第四十八話 情報の選別
韓恢を組み込んだ「峻の私設監査班」が動き出してから、数日が経過した。
軍の兵糧貯蔵庫には、日に日に米俵が積み上がっていく。
表向きは「隠匿物資の摘発」。
だがその実態は、韓恢がかつて賄賂を配り、
商路を固めていた各地の豪族たちへの、峻による「合法的な恐喝」だった。
「……見事なものだ、峻殿」
執務室の片隅で、書類の山に囲まれた韓恢が、皮肉めいた笑みを浮かべた。
彼の前には、各地の豪族から届いた「献納誓約書」が並んでいる。
「かつての私の悪行を、そのまま逆算して『未払いの軍賦』として請求するとは。
これでは、彼らも抗弁のしようがない」
峻は筆を止めることなく、淡々と答えた。
「彼らが曹仁将軍に便宜を図っていた事実は消えません。
それを罪として裁くか、献納として赦すか。数字の辻褄が合う方を選ばせただけです」
峻の指先は、今や迷いなく筆を走らせる。
豪族たちから「合法的」に吸い上げた資金は、すぐさま韓恢のルートを通じて、物資へと変換されていた。
(……だが、この流れには、まだ『澱み』がある)
峻は一冊の報告書を、韓恢の前に投げ出した。
「韓恢殿。この物流の記録。
……なぜか、一部の商隊だけが監査を避けるように動いている」
韓恢の顔から笑みが消え、鋭い目が木簡をなぞった。
「……これは、盧景の直属だった連中だな。私の指揮下にはなかったはず……」
「盧景は消えた。だが、その組織の末端は、まだこの軍の補給網にへばりついている」
峻は立ち上がり、壁に貼られた巨大な補給地図を指差した。
「彼らが運んでいるのは、兵糧ではない。……情報の断片だ」
峻が見抜いたのは、物流に擬態した「通信網」の存在だった。
米一俵、塩一袋の動きに、ある種の規則性がある。
それは、特定の部隊の配置や、次なる遠征の準備状況を、軍の外へと漏洩させるための「符号」となっていた。
「……内乱は終わった。だが、外部への流出は止まっていない。
盧景の主は、まだ軍の中に耳を持っているということです」
峻の言葉に、韓恢は背筋に冷たいものを感じた。
事務屋の男は、今や金や食料の動きだけでなく、その背後に透けて見える「意図」という名の不純物までをも計算し始めていた。
「韓恢殿。貴方の命を繋ぐための、次の仕事です」
峻は、冷徹な目でかつての敵を見据えた。
「この偽装通信を逆手に取り、『偽の欠落』を流してください。
……敵が、この軍はまだ再建に数ヶ月かかると信じ込むような、完璧な偽の帳簿を」
「……欺瞞作戦に、帳簿を使うのか」
「数字が最も信頼される武器なら、それを使って敵を騙すのが、事務屋としての『最適解』です」
峻は再び席につき、真っ黒な墨を硯に擦り始めた。
一ヶ月で三ヶ月分の穴を埋める。
それは物理的な解決だけでなく、敵の「時間感覚」を狂わせるという、精神的な侵食をも含んでいた。
郭嘉が言った「命を叩きつける戦い」は、今、峻の手元にある一枚の薄い紙の上で、静かに牙を剥いていた。




