視聴者8:谷川莉子
ソファに体を沈めたまま、スマホの画面を見つめていた。
NHK『プロフェッショナリズム ― 仕事の流儀:一ノ瀬直也という現象』――。
オンエア、全部見終わったのは、結局夜中になってからだった。
通しで全部見るのは初めて。
照明。
風。
あの八幡平の空気。
現場では冷静に仕事してるつもりでも、こうして見ると全部が熱を帯びているように見える。
「……やっぱ、すごいな。」
自分の声が少し震えてた。
――でも、途中のシーンで心が止まったままだ。
夜の食卓。
“ただいま” の声。
柔らかい灯り。
そして、彼を迎えるあの子。
もう、保奈美ちゃんのことは分かっている。
あの子がどんなに真っ直ぐで、どれだけ直也くんを大切にしてるかも。
でも――あんなふうに映すのはずるいよ。
「……いいよ。もう分かっているから、見せないで」
口の中で小さくつぶやいた。
チートだよ、あんなの。
あれ見たら、全国の女性が全員敗北宣言する。
――義妹とか、家族とか、そういう肩書きじゃ説明できない温度がある。
でもいい。
私には私の場所がある。
デートして、笑って、直也くんを、私の記憶だけに上書きすればいい。
RICOでも谷川莉子でも、どっちの私も同じだから。
直也くんの隣に立つ権利は、誰よりも努力して手に入れてきたつもりだもん。
(直也くん、キスだって拒まないしね。)
その瞬間の記憶がよぎって、頬が少しだけ熱くなった。
もう何度もしてる。
それはいつも甘いとかそういうのじゃなくて。
――ただ “自然” に、そして “深く” 。
もう、そういう関係にまで私はもっていけたんだ。
ただ、最近は――ちょっと面倒が増えている。
高田さんが、デートの予定にいい顔してくれない。
直也くん以上に私の顔バレリスクを気にしている。
「もうRICOは有名人なの。
莉子ちゃん一人のものじゃないのよ。
GAIALINQプロジェクトのブランドアイコンだし、CMも増えているんだから、もう少しリスク考えて」
って。
分かってるけどさ。
でも、恋のリスク管理もしなけりゃならないんだから。
そんな単純じゃないんだよ。
それにしても、住田梨花とか滝沢ミラとか。
もう本当にいい加減にしてほしい。
あの人たち、仕事で絡むのはいいけど、あの “間” の詰め方、絶対わざとでしょ?
特にミラさん、あのステージの目線、完全に直也くんに落ちてるよね。
あんなの全国放送で流されたら、ファンが騒ぐに決まってるじゃない。
ため息をついて、スマホを手に取った。
グループチャットには、GAIALINQチームの通知が溜まってる。
でも、今開くのは、個人の方。
直也くんとのチャット。
未読のメッセージはない。
(……あとで、ちょっと文句言っておこう。)
“見たよ。もう、ひどい。保奈美ちゃんまで番組に出すなら前もって言ってよ。”
――送信ボタンを押す手前で止まった。
だめだ。これ送ったら、きっと笑われる。
“しょうがないだろ”
って、いつもの調子で返してくるに決まってる。
スマホを伏せて、天井を見上げた。
「ほんと、ズルいよ。」
心の中では、まだざらついたままの何かがある。
でも、その下に確かに温かいものが残ってた。
あの人を好きになった時から、全部覚悟してる。
誰が出てこようが、どんな距離があろうが――最後には絶対に負けない。
「……いいよ、直也くん。次のデートの時はちゃんと、全部上書きしてあげるから」
画面の中の自分が笑っていた。
八幡平の風に髪をなびかせて。
その笑顔を見て、ようやく胸の奥の “もや” が少しだけ晴れた気がした。
気がしたのに……。
――自分以外の“守るべき誰かの笑顔”が必要になる――。
なんであんなラストシーンにするかな。
ズルいよ。
あの距離は本当にチートだよ。
あれじゃあ、この番組を見ていた誰もが、保奈美ちゃんの笑顔をイメージするよ。
――でもそれだけじゃないと私は自信を持って言える。
直也くんは絶対に私の笑顔もまた「守るべき」ものと思ってくれているの。
もう一人が強すぎると思うけれどね。
でも絶対に負けない。
だって彼の為の「祈り」は私にしか出来ない事なんだから。




