第二話 半分ずつ、というのはどうだろう
婚約解消から二週間後、マルグリットは王城で開かれた夜会に出席していた。
「見て。あれがアーレンス侯爵令嬢よ」
「婚約者を見捨てたという?」
「いいえ、婚約者に別の女性との結婚式を見せつけられたそうよ」
「病弱な幼馴染を追い出そうとしたとも聞いたけれど」
「どれが本当なのかしら」
背中に突き刺さる視線と囁き声。
噂というものは、広がるたびに形を変える。
すでに社交界には、マルグリットが病弱なターニャへ嫉妬し、ユリアンとの仲を引き裂こうとしたという話まで流れているらしい。
訂正して回る気にはなれなかった。
いずれ両家から正式に婚約解消が発表される。結婚式に出席していた招待客も大勢いるのだから、真実を知る者がいなくなるわけでもない。
そして今は、それよりも大事なことがあった。
お腹が空いた。
婚約解消以来、家族や親族への説明が続き、ろくに食事を楽しめていない。
美味しいものを食べれば、大抵のことは少しだけましになる。
それが侯爵令嬢としての矜持ではなく、マルグリット個人の哲学だった。
ダンスも社交辞令もそこそこに切り上げ、ビュッフェコーナーへ向かう。
パンプキンスープ。
サーモンのカナッペ。
チーズと果実の盛り合わせ。
皿へ着々と料理を載せていったマルグリットの視線が、ある一点で止まった。
大皿に鎮座する、艶やかなローストビーフ。
薄く切られ、美しい薔薇の花のように盛りつけられたそれは、会場の料理の中でもひときわ目を引いていた。
そして大皿に残っているのは、最後の一枚。
マルグリットがトングへ手を伸ばした瞬間、反対側から伸びてきた別の手が、同じトングの柄を掴んだ。
「……あの」
顔を上げると、見覚えのない青年が立っていた。
銀糸のような髪に、深い青の瞳。
夜会用の礼装は明らかに一級品で、立ち姿にも隠しきれない気品がある。
周囲の者たちがさりげなく道を譲っていることからも、相当に身分が高い人物だとわかった。
だが、マルグリットも空腹だった。
ここで手を離せるほど、心に余裕はない。
「こちらは、わたくしが先に狙っておりました」
「いや、私の方が先に手を伸ばした」
「トングに触れたのは、わたくしが先ですわ」
「それは判断が難しいな」
二人はトングを挟んだまま、互いの顔を見つめた。
夜会の喧騒の中、ローストビーフ一枚を巡って譲らない男女。
傍から見れば、かなり奇妙な光景だっただろう。
やがて、青年の口元がわずかに緩んだ。
「半分ずつ、というのはどうだろう」
マルグリットは大皿に残る一枚へ視線を落とした。
やや大きめに切られている。半分でも、十分に味は楽しめそうだ。
「妥当ですわね」
「交渉成立だ」
青年は近くにあったナイフを手に取り、ローストビーフを丁寧に二等分した。
切り方にも性格が出るのか、ほとんど寸分違わぬ大きさだった。
半分ずつ皿へ取り分け、二人はその場で口に運ぶ。
「……美味しい」
「美味しいですわね」
感想が重なった。
青年が笑い、つられてマルグリットも笑った。
最近、こんなふうに何も考えず笑ったことがあっただろうか。
「失礼。まだ名乗っていなかった。私はアーヴァインだ」
「わたくしはマルグリットと申します。マルグリット・フォン・アーレンスですわ」
「アーレンス侯爵家の」
青年は何かを知っているようだったが、余計なことは口にしなかった。
婚約解消の噂を聞いているのかもしれない。
それでも同情も探るような質問もせず、皿の上の料理の話を始めた。
「このチーズもなかなか美味しいらしい」
「すでに確保しておりますわ」
「準備がいいな」
「食事に関しては妥協いたしませんの」
その時のマルグリットは、まだ知らなかった。
目の前のローストビーフ争奪戦の相手が、この国の王太子その人であることを。
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