第十章 太陽と月のダンス/ La danse du Soleil et de la Lune
オルレアンの夜の宴が始まる⋯
午後6時40分。フランス、オルレアン。
その日の夜、アリサがホテルのラウンジで一人、今日の出来事を整理していると、ロビーに賑やかな一団が現れた。
ローランとクレマン神父、そして快活なアニエス修道女。さらに驚くことに、シスターの後ろには、母親に手を引かれたリリーの姿もあった。
「ドクター・アリサ!」
シスターが、まるで旧知の友人のようにアリサの隣に腰を下ろした。
「神父様と話していたのです。あなたが『声』に導かれているのなら、放ってはおけない、と。神父様は心配いらないとおっしゃるのですが、私はいてもたってもいられなくて!お守りしなければ、とね!」
どうやら、シスターの中では、アリサが現代に蘇ったジャンヌ・ダルクである、という先入観がすっかり固まってしまっているらしかった。
「まあまあ⋯、シスター」
ローランが苦笑いしながら、テーブルに運ばれてきたワインを注いだ。
「アリサ博士を困らせないでくださいね。それよりコスモス君、君に本物のフランスのエスプリ(機知)というものを教えてやろう!」
ローランが、昼間のジョークの仕返しとばかりに、コスモスにフランスのジョークを熱心に解説し始めた。コスモスはローランに真っ向から対決し、二人はお互いを騎士と認め、決闘のごとく、お互いの何かのプライドと名誉にかけた戦いが繰り広げられている⋯
その賑やかな光景を横目に、アリサは一人、静かに思索を深めていた。
そして彼女は、シスターとローランに向き直った。
「お二人に、改めてお聞きしたいことがあります。ジャンヌの活躍が、その後のフランスに、どのような変化をもたらしたのでしょうか?」
「それは、この国の『背骨』を創った、ということだよ」
ローランは答えた。
「彼女が王太子をランスで戴冠させたことで、フランス王権の正統性は揺るぎないものになった。それが、その後のフランスという国家の礎を築いたんだ」
コスモスが、タブレットに年表を映し出して補足した。
《ローラン騎士の説を肯定します。15世紀以降、フランスは宗教戦争やフロンドの乱といった内乱による揺り戻しを経験しながらも、王権への権力集中は不可逆的に進みました。そして、ジャンヌの活躍から約230年後の1661年、ルイ14世が親政を開始。絶対王政はそのクライマックスを迎えます》
「クライマックス…?」
(というか騎士って言っていたような⋯)
アリサは聞き返した。
「どういう意味?」
《文字通り、物語の頂点です、ドクター・アリサ》
とコスモスは続けた。
《『陽は極まれば、陰に転ず』。ジャンヌが繋いだ王政という『陽』の力は、絶対王政という頂点で、自らの影…すなわち、特権を奪われたブルジョワジーや、重税に苦しむ市民という、新しい『陰』の力を育ててしまったのです。太陽は、沈むために昇る。そして、三部会をきっかけに、フランス革命という巨大なうねりが、その太陽を飲み込んでいくのです》
ローランが、皮肉っぽく付け加えた。
「そして面白いことに、革命の時代、ジャンヌは王党派からも革命派からも、見向きもされなかった。王党派にとっては『田舎娘に助けられた』という過去は不都合だったし、革命派にとっては『神の声を聴いた』などというのは、非科学的な迷信でしかなかったからね」
その時、ずっと黙って大人の話を聞いていたリリーが、ローランの袖を引いた。
「ねえ、ローラン先生。フランスは、それからどうなったの?」
昼間の朗読会での騒がしさとは違う、彼女の内なる知的好奇心から発せられた、真剣な問いだった。
その変化に気づいたアリサとシスターは、温かい目でリリーを見つめる。もちろん、ローランもその変化に気づいていた。
ローランは、リリーの目線までかがんで、優しく語りかけた。
「バスティーユという怖い牢屋が壊されたのをきっかけにね、人々は気づいたんだ。『この国は王様のものじゃない、私たちみんなのものだ』って。そうして、王様が君臨する世界は、少しずつ終わりを告げていったのさ」
「へえ…!それから、それから?」
「その後は、ナポレオンというすごい英雄が現れたりもしたけれど…」
ローランは、幼いリリーにどこまで話すべきか、言葉を選んだ。
「フランス革命が生み出した『国民が主役だ』という考え方が、ヨーロッパ中に広がって、やがてナショナリズムという大きなうねりになって…。いや、リリー。その後の世界は、少しだけ、暗くなってしまうんだ。まるで、ジャンヌがいた時のフランスの苦しみのようにね…」
するとリリーは、小さな首をかしげて言った。
「なんだか、変なの。暗いところからお日様が昇って、一番高くなったら、また暗くなっていくなんて。お日様と、お月様みたいだね」
その無邪気な一言に、アリサは雷に打たれたような衝撃を受けた。
「コスモス!今、リリーが言った通りよ。ジャンヌの時代から太陽王の絶頂までと、フランス革命から第一次世界大戦までの期間周期を比較してくれない?」
コスモスは即座に計算を開始した。
《算出します。ジャンヌ・ダルクの活躍である1429年からルイ14世の親政開始の1661年まで、約230年。一方、ルイ14世の治世の絶頂期である17世紀後半から、ナショナリズムが極点に達し、第一次世界大戦が勃発するまでの20世紀初頭、これも約230年。二つのサイクルの期間は、驚くほど近似しています》
アリサは鳥肌が立つのを感じた。太極図が、彼女の頭の中で鮮やかに回転する。
(ジャンヌが『陰』の底から『陽』を生み出し、約230年かけて太陽王という頂点に達した。そして、その頂点から生まれた新しい『陰』(市民)が、約230年かけてナショナリズムという新しい『陰の極み』へと転化し、世界大戦という破滅に至った…なんてこと…!)
「その周期性、本当に偶然なのかしら⋯。仮にそれが正しいと仮定すると、この先の未来も、同じうねりの中にあるはず。フランス革命の時に陽である王政がどう終わりの始まりに至ったのか。そのことを知ることで、これからの未来の危うさを防ぐきっかけに繋がるのでは⋯」
「それなら、その前のうねりが、どのように始まったか見てみるといい。この国の、すべての始まりの場所にね」
ローランはアリサに微笑みながらそう進言した。
「それって、パリってことね!」
シスターが、まるで自分の名案のように叫んだ。
「ええ、パリに行ってみます」
アリサは頷きながらシスターとローランに微笑む。
「楽しそうじゃない!みんなで行きましょうよ!」
シスターの突然の提案。
アリサとローランは
「えっ!?」
と大声を上げた。
しかし、一度決めたら神の使命と感じてしまうらしいシスターの勢いは、誰にも止められなかった。
「ぼくはその⋯、だっ、大学が、忙しいんだが…」
「あら、ローラン先生。ちょうど明日から数日間、集中講義はお休みのはずでは?」
コスモスが、シスターの真似をしなが、ローランのスケジュールを勝手に暴露する。騎士とは思わしき裏切り。
「私も行きたい!」
リリーが叫ぶ。
さすがにローランが止めようとしたが、リリーの母親は「シスター様がご一緒なら、安心ですわ」と微笑むだけだった。
「ええっ!?」
ローラン、今日2回目のフレーズである。
こうして、アリサと、歴史学者と、AIと、シスターと、好奇心旺盛な少女という、奇妙な一行のパリ行きが決定した。
その話がまとまった瞬間、アリサのスマホが鳴った。
《パリ行きの高速鉄道のチケット4枚、およびセーヌ川沿いのホテルの予約が完了しました。出発は明後日の朝です》
コスモスによる、完璧な手配だった。パリへの珍道中が、始まろうとしていた。
そして、実はもう一人、クレマン神父もその一行に実は加わってみたかったことは、その場の誰にも知られることなく、オルレアンの宴の賑わいは、花のパリの街に向けられていく。
いざ花の都パリへ⋯




