「アンタなんか消えちゃえええええ!」
「へ?」
クーはいきなり崩れ落ちるエリックを見て、そんな声をあげる。
突然のことに理解が追い付かない事もある。何故エリックがいきなり倒れて、血を流しているのか。その理由はすぐに知れた。先ほどのカメとカエルの合成獣だ。片足だけ糸がほどけ、命令を敢行しようと跳んできたのだ。
(このカメを縛った糸の集中、解けてた、の……?)
糸使いの糸は、まるで生物のように相手を拘束できる。物理的な拘束と同時に、相手の動きに合わせて拘束を強化するように縛ることも可能だ。スキルレベルBの糸使いなら10人まで。レベルAのクーはその10倍は可能だ。
そういった拘束を解除されれば糸使い本人に伝わる。距離が離れすぎればその限りではないが、この合成獣を縛った距離はそこまで離れていない。
改めてクーはこの合成獣に繋がる糸に意識を集中する。僅かに感じる綻び。普段なら気付いてしかるべき感覚だ。
「あ……」
クーはその原因に思い至る。机の上に載ってあった琥珀色の液体。何とはなしに口にした瞬間に、ぐわんぐわんと頭が揺れて高揚感を感じていた。そして本に集中しているエリックに悪戯したくなったのだ。
そう。こうなってしまった理由はひたすら単純だ。コーヒーを飲み、集中が途切れ、糸が緩んだ。クーの頭の中の冷静な部分はそれをよく理解している。繰り返すが、それは分かっている。
理解が追い付かないのは、そこではない。
「エリっち……大丈夫……? え? 違う、あーし……」
倒れたエリックはそのまま動かない。頭から血を流し、顔から地面に倒れている。
理解が追い付かないのは、恐怖だ。
「エリっち、生きてる……ねえ、ねえ……」
死。目の前に訪れたその可能性。
魔物として、死は何度も見てきた。クー自身、何かの命を奪ったことなど数えきれない。その中に人間がいなかったわけではない。だから死が怖い、なんて感覚はない。そんな平和な世界には生きていない。
怖いのは、別のこと。
「《《あーしを一人にしないで》》……!」
孤独。
脳裏に浮かぶ幾度とない追放の記憶。
『おお、いい胸してるじゃねぇか。ちょっとこっち来いよ』
『な、なんだぁ!? アラクネだったのかよ! くそ、こっち来るな!』
『俺のダンジョンは強ければ何でもありだ。呪い持ちでも歓迎だぜ』
『お前がいると女神の呪いでヤクが落ちるんだよ!』
『魔物使いとしてA-モンスターはゲットしたいよね! グフフフフ……!』
『キ、キミがいると他のモンスターが怯えちゃうんだ……。か、使役解放!』
『異世界転生勇者のオレ様はどんな女でも受け入れるぜ!』
『あー……お前がいると神が怒ってチート能力取っ払うって言ってるんだ。悪いけど、死んでくれや』
捨てられて嫌われてそれでも誰かを信じようと思うのは、孤独が嫌だから。
形のない何かに押しつぶされそうな感覚。世界から拒絶されたような恐怖。伸ばした手が何も掴めない虚無感。
嫌だ、怖い。もう一人でいるのは耐えられない。またそれが訪れるのだ。
「ああ、ああ――」
そんな事実を、クーは理解などしたくない。
頭を押さえ目を瞑り、首を振って否定する。
「あああああああああああああああ!」
嘘だ。これは何かの間違いだ。嘘をついたのは誰だ? そうだ、原因はあの合成獣だ。あれさえなくなれば、原因がなくなれば、きっとこの嘘は消えてなくなるんだ。そうに決まってる。
それはカフェインによる酔いが導き出した混乱か、或いは現実逃避による八つあたりか。クーは理性を飛ばしたかのように叫び、<変化>を解除してクモの下半身を顕わにする。
そのままエリックの後頭部を殴打したアレキサンダーに向かい糸を飛ばした。拘束ではなく、そのまま絞め殺さんばかりの威力で。
「う、ああああああああああ!」
だが発される糸は跳躍するアレキサンダーを捕らえるには至らない。コーヒーの影響で五感が狂い、怒りと混乱で精神が乱れている。精密な技術と集中が必要な糸使いにとって、その乱れは致命的だ。発される糸の形は崩れ、網は不均等。
「アンタなんか消えちゃえええええ!」
糸の蹂躙は地下室中に広がる。本性を現したアラクネ。神話の英雄を苦しめるほどの能力。その暴威が振るわれていた。
糸は合成獣を閉じ込めていた檻に引っかかり、そのまま捻じ曲げる様に檻を破壊する。檻から出た合成獣はある者は粘着性のある糸に引っかかり、ある者はアラクネの姿に怯えて檻に逃げ潜む。
「何処にいるのよ……! 隠れてないで出てきなさい!」
エリックを殴打したアレキサンダーは、すでに糸に捕まっているのだろう。だがクーはそれに気づかない。あるいはもう何がエリックを倒したのかなど覚えていないのかもしれない。
そこにいるのは、魔物。
衝動のままに暴れる暴威であり、
(もういい……もうどうでもいい……一人になるぐらいなら、死んだ方がいい!)
孤独に怯える一人の少女だった。




