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宗盛の決断

1183年時点での奥州藤原氏の出羽国陸奥国は平家源氏と共に天下を三分する存在だった。人口がまだまだ少なく、広大な地を耕しきれずに交易の繋がりによって漠然とした勢力圏を保っている存在(松前氏支配下北海道の様な)で、南下しようとするなら必ず負けただろうが、攻め入ることを躊躇させる三分の一角であったのは間違いないだろう。この奥州藤原の強みは黄金以外にもう一つ。外に開いた港の存在だ。西国の平家の博多に対してしかも二つ。吹浦と十三湊があった。越前国の敦賀が渤海国→京からのルートになっていたように中華北部(北宋、沿海部)とのつながりとして機能していた(博多は寧波)。関東が大陸からの窓口を持たず、中華南部と博多(太宰府)を通じて関係が深い平家と中華北部と吹浦十三湊を通じて関係の深い奥州藤原は内外交に於いて立場を異にする三つの天下だった。藤原氏が現青森にある十三湊にどの程度の支配権があったかは不明だが藤原秀衡の弟秀光が十三湊を開いたという言い伝えがあるということは奥州の物流の中心として栄えた平泉との関係は深いものだっただろう。中世の初期で平泉が滅びなければ北日本と関東以南日本で相当違う日本史が存在したという想いが出る。中国歴代王朝と関係の深い中央日本史、北方異民族政権と交流の深い北日本史。平泉の当時の宋にもなかった富を考えると独自の史書を編纂できた可能性もある。大陸の漢人・騎馬民族のような二大系統で捉えることの出来る日本史が展開していれば今の日本は如何に変わるのだろうか?

近世に於いての北海道への進出がより早く、より大規模になった江戸時代があったのかもしれない。

法皇の鞍馬への脱出のおよそ10日前、7月14日は九州の反乱を平らげた古強者、平貞能が現地3000騎を具して帰京した。本来平家とすれば湧きに湧くところであるが、同じ湧くでも木曽来襲の騒ぎの中である。戦勝を祝う間もなく都の周りに布陣で各将の出陣となった。

大将軍平知盛は命を受けた以上は、と中将平重衡以下3000を従えて山階へ。通盛、教経は2000で宇治橋を守り、淀川に通じる道は1000の行盛、忠度が固めた。こうして盆地である京周りに通じる南北の通路を封鎖した。そこに敵軍の動きの噂が広まった。5万騎が北陸道から南下する、源行家は宇治橋に数千騎で攻め寄せる。大江山からは矢田義清がやって来ると幻影は大きくなるばかりであった。

24日も暮れようとしている。法然は夕闇が迫る中、道場へ急いでいる。中心部から離れた岡崎は混乱がそれほどではない。しかし次に来る木曾義仲、これは一体どのような者か。民の不安は濃い。耳にヒューヒューという嘯きが聞こえた。

「モノを呼んでいるのか。逢魔が時に不吉なことを。」

ふと河御前ではないかと思った。濁った水の中を巨魚がぐわんっと進むと姿は見えなくとも水の中たわみで存在が分かる。巨大な霊力ものを持つ彼の者も混迷の時に在る所が浮き出る。法然の知性ではなく感性がそう告げた。

その騒ぎの中で総大将宗盛が24日の夜に、六波羅殿に来た。建礼門院が移ってきている。静かに向き合う。

「合議ではこの都で戦うとなったが、それで勝てるのか。こうも世の中が騒がしいとどこか山の奥まで引っ込んでしまいたいという気になってしまう。」

布陣が終わっているのに総大将がグチグチと言い続けるのは良くない。こういう物はどこかで漏れて士気を削いでゆく。

分かっているが言わないと収まらないのだろう。建礼門院徳子は感じている。兄妹の気安さで言った。

「宗兄ィ、平家の棟梁なんだからどうするか、は兄の決めるところ。思い切って檄を飛ばして良いでしょう。」

「、、、、法皇、今上も近くにおわす。移るにはまだいけるな。」

宗盛は決意をした。各所を守る軍勢に伝令が走った。


「こんな事を考えるなんて、平家の先は見えたようなものだ!」

平資盛はビクッとした。九州から戻ったばかりの古強者、貞能が怒鳴ったのだ。この宗盛の決意によっての混乱は至る所から伝わってくる。

「時子殿も反対しているようですからね。」

「清盛殿と共に平家を観てきたから直観が走ったのだろう。」

京は摂津、山城、和泉、河内、大和の畿内5カ国(五畿)という天下で最も豊かな地の物資が集まる地そして東海、東山、北陸、山陽、山陰、西海、南海、諸道下諸国を路で繋げる天下の中心。軍勢の移動もここに居るから素早く広げることができる衢地くちだ。この地は平家に力を与えている。守れないからと退くのなら捲土重来は不可能だ。二位の尼はそれを分かってはいないが、感じたのだろう。だが、感じている程度なら息子を説得できないだろう。これは従うことはできぬ。


「法住寺の御在所に法皇がいらっしゃらないようで。女房達が騒いでおります。」

橘内季康きちないすえやすという法住寺仕えの侍が六波羅殿の宗盛に伝えたのは日が昇る前だった。

夜が明ける前、後白河法皇の鞍馬への脱出がすでに始まっていた。

「平家と共にいるとどうなる?軍勢が攻めてくるのだぞ。都から避難し、とにかく生き残る。」

そうすれば義仲が京を取ってもすぐに戻れる。そのためには体裁や周囲への聞こえは気にしている場合ではない。

「言仁、許せよ。」

なんとか連れ出せないかと思ったが算段はつかなかった。平家出の王として運命を共にするしかないだろう。孫を見捨てなければ自分もどうにもならない。何が法皇だ。この無力な男が。


平家の都落ち。

ようやく宗盛が決定した。まずは大極殿がある福原京へ。そこで状況を見る。慌ただしく支度が始まった。各所からも軍勢が戻してきてドヤドヤと陸路、河下りで京から移り始めた。まだ6歳の今上帝、言仁は徳子と共に牛車で。25日の朝には御所から三種の神器も動かされた。

平家は移るが、貴族連はついて行くも行かぬも勝手だ。都から出るのは気が重いが、信濃国から攻め上がってくる木曽勢と会うのも良いわけはない。

摂政近衛基通は平家と共に福原に行くことにした。母母清盛の娘平盛子、そして政権で平家と席を同じくしてきたから判断に疑問は抱かなかった。普賢寺関白と呼ばれて順調な日々だった。だからすぐ戻れるだろうと楽観している。どうも人は明らかに地獄に転がり落ちる坂もその時の気分で気安く選べるらしい。そうやって七条大宮まで来た。その時に角髪みずらに結った童子が牛車の前を横切った。ここ数日の騒ぎで眠たい眼でそれを見た。袂に「春の日」と文字が浮かんでいた。春の日、、、、春、、の、、日、春日、、、かすが。この世界で何か現象が起こるときは兆しが先ずある、という。

「なるほど、春日大明神が裔たる藤原氏の私を守ると、これは幸先よし。」

とポツリと言った。その時、聞こえた。

いかにせん 藤のすゑ葉の かれゆくを 

ただ春の日に まかせてや見ん

童子の声で詠んだ和歌であった。

ぞッと冷水をかぶったような心持ちがした。その瞬間、公卿は転げ落ちてゆく自らの姿をはっきりと感じた。これは基通が遭った「事実」だ。睡眠と覚醒の境が現在より曖昧な前近代の意識に奥底に蟠っていた思いが神秘の姿をとって噴き出たのだ。

「た、、、高直、、。」

お供の進藤高直を呼ぶと声を潜めて言った。

「よく考えてみると今上はお連れできたが、法皇は鞍馬に行かれて共に、とはなれなかった。どうも先が怪しいように思う。どうだ?」

高直はこの時の小声がえらく早口だったことを受けてとっさに行く先を返して大宮通を北に向かった。牛車でこれ程の、という速さであった。侍の越中次郎盛嗣がこれを聞き引き止めようとしたが、もうどうにもならぬからと周りに止められ諦めた。基通の牛車はそのまま北山の知足院に入ってひたすらに潜み平家の福原行きをやり過ごした。長く続く家には何の加護か、世の動きの兆しを見る力があるらしい。

「主上都落」

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