Ⅱ.
青桐大学の学園祭は五月の初旬、二日間に渡り開催される。各部活やサークルが任意ーー勿論、ある程度の規制はあるがーーで屋台やら催し物を企画する。自主性の高い学生が中心となり、特に強制参加では無い事から、俗に言う『リア充』たちの祭典となる。無気力な学生たちは通常通りの休日を過ごせるので、悪いものでもない。僕は後者に含まれる。
しかし、今回ばかりはそうもいかなかった。相棒である根岸凛の巻き添えをくらい、学園祭の実行委員を務めなければならなくなってしまった。根岸の策略により、僕は学園祭実行委員に自ら立候補した、やる気に満ちた男という扱いを受けた。元来の真面目な性格が災いとなり、根岸がすべき仕事を、ほとんど僕一人で片付けてしまうという始末である。
慣れない仕事に酷使された体はそこら中から悲鳴をあげ、辟易していた。これならまだ小沢さんの話を延々と聞かされるだけのバイトに行く方がマシだ、と僕は思った。
「あ、鴨志田くん!」
もう何年もの付き合いかのように僕の名を呼ぶ茶髪の女子が小走りに近付いて来た。彼女もまた、学園祭実行委員の一人である。名は知らない。
「お疲れ〜! 良かったらこれ飲んで!」
そう言うと彼女はビニール袋からペットボトルの麦茶を出し、壁に凭れて座っている僕の方へと屈みながら差し出した。その時に汗ばんだ胸元がシャツの隙間からチラリと見え、僕の心臓は高鳴った。不慣れな笑顔を作り、ありがとうと伝えると彼女は手を振りながら走り去った。遠慮なくペットボトルの蓋を開け、一気に喉へと流し込む。体に染み込んでいくのがはっきりと分かった。
まあ、バイトを休む口実になっていいか。僕はそう思い直し、もう一口麦茶を流し入れた。
大変な苦労を経て迎えた学園祭当日。普段と変わらない様子の根岸と共に構内を歩いて回る。
悪くないものだ。活気のある屋台通りで声を張る学生たち。そう、学生は勉学一辺倒だけでは駄目だ。時には弾け、若々しい生命力を、その体を媒体として放出するのだ。
この学園祭を支えた苦労のおかげで、喜びもひとしお、といったものだろうか。陳腐な表現だったが、僕はそれで満足だった。
ふと僕の目に見慣れた顔が飛び込んできた。地味な黒髪に地味な黒縁メガネ。しかしその表情は底なしに明るい。僕は数少ない友人である、伊勢谷夏希に声を掛ける。
「あ、エセ探偵! それにぐうたらの相棒も! 良かったら見ていかない?」
皮肉たっぷりの大歓迎を受け、僕は苦笑いをしながら、やあ、とだけ言った。同じく顔見知りのぐうたらの相棒こと、根岸も眠たげに、よ、と短い挨拶を交わす。
「今年の催しはなんだい?」
よくぞ聞いてくれた、と言わんばかりに彼女はウインクを飛ばす。メガネを外して髪をどうにかすれば、かなりいい線はいくと思う。
「ズバリ『君も名探偵になれる!』よ! こうやってね、クイズ形式になってるの! 例えば『◯◯にはまだ早い』ってあるでしょ? そしたらそこになんて単語が入るか当てるのよ!」
まるで子供騙しだ。こんな問題なら朝飯どころか、寝ていても解けるだろう。
「答えは『ギムレット』だね? 僕に出す問題にしては『まだ早い』ね」
なかなか上手い事言うじゃない、と笑顔で彼女が言う。彼女は以前僕も所属していた『推理小説愛好会』の一員である。同学年で入会したのは僕と彼女だけで、暫く話し相手として良くしてくれた。僕が『推理小説愛好会』を退会した後も、腐れ縁で時たま話をする程度の仲だ。
「あ、ごめん! 私用事があるから! 中でゆっくりしていけば?」
いや、僕も忙しくてね。特になすべき事はないが、他の知り合いに会うと面倒なので、僕は適当な理由をつけてその場を後にする。彼女と別れを告げ、再び歩き出す。
「おい、そろそろミスキャンの発表じゃね?」
すれ違った男子生徒の集団からそんな言葉が聞こえてきた。ミスキャンとは、ミス・キャンパスの略称だ。つまりは、大学一の美女を決めるという、某アイドルグループでいう『総選挙』みたいなものだ。断っておくが、僕はアイドルオタクでもなんでもない。
しかし、ミス・キャンパスには興味がある。探偵小説には、ミステリアスな美女というものが付き物だ。僕は黙って進行方向を変え、男子生徒の塊の後を追うように歩く。根岸も僕に倣った。
会場である屋根付き広場には早くも盛りきった様子の男子生徒でごった返していた。彼らが好奇の眼差しを向ける先には、着飾った姿の女子生徒が五人、揃って微笑みを浮かべて座っている。大学代表の美人集結、といったところか。確かにレベルが高い。
「皆さん、大変長らくお待たせ致しました!」
司会進行の、道化師のような格好をした男子生徒がマイク片手に話している。丁度発表のタイミングに間に合ったらしい。
「今年度のミス・キャンパスは〜?」
何か発表をする時に流れるお馴染みのドラムの音が屋根付き広場に響き渡る。僕がセットを手伝ったスポットライトが縦横無尽に動き回り、辺りを照らす。ドラムが小気味よくなり終わった。
「国際関係学部、加瀬綾乃さん! あなたが今年のミス・青桐です!」
左右からのスポットライトを一身に浴び、歓声と拍手に包まれた長身でショートカットーーボブというのだろうかーーの美女が驚いたように手で顔を覆う。そして首から花輪をかけられ、見るからに安っぽいトロフィーを受け取る。
幸福の瞬間だった。だが何だろうか。僕の胸には、喉に引っかかる魚の小骨のようなムカつきがあった。
彼女、加瀬綾乃の笑顔が仮面にしか見えなかったのである。




