて膝に座った。そしていつまでも離れようとしない。
「見知らぬ老法師に呼ばれて、ここまで親しむとは。やはり血の繋がりを感じるとうれしいわい。そして王にはこの愛敬、これもふさわしい。憲仁を思い出すのう、、、。」
そう、顔には息子の故高倉上皇の面影。この子だ。いつの間にか涙が止まらなくなっている。法皇の寵を受ける従二位の丹後殿はその様子を見て
「このお方ということなのですね、、、?」
と問うた。
「ああ、この子だ。」
初めて見たときから、どこかこの子になるのでは?と思った。なぜだかは分からない。命を宿す者の勘というものかもしれない。この後、内々に占いをすると「四宮が位につくのなら、日本は百代の先まで皇統の王に統べられるだろう」と出た。しかし、占いとは現世の勢いを追認しやすいものだ。それよりも、
尊成親王の母は修理大夫の藤原信隆の娘殖子だった。元々は言仁皇子の母徳子に仕えていたのが高倉天皇に見初められてお側に呼ばれるうちに多くの子宝に恵まれた。そのなかの一人が尊成親王であった。しかし天皇の子達とはいえ、次代の皇位は異母兄の言仁親王に決まっている。信隆卿は平家に気兼ねして皇子としての養育をためらっていたが、清盛の妻二位の尼時子が聞きつけるや
「何を遠慮することがありましょう。皇子として育てるために私が一働きしましょう。」
と引き受けて、手はずを整えてくれた。尊成親王は時子の兄である法勝寺の執行能円法印の養い君として皇子待遇を受けることになった。盛世の平家は何とも慈悲深い一面があったのだ。
しかし平家の都落ちに能円は従って女房も宮も置いて都を出た。当時の混乱が見て取れる。都から離れた時に思い直して人を遣わせて「宮を連れて同行するように」と女房に伝えた。言われるままに宮を連れて西七条まで来た時に兄である藤原紀伊守範光が慌てて追いつき、
「モノにでも憑かれたのか?ここから運が開けようとしているのだぞ!」
と親王共に連れ戻した。法皇が皇子達を見定めていると伝え聞いて連れ戻しに来たのだった。
御所からの迎えの牛車が着いたのは次の日であった。
こちらの方が新帝選定に大きく関わったと言えるだろう。物事が成るのに人の縁がいかに大きいかを示している。
この後、範光はしばらく不遇をかこつが建仁二年(1202年)に今は天皇として在るかつての尊成親王から正三位に任じられて、ようやく皇恩に浴したということだ。情けは人の為ならず。
尊成親王、後の世に後鳥羽天皇と呼ばれる、波乱が続く時代の天皇である。
丹後殿、、、、高階栄子




