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カモネギ  作者: 春風
名探偵は闇に溶ける
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9/12

Ⅲ.

 学園祭の二日目は出ても出なくてもいいと言われたので、お言葉に甘えて休ませてもらう。筋肉痛が酷く、ベッドから起き上がるのも一苦労だった。


 今日はバイトも休みなので、別段何かする事がある訳でもなく、起きてから寝るまでをひたすら過ごすだけだ。


 既に時計は正午近くを指しており、自分がどれだけ長く睡眠を続けたかを物語っていた。実に十時間ほど眠っていたのだ。根岸ではあるまいのに。


 リモコンのボタンを押してテレビを付ける。適当なチャンネルに回し、洗面所へ向かう。鏡を見ながら寝癖のついた頭をぼりぼりと掻き、歯磨きをした。痛む体をなんとか動かしてリビングに戻り、ベッドに腰掛ける。ふと足元の茶封筒に気付く。僕はそれを拾う。


『探偵さんへ


私は今、とても困っています。でも公にはしたくないし、なるべく誰にも知られたくないんです。


でも、私一人じゃ何も出来ない。だからあなたに力を貸して欲しい。


一緒に入れた三万円は依頼料です。事件を解決してくれたら、更に三万円支払います。


この手紙を読んで、依頼を受けてくれるなら、学園祭の日の夕方に駅近くの喫茶店・パーカーズに来て下さい。


どうか私を助けて』


 『どうか私を助けて』


 この最後に書かれた一文は絶大な効果を発揮した。美女、もとい依頼人を守る事が義務とされている探偵の心というものを上手くくすぐる。僕は顎をさすりながらもう一度手紙を読む。やはり、信じてみよう。


 学園祭が終わるのは午後三時頃。確かこの『パーカーズ』という名の喫茶店は、大学から最寄りの駅の西口、ロータリーの側にある。僕の家から原付で向かえば十分もかからないはずだ。


 僕はいそいそと押入れの中に体を突っ込み、普段着ることのない、所謂勝負服というやつを引っ張り出した。古着屋で惚れ込んで購入したキャメル色のトレンチコート。なけなしの貯金を切り崩して購入したメイドインUSAのワークブーツ。根岸が有名な『安さの殿堂』で誕生日に買ってくれたチープな茶色のハット。


 全て探偵としての特色を醸し出すのに持ってこいのアイテムだ。しかし、普段滅多に着ることがないので、僅かに押入れの匂いが鼻をついた。僕は愛用の香水を振りかける。ベルガモットの香りから始まり、柑橘系の爽やかな香りに包まれた中から僅かに顔を出したホワイトペッパーのスパイス。ベースのムスクの動物的な官能さが内に宿る野性味を引き出し、僕をより色気付ける。


 押入れの匂いと絶妙に混じり合ったパルファムを携えた衣類に袖を通し、姿見でビシッと決めた。夏の迫るH市でこの格好をするのは賢明とは言い難い。しかし、僕は探偵だ。まずは格好から、もとい依頼人に安心感を与えるためにも第一印象は大切だ。


 準備は整った。あとは時が過ぎるのを待つだけ。と、その間にもやらなければならない事はたくさんある。溜め込んだ衣類を洗濯機にかけ、光熱費の支払いにコンビニエンスストアにも足を運ばなければならない。探偵に休息はないのだ。







 一通りやるべき事をやり終えると、壁に掛けた時計の針は三時半を回っていた。そろそろ依頼人の指定した駅前の喫茶店『パーカーズ』に向かってみよう。僕はハットをさっと被り、壁に掛けた原付の鍵を慣れた動作で手に取る。そしてガスの元栓があらぬ方向を向いていないか確認し、部屋を出た。


 階段をゆっくりと下り、屋根付きの粗末な駐輪場に向かう。純白の輝くボディに高級感溢れるレザーのシート。快適な操作を可能にするグリップに吹き上がりのいいコンパクトなエンジン。僕の愛車『ドロレス』が主人の帰りを待つ忠犬のように静かに佇んでいた。彼女ーー乗り物を女性のように扱うのは男として当然の行為だーーはその色白のボディに刺青を入れている。というか入れられた。


『カモシー 号』


 左のヒップラインの文字を誰が書いたかは伏せておこう。伏せても無駄だとは思うが。


 そんな不遇の名車に跨り、イグニッションキーを挿入する。小気味良い回転音が心臓の高鳴りのように聞こえる。心地よいエンジンのサウンドと振動が『ドロレス』の快調さを際立たせる。僕はハットを座席シートの下に入れ、代わりにヘルメットを被る。あくまでも法は遵守する。それも探偵の義務である。


 僕の自宅アパートから依頼人の指定した『パーカーズ』までは十数分。駅に向かう主要道路から一本逸れた道が近道だと僕は知っている。地理に精通していなければ探偵など務まらない。


 学園祭帰りの浮ついた気持ちが丸見えの学生の集団が多く歩道を歩いている。これから打ち上げの飲み会でもするのだろう。あいにく、僕はその手の馴れ合いが苦手だ。酒は騒ぎながら飲むものではない。心地よいジャズの流れた静かな店でチビチビやるのが大人の男だ。もっとも、僕は酒が強い方ではないのだが。


 そんな事を考えながら原付を走らせていると、大学の最寄駅が見えてきた。駅前の駐輪場は僅かではあるが、幾ばくかの駐車代をこそぎ取られてしまう。そこで僕はいつもの駐輪場へ向かった。あるアパートの玄関脇にあるちょっとしたスペース。駅から歩いて徒歩一分という好条件の立地だ。そのアパートの二階の角部屋に我が盟友・根岸凛が生息している。管理人でも警察でも何か文句を言われたら、友人の家に遊びに来ている、と言えばいい。僕は何のためらいもなくそこに愛車を停め、ヘルメットの代わりにハットを被りなおす。


「何勝手にウチの駐輪場に停めてんだ」


 よし、と一息ついたところに不意に声を掛けられて小さく飛び上がってしまった。振り返ると、近所のスーパーのビニール袋を両手に下げた根岸の姿があった。スウェットパンツにタンクトップという完全なる休日スタイルから想像するに、彼も二日目の学園祭には行かなかったようだ。


「やあ、奇遇だね。買い物かい?」


「奇遇も糞もあるか。ウチの前で何やってんだ。飯ならやらんぞ」


 ふ、これだから素人は。他人の夕飯をご相伴に預かるなどという考えは僕にはない。しかし、考えてみれば昼に起床してから何も口にしていない。根岸の持つビニール袋に透けて見える、レトルトカレーのパックのせいで唾液の分泌が促進された。


「そんなに卑しい事はしないさ。おっと、僕は忙しいんでね、この辺で失礼させてもらうよ」


 左腕の袖を捲り、腕時計を見る仕草をして僕は踵を返した。根岸は特に何も声を掛けてこなかった。しかし今は根岸に構っている暇はない。既に依頼人は店に到着し、この名探偵の登場を今か今かと待ちわびているのかも知れない。多少の焦らしは効果的だが、やり過ぎると逆効果だ。僕はその辺りの塩梅が巧みだと自負している。お陰で犬のしつけは上手いと家族から評判だったのだ。


 喫茶店『パーカーズ』は所謂おしゃれな学生が集う場所だった。僕自身、入学してからというものの、前を通り過ぎるだけで実際に入った事はなかった。未踏の地に足を踏み入れる冒険家の気分でエスニックさを感じさせる木製の扉を押す。

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