第三十四話 選別の構造
朝。
補給部は静かだった。
静かすぎる。
昨日とは違う。
(音が消えた)
人はいる。
動いている。
だが――
無駄な声がない。
峻は廊下を歩く。
視線が刺さる。
逸らされる。
(伝わったな)
昨日の一件。
張温の処分。
それだけで空気が変わった。
(“基準”になった)
部屋に入ると、韓恢がいた。
いつも通り、だが。
「どうだ」
問う。
峻は答える。
「早いですね」
韓恢が笑う。
「遅い方が問題だ」
机を指で叩く。
「補給は命だ、揺らげば、軍が死ぬ」
当然の理屈。
だが今は違う。
峻は言う。
「だから選別する?」
韓恢は頷く。
「そうだ」
続ける。
「帳簿は、そのためにある」
峻は黙る。
韓恢が自分から言った。
初めてだ。
「異常は、作る」
静かに。
「わざとだ」
(やはり)
だが、今、言葉になった。
韓恢は続ける。
「人は数字に出る」
帳簿を開く。
指で叩く。
「隠す者は整える、正直な者は乱れる」
峻の脳裏に張温の帳簿が浮かぶ。
完璧すぎた数字。
「つまり」
韓恢。
峻が言う。
「帳簿は試験だ」
韓恢が笑う。
「ようやく言ったな」
完全に肯定だった。
それで終わりではない。
峻は問う。
「いつからですか」
韓恢は一瞬だけ考えた。
「最初からだ」
曖昧。
だが、嘘ではない。
峻はさらに踏み込む。
「盧景は」
空気が、わずかに変わる。
韓恢は否定しない。
「外の目だ」
短い答え。
「外から拾い、内で選ぶ」
線が繋がる。
(やはり同じ仕組みだ)
あの夜の、逃走は、試されていた。
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「お前もそうだ」
韓恢が言う。
「外で拾われ、内で選ばれた」
確定。
峻は息を吐く。
「最初から、試験だった」
言葉にする。
韓恢は頷く。
「気づいたか」
峻は帳簿を見る。
数字の羅列。
だが今は違う。
(全部、人間だ)
隠す者。
誤魔化す者。
耐える者。
(選べる)
その感覚が、はっきりとある。
「目的は」
峻が問う。
韓恢は少しだけ視線を外した。
珍しい。
「軍を握るためだ」
一言。
重い。
「補給を握れば、人が動く」
「人を握れば、軍が動く」
峻は理解する。
これは。
(戦だ)
外ではない。
内側の。
韓恢が続ける。
「だから削る」
不要を。
危険を。
「残った者だけで回す」
合理。
冷酷。
だが。
筋は通っている。
「全員やるんですか」
峻が言うと、韓恢は首を振る。
「そんな時間はない」
帳簿を閉じる。
「重要な場所だけだ」
「そのためにお前がいる」
視線が刺さる。
完全に任された。
その時、外がざわついた。
足音。
荒い。
扉が叩かれる。
「失礼します!」
兵が入ってくる。
顔が強張っている。
「報告です!」
韓恢が目を細める。
「言え」
兵が一瞬ためらう。
そして。
「昨夜、処分した張温の区画で――」
息を飲む。
「帳簿が一部、消えています」
一瞬の沈黙。
空気が変わる。
(来たな)
峻は思う。
韓恢がゆっくり立ち上がる。
「誰が触れた」
兵は首を振る。
「不明です」
当然だ。
だから問題。
韓恢は峻を見る。
「どう見る」
試す目。
だが今回は違う。
実務だ。
峻は即答する。
「単独ではない」
理由は単純。
「張温一人で消せる量じゃない」
複数。
つまり。
(残っている)
まだ。
「選別漏れか」
韓恢が呟く。
峻は首を振る。
「違います」
断言。
韓恢の目が細くなる。
「なぜだ」
峻は言う。
「これは反応です」
一拍。
「こちらの動きに対する」
理解。
完全に。
「つまり」
韓恢。
峻は答える。
「向こうも見ている」
選別は一方通行ではない。
「なら」
韓恢が笑う。
久しぶりに。
「面白い」
空気が変わる。
戦の匂い。
「どうする」
峻に委ねる。
完全に。
峻は答える。
「同じです」
短く。
「選びます」
今度は。
向こうを。
韓恢が頷く。
「いい」
そして。
扉へ向かう。
「見せてもらおう」
背中で言う。
「お前の選別を」
峻は帳簿を手に取る。
重い。
だが。
もう迷いはない。
(これは試験じゃない)
違う。
(仕事だ)
そして。
(戦だ)
峻は歩き出す。
次の対象へ。
あの夜から続いていた“試験”は終わった。
ここからは――選ぶ側の戦いだ。




