落日、朝日
「明史」
永楽帝は1403年頃に日本に対して「日本は通達した以上に何度も来て貢納する物品も多い。船数、人数、貢納の品数を少なく制限せよ(十年に一度、2隻以下、200人以内)」と命じている。朝貢してきたならその何倍も褒賞を与えなければならない。その負担が大きいので釘を差したのだった。この朝貢以外に付属の随行船団も来て商売をする。一回の利益はとんでもない。天龍寺船や建仁寺船の船主には普請のための費用を大幅に上回る儲けがあっただろう。中華皇帝の命は当然、効き目がなかった。
1425年黄巌、竜巌の住人が賦役のキツさに倭寇に通じて略奪時の手引きをするようになった。貿易事には取引先の相手だったのだろう。沿海部、特に長江〜寧波の辺りは明王朝と倭寇の間で自由に動いていた。彼等は倭寇が来なくなると窮して処刑されたりしたが、このような日明を跨ぐ幇の参加者は知られてないだけで多かっただろう。「狡賢い」倭寇は後期を待たずとも日明間の貿易に従事する商人の性を現していたわけだ。
明の創始者洪武帝が開始した海禁政策以後も密貿易という形で私貿易は続いた。朝貢名目で随行できない海商はそうするしかなかったからだ。取り締まりきれない闇の中で幇対官、幇対幇の衝突が続いた。16世紀の前期からの後期倭寇になるとここに腐敗して苛烈な明朝に叛く勢力も参加して襲撃はより大規模化してゆく。日本↔明南部沿岸間の幇は名実共に北で活発化する女真人と共に「北虜南倭」の厄介な「異民族」となってゆくことになる。
平貞能は淀川の河口に向かっていた。源氏の軍勢が既に河口の辺りを固めている、という報を聞いて「確かめて、真なら蹴散らす」ためである。京からの退去には反対だが、平家の全滅は避けねばならない。機先を制して一撃を加えるべし。
誤報であった。
河口は静かなものであった。
「これで福原への路は開かれたな。」
と呟くと、改めてそれで良いのかと思う。九州の征伐に向かって改めて領主達に平家は天秤にかけられていると思った。ここに都落ちの報が加わるとどうなるか衆も1万を超えないとすると福原、或いは太宰府に本拠を置くとして静まるものか?
「貞能様!行列が。」
偵察がかけてきた。帝を中心とする一行が着いた。平宗盛の前に膝をつく。
「いち早く河口を固めていたとの事、いやご苦労でした。」
古強者に棟梁とても敬意を払う。
最後の意見を伝えるか、そう決意した。
「棟梁、淀の河口まで来て、ですが、やはり都で源氏を向かい討つべきです。もし身の危険を思うなら今上のみは福原へ、そして我等はここから返して都で戦うべきです。」
宗盛はころころ意見が変わる。その調子でまた一転すれば間に合う。かすかな希望だ。
「7000では戦えぬ。とにかく西海に行く。これは変えるわけにはいかない。」
迫る木曽勢、比叡山の協力も得れない。この状況でどうしろと言うのか!と言わんばかりに突っぱねられた。
「しかし、、、。」
言葉を継ごうとしてお付に止められた。無茶を言っていると思われている。彼らにとっては退くが道理か。
「それではこの身にお暇を。せめて私のみは都へ。お借りした兵も小松殿にお返しします。」
手勢の30騎のみを残して引き渡した。
「ご武運を。」
陣中ゆえに手短に述べると都に駆けていった。
「貞能が返してきただと?俺を討つ気か!」
噂が都に飛ぶと平頼盛は動揺した。都落ちに同行しない平家を血祭りに上げて見せしめにする気だ。そんな相手に寺の不入権が通じるか分からないが今頼るはこれのみ。改めて寄る辺なき身と思い知った。
貞能は西八条の焼け跡に大幕を張って陣を構えた。決戦に備えて一晩を過ごす。焼ける前から都の西の下半分は荒れていて住民は少ない。ここなら軍勢の集結に問題はないだろう。そう、貞能は平家の意気に期待していた。腐っても鯛、返してきてくれるだろうと期待していた。しかし夜が明けても一兵たりとも戻ってこなかった。
「来ぬか、、、、。」
体から魂が抜けた気がした。
「京の赤旗は今日までよ。こうなれば一つやることがある。」
幕をかたすと、向かった先は重盛の墓所であった。
「しばし、耐えて下され。」
墓を掘り返して骨を掘り出した。
「なんと世の動きの無常なことでしょう。小松殿が亡くなった時にこの有様になるとは思わなかった。数年前、あの世への供が出来たなら、、、この悲しみにも出会うことなく、、、。せめて死んだあとにはまたお会いしたいものです。」
武士というものは戦に於いて非情だ。源氏が都を押さえると戦意高揚のままに墓は暴かれて晒される。それは避けねばならない。
「骨はお守りします。せめて安らかに。」
墓の土は残らずに賀茂川に流して、骨は高野山に送った。ここに改葬したのならば、義仲も手を出す気にはならないだろう。
一通り事が終わると、どうしようかと思案した。抗戦する気は萎えている。西海に向かおうとも思えない。
「残ったこの身、日が昇る方に進んでみるか。何処まで生きれるか試しきるのもよかろう。」
そう言うと東国へ落ちて行った。
情けは人の為ならず、という諺がある。
東に向かった貞能は京で交友のあった宇都宮朝綱に保護された。まさかあの時の関わり合いで命を拾うこととなるとは、世の中何が幸いするか分からぬ。人の世の不思議さに古強者も息を呑んだ事だろう。
「先行する行家叔父に伝えよ。疾く南から入れと。」
源義仲は今井兼平に告げた。
「疾く、伝令を走らせます。」
駿馬が駆けて行った。予期される都での決戦を見越して京の周りの里へ貴族貴顕の避難が続いている。そこから様々な話が漏れて近江国に居る木曽勢にも流れてきた。
「惰弱の輩はさもありなん。」
そして25日の日が昇るや平家が都から逃げ出したと報が来た。行家から何の知らせもないが間違いない。平家は逃げた。
「ならばさっさと都を押さえる。そして北から比叡山に逃げ込んだ法皇を迎えてこの木曽義仲が都に見参する。」
鼠にチョロつかれるのは目障りだが、まずは南から入って押さえさせる。足を止める坂本から使者が比叡山に登った。
「次郎殿、法皇様にはどう拝謁すればよろしいでしょう?直に見ると目が潰れると聞いたことがあります。」
心配そうな巴の声を聞くと義仲は急に笑った。
「平家如きに好きにされていた御仁がその様な力があると?イヤハヤ、大した御稜威だ。」
狼の群れというべきか。麓に集まった人の群れを見下ろしてそう思った。もはや国々の壮丁を集め鍛えた王朝の国軍はない。地方の軍閥がその任を請け負っている。そういう時代に生まれた王がどのような目に遭うのか。
「どう生き延びる、、、、。」
後白河法皇が木曽の軍勢の中に入った。
「一門都落」




