第一話 たかが結婚ごっこで婚約を解消するなんて
「本日ここに、ユリアン・フォン・ヴァイドナー様とターニャ・ラング様の結婚式を執り行います」
教会の鐘が鳴り響く中、マルグリット・フォン・アーレンス侯爵令嬢は、招待客席の最前列で微笑みを顔に張りつけていた。
なぜ自分の婚約者の結婚式に、婚約者本人として出席しているのか。
おかしいと思う者もいるだろう。マルグリットもおかしいと思っている。
だが、これには事情があった。
「ターニャは、もう長くない。最後の願いを叶えてあげたいんだ。わかってくれるだろう、マルグリット」
ユリアンは五年前から、何かあるたびにそう言い続けていた。
幼馴染のターニャが「医師から余命半年と告げられた」と泣いたのは、かれこれ五年前のことだ。
半年後も、ターニャは元気だった。
すると今度は、「別の医師から、長くても一年だと言われた」という話になった。
一年後も、彼女は元気だった。
それからも病名と余命だけが何度も変わり、そのたびにユリアンは疑いもせず、付き添い、慰め、時には夜通し看病と称してラング伯爵家へ泊まり込んだ。
マルグリットは何度も、本当に医師から診断を受けたのかと尋ねた。
しかしユリアンは決まって顔を曇らせた。
「死を目前にした彼女を疑えと言うのか」
「ターニャが嘘をつくはずがない」
「君はもう少し、病人を思いやれないのか」
そう返されてしまえば、それ以上は言えなかった。
本当に病弱な令嬢を邪険にする冷酷な婚約者だと思われるのも嫌で、マルグリットは我慢に我慢を重ねてきた。
その我慢が限界を迎えたのが、今日だった。
「ターニャの最後の願いなんだ。花嫁衣装を着て、本物の結婚式のように式を挙げたいらしい。もちろん籍は入れない。あくまで結婚ごっこだから、君も理解してくれるよね?」
ユリアンはそう言って、本当に結婚式を強行した。
親族や友人を招き、神父を立て、誓いの言葉を交わし、指輪を贈った。
そのうえ、誓いのキスまでした。
マルグリットは招待客として、婚約者の結婚ごっこを笑顔で見守らされたのだ。
無理。
さすがに無理だった。
式が終わった直後、マルグリットは招待客に囲まれるユリアンへ歩み寄った。
左手から婚約指輪を外し、祝宴用のテーブルへ置く。
小さな音だったが、不思議と近くにいた者たちの耳にはよく届いたらしい。
周囲の会話が止まり、視線が一斉に集まった。
「ユリアン様。婚約を解消させていただきます」
「え?」
花婿姿のユリアンが、呆けた顔をする。
隣では、純白の花嫁衣装に身を包んだターニャが、驚いたように口元を押さえていた。
「待ってくれ、マルグリット。これはターニャの最後の願いを叶えるための」
「五年間、ずっと最後でしたわね」
マルグリットは微笑んだ。
自分でも驚くほど、穏やかに笑えた。
「そろそろ本当に最後にしましょう」
「そんな、たかが結婚ごっこで婚約を解消するなんて」
「たかが結婚ごっこなら、わたくしとの婚約より優先なさらないでくださいませ」
会場がざわめく。
ユリアンは困ったように眉を下げた。
この期に及んでも、マルグリットが怒っている理由を理解できていないらしい。
「君は僕の婚約者だろう。もう少し大人になってくれ」
「たった今、婚約者ではなくなりましたわ」
一礼し、振り返ることなく歩き出すと、背後から名前を呼ばれたが、足は止まらない。
重い教会の扉を押し開けると、外の空気が頬を撫でた。
清々しいとは、こういうことを言うのだろう。
むしろ、なぜもっと早くこうしなかったのか。
五年前の自分を捕まえて、両肩を揺さぶってやりたいくらいだった。
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