如何に言われようとも!
「明史」日本の項目は、南北朝時代〜足利義満を経て豊臣秀吉までの主に日明の倭寇に関してのやり取りを詳しく記している。
九州にあった南朝の懐良親王と倭寇に関しての交渉が先ずあって、後に足利幕府三代目義満が使節を派遣して来る。しかし洪武帝は礼儀がなっていないとこれを拒否、使節を追い返した。どうも我が国は明から見てトンデモ国家と見られていたようだ。国交はその後開始されるが、藤原祐寿が留学して位も与えられた頃に明朝の胡惟庸が反乱を企てて日本から兵を借りて動き出していたり(着いた頃には胡は敗死していた)波乱含みだった。この後も倭寇は来襲し続けるが、日本側も永楽帝に倭寇の頭目を捉えて引き渡したりと要請に応えようとしてゆく。1457〜1464年には源義政は朝鮮王を外交の仲立ちにして書を届けている。朝鮮王と琉球王は明からや日本からの言伝や書を届ける仲介をよくしている。日明間には波乱が多いから労を他国の王に取ってもらうことはありがたかっただろう。国土の掌握が緩かった室町幕府と旺盛な活動をする商人(武装済み)の取り合わせは外に向かって騒動の輸出をしている様なものだから、倭寇が領地内でやり合っている近隣国家に貸しを作ってでも何とか明との関係を保とうとしていた室町日本は、現ソマリアを見ると外からのイメージが掴みやすいのかもしれない。資源があるが統治が緩い海賊国家、それが中世後期日本の姿だった。
平頼盛は清盛の異母弟だった。当然一門の都落ちに従って、住んでいた池殿に火をかけて出発したが鳥羽殿に達した時に「忘れ物があった」と引き返して行った。「城南の離宮」と言われた一時、後白河法皇が住んでいた結構の南門で突然返したと云うから都を出て寂しい鳥羽の辺りの風景にこれから向かう西海諸国の鄙を重ねて暗然として決意したのかもしれない。その勢300とあるから中々の数だ。
これを見た越中次郎盛嗣が大行列の中、平宗盛のもとに勇んで参じた。
「あれをご覧ください。都に返してゆく頼盛殿にあれだけの者が付き従っています。これからという時に許してはこれから先どうなるか。まさか頼盛殿に矢をいるわけにはいかないので、付き従う侍に一本でも打ち込みましょう!」
目が赤くなっている。ここで離脱させては次々と続く。武士の勘だろう。
「放っておけ。長年の恩を忘れて行く様な人でなしには矢の一本すら惜しいわ。」
宗盛は冷静なのか打ちひしがれているのか。そう言われては盛嗣も留まるしかなかった。
去ってゆく300を見ているうちに
「維盛6兄弟もそういえばどうした?」
との声が挙がる。何となく発した問いは行列の中の口に乗って伝わってゆく。このような境遇を味わおうとは、、、、。平知盛はみじめさを感じた。一団一塊になって意気を上げて行くならともかく、あれは来ないこれは去るでは気持ちが暗くなるだけだ。
「まだ都を出て一日なのにもうこの有様とは!この先どうなる。都に留まる道もあったのに!」
つい言うまいと思っていた愚痴も飛び出す。声に気付いて知盛の顔を見た者は、それも涙を出しながらの嘆きだったことに自分達が悲惨の中にいる事をより思い知るのであった。
京に返す頼盛には後ろめたさはない。同じ平家で清盛は異母兄弟。力を合わせてきたが骨肉の縁、という点ではやはり「薄い」と感じる。甥の宗盛が棟梁となるとより薄くなった。木曽義仲の進撃が伝わると宗盛の要請で北の山科の守りに出たが撤退の伝達は遅かった。池殿に火をかけたのも洛中に戻ると勝手に決まっていたことだ。
「ここは身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、でゆくか。」
まだ四十代。それを西海の何処かで過ごすより、一か八か都で留まる事に使うほうが良い。当てはある。関東の源頼朝の使者が接触を図って来ていた。天下を二つに分ける源平の競り合いとはいえ源頼政の様に平家につく源氏もいた。なら源氏につく平家もあって良いだろう。源氏もこれからの戦いを考えると平家の戦力が削がれることは悪くないだろう。寄せてきている木曽がどのような者かは知らぬが同じ源氏間で頼朝に口を聞いてもらうとしよう。
そう思いを巡らしているうちに京の入り口についた。やはりここが良い。留まる先は八条女院が居る仁和寺の常葉殿だ。常葉殿に住んでいる女院の乳母子の宰相殿は連れ合いだ、その縁で転がり込む。
入り込んだら寺院の俗世に対しての独立権は強い。それを盾に拘束を防いで交渉する。頼朝との繋がりをひたすらに頼る一手だ。門前で用件を述べると通された。やれやれ一安心。
女院は鳥羽天皇の第三皇女。落ち着くと、慈悲深いことにこれからの身の振り方を聞いてきた。
「もし捕らわれるようなことがあったのなら鎌倉の方から話をつけてもらおうかと。」
とにかく口に出した。そうやって成る、と気構えておかないと不安過ぎる。
「果たしてこの世にそれほど頼れるものがあるのでしょうか?」
心の底の不安が口を利いたようでゾッとする。一門から離れた以上、この暗がりの中を行くしかないのだ。無理であろうとも。
頼朝は頼盛を助ける気だ。そのうち京に関東勢が入る(それだけを考えて事を進めている)。京に詳しい、顔の利く者が必要だ。よって平家の中でも力があるが外れている者を見つけて手を伸ばした。他にも妹が嫁いでいる一条能保も確保している。これで何とかなるだろう。待つだけを続けていたわけではない。
「しかし義仲が何をする。」
先に京に入られる事での不利はもちろん感じる。
維盛6兄弟が行列に追いついたのは淀川辺りの六田河原だった。流石に嬉しかったのか宗盛は出迎えて
「何かあったのか?遅れていたが。」
と声をかけた。維盛は
「ええ、幼い者たちをなだめるのに随分かかって。遅れてしまいました。」
とどうしようもないような顔をした。
「それにしても六代御前を置いてくるとは、よっぽど頼りになる者を見つけれたのか?」
「、、、、この先、どうなるのか分からないので、ね、、、。」
そう言うと目から涙が出た。ここは耐えねばと思っていたが、、、、。
落行く平家はおよそ7000、かつて治天下の要だった大兵力も散ってこの数。山城国の南端、大山崎を進んでいる。一時止まって石清水八幡宮を遠拝した。
「南無帰命頂礼、八幡台菩薩、都に帰るご助力を。」
大納言平時忠は祈った。行列が後ろを振り返っても京は霞んで見えはしない。煙が上がっているのが見えるだけだった。
中納言平教盛
はかなしな ぬしは雲井に わかるれば
跡はけぶりと たちのぼるかな
修理大夫平経盛
ふるさとを やけ野の原に かへりみて
すゑもけぶりの なみぢをぞゆく
乳母子、、、、乳母の実子
落ち行く平家
「前内大臣宗盛公、平大納言時忠、平中納言教盛、新中納言知盛、修理大夫経盛、右衛門督清宗、本三位中将重衡、小松三位中将維盛、新三位中将資盛、越前三位通盛
殿上人
内蔵頭信基、讃岐中将時実、左中将清経、小松中将有盛、丹後侍従忠房、皇宮宮亮経正、左馬頭行盛、薩摩守忠度、能登守教経、武蔵守知章、備中守師盛、淡路守清房、尾張守清貞、若狭守経俊、兵部少輔尹明、蔵人大夫業盛、大夫敦盛
僧
二位僧都全真、法勝寺執行能円、中納言律師忠快、経誦坊阿闍梨祐円
侍は受領、検非違使、衛府、諸司の160人都合其勢7000」




