「いいや。むしろ一口乗りたい」
ホーガンが離れたのを確認して、エリックは一人の男に近づく。
レオ・ルヴォア。探すのはそう難しくなかった。白銀の豪華な手甲に天空神の聖印が刻まれている。そしてこの緊張感あふれる控室の中でも、気を抜いた笑いを浮かべていた。
「雷拳神官、だな?」
「……あんたは?」
「クロカブト。順調にいけば二回戦目に戦う相手だ」
対戦表を指差し、言葉を放つクロカブト。くじ引きで偶然シード枠に収まったレオは、第七回戦の勝者と戦う事となる。エリックか、先のホーガンのどちらかだ。
「自分が勝つ、って決まってるような口ぶりだな」
「さてな。それはそちらもご存じなんじゃないのか?」
「へえ。そういうのはお嫌いかい?」
八百長を匂わせる事を口にするエリック。レオもそれを察したのか警戒するように問いかけてきた。この反応でエリックは確信する。
(つまり、彼本人も八百長を知って受け入れているいう事か。なら――)
「いいや。むしろ一口乗りたい」
「はっ、そういう事か。じゃあわざと敗けてくれるんだな?」
「そういう事だ。念のために契約書も書こうか?」
「そうだな。その方がありがたい。金も契約書と引き換えに渡そう」
ああ、と頷くエリック。変なことを口走らないようにできるだけ言葉を短くし、脳内で『僕は……いや、俺は戦うよりも利害で動く仮面の戦士クロカブト』と何度も繰り返して設定を練り直す。
レオに連れられるままに控室の外に出るエリック。そのまま運営関係者用の部屋に無造作に入る。クロカブトの存在にスタッフは一瞬驚くが、レオが事情を説明すると納得して、笑みを浮かべる。
(安堵の笑み。自分がコントロールできる相手と思ってる眼だな、これ)
エリックはその笑みをそう受け取った。何度も自分に向けられたことのある顔。相手を完全に下に見ている支配の感情。
「協力して頂きありがとう。私がこの大会運営長の――」
「御託はいい。書く物を書いてもらう物を貰う。それで終わりだ」
「おや、それは失礼。ではこちらに」
通された部屋は運営長の部屋。豪華な机と椅子があり、剛かな金庫と書類を纏める棚がある。その棚から一枚の紙を出し、羽ペンと一緒にエリックに差し出す。契約の内容と、それによって得られる金額。その額面が妥当だと判断して頷くエリック。
「知っておられると思いますが、契約術式の儀式の為にご説明を。
『この書類にサインをされた後、貴方はレオ・ルヴォアとの戦いで勝つことはできません』……よろしいですか?」
「ああ」
「また簡易ではありますが契約術式に伴う呪いスキルが一時的に付与されます。これは契約を果たすかこの契約書の消滅のどちらかで消え去ります。些か不快かもしれませんが、ご了承ください」
「分かった。サイン名は本名でなくてもいいな?」
「無論です。貴方がサインをした、という事実が重要なのです。それこそ血判でも」
「では血を使うとしよう」
エリックは指を軽く噛んで血を流し、契約書に押し当てる。その瞬間にゾワリとした感覚が背筋に走った。契約成立の証である呪いスキルが付与されたのだ。
金貨の入った袋を差し出す運営長。エリックはそれを受け取る。
「ではこちらをお納めください」
「確かに。因みにどれだけの人間がこの契約書を書いたんだ?」
「一回戦のエルフと今戦っている龍使い以外はほぼ全員です。何故それを?」
「手の込んだデビューだからな。よければ『次』も世話になりたいと思っただけだ。あんたらの裏方はいい金になるだろうし」
「貴方もなかなか欲深い。考えておきますよ。予選を見る限り、かなりの力をお持ちのようで」
書類を受け取り、笑みを浮かべる運営長。手慣れた手つきで書類を棚にしまい、鍵をかける。それを確認した後、エリックは外に出た。
(……あー、緊張した。もうやだよ、こんな演技。強気キャラとかガラじゃない)
ため息をついてベンチに座るエリック。そのまま、意識を<感覚共有>した虫に向ける。
書類を渡す際に書類の裏に引っ付けた細長い涙滴形の虫――紙魚に。
紙を食べる紙魚はエリックの<命令>に従い、契約書を食べ始める。血の匂いがある部分を丹念に食べた時、エリックの身体にかかっていた呪いスキルが消え去ったのを感じた。
(よしよし。ついでに近くにある紙も食べておこう。多分同じ契約書を纏めているだろうし)
わざわざ鍵をかけるほどの書類だ。その確率は高いだろうとエリックは見ていた。虫の大きさ的に穴をあけるのが精いっぱいだが、契約書の文字が消えれば魔術としては成立しなくなる。参加者にかけられた呪いスキルを解除するには十分なはずだ。
(問題は暗いからよく見えない事かな。でも契約書の文面はみんな同じだから、この辺りを重点的に食べれば……)
(ううう、紙を食べる感覚まで共有するんだよなぁ……気持ち悪いけど、何とか我慢して……)
苦悩する事30分。
エリックの契約書近くにあった書類は紙魚に食害され、文字によって成り立っていた魔術的効果は無力化されていた。




