Ⅳ.
店内はカウンター席が数個とテーブル席が幾つかある、こじんまりした広さだった。至る所にエスニックさを醸し出す調度品やら絵画やらが所狭しと飾られており、異国情緒溢れる内装となっている。扉に取り付けられた鈴が鳴り、カウンターの中にいた店員がこちらを見やり「いらっしゃいませ」とマニュアル通りの過不足ない挨拶を寄越した。と、僕のキマった格好を目にしたのか、店員の若い女性が一瞬訝しげな表情になったのを僕は見逃さなかった。僕はさりげない動作でハットを脱ぎ、優しい微笑みを作った。
「どうも。この席、いいですか?」
そう言って僕は一番奥から二番目のカウンター席を指差した。女性の店員は「はい、どうぞ」と好奇の視線を僕に送りながら言った。ありがとう、と僕は言って席に腰掛けた。しかし単に座っただけではなかった。視線が動いたその瞬間に様々な情報を瞬時に得た。店内にいるーー従業員も含めーー人間の数。依頼人らしき人物の有無。そして出入り口と、トイレの場所。最後が一番大切だ。何より僕は緊張すると近くなってしまう質なのだ。
とりあえずコーヒーを一杯注文し、何気なく店内を見渡す。二、三人の学生と思しき若者のグループが一組。若いカップルが一組。制服を着ているので、こちらは高校生のようだ。依頼人と思われる人物は見受けられない。
そうしている間にコーヒーが運ばれて来たので、僕は角砂糖をひとつ、ポーションミルクをひとつコーヒーに入れ、スプーンで軽くかき混ぜる。いい味だった。僕はあまり酸味の強いコーヒーは好みではない。深煎りした、苦味とコクが強いものがいい。根岸のようにコーヒーであればなんでもいいなどという拘りのない男ではないのだ。拘りは男に箔をつける。
自身の頭の中でうんちくを独り語っていると、店の扉に取り付けられた鈴が鳴った。僕は猛禽類のような鋭い視線を入り口へと向けた。入店してきた人物と目が合ってしまったのでさっと目線を目の前のコーヒーへと戻した。
ゲラゲラと下品な笑い声を上げながらズカズカと三、四人の男子学生が店に入って来たのだ。金やら茶色やら、各々鮮やかな色に髪を染め、ジャラジャラとしたアクセサリーをこれ見よがしに装着している。彼らは僕の背後の四人掛けのテーブルに腰を下ろし、声のボリュームを落とす事なく話している。
僕は考えた。
根岸の言う通り、あの手紙は怪しかった。僕の人生経験に則した見地から述べても、この男たちが最近浮ついた探偵気取りが大学内で噂になっているからシメてやる、と考えていてもなんらおかしくない。背中に冷たいーー視線も含めーーものを感じずにはいられない。蛇に睨まれた蛙状態の僕はただコーヒーを飲むしかなかった。
「おい、お前が行けよ」
ふと後ろから声が聞こえてきた。男性グループの一人が発した言葉だ。僕の心臓は性能の良いレーシング用のブレーキでも付いているのだろうか。鼓動が一瞬止まる。
「なんでだよ! お前が行けや!」
「じゃあ、ジャンケン! ジャンケン、ポン!」
お決まりの掛け声でジャンケンをし、一発で勝敗が決したようだ。一人がマジかよ〜、と言いながら椅子を引く音が聞こえてきた。その時の僕は極限まで張り詰めた顔をしていたのだろう。カウンターにいた女性店員が訝しげな表情でこちらをちらりと見やった。
「あの〜、ちょっと」
小刻みに震える手でカップを口に運ぼうとした時だった。背後から肩を叩かれ跳び上がるように振り向いた。僕の反応を見て短く刈った金髪の色黒男もビックリしたようだった。眉毛を剃り、代わりに髭を生やした彼の手には見慣れた物が握られていた。
「あ、これ、君のかなと思って。下に落ちてたから」
見紛う事なき、我が財布だった。中学生の頃、姉から誕生日プレゼントとして貰って以来ずっと使っている物だ。彼から財布を受け取り、どもりながらやっとの思いで感謝の言葉を述べる。彼は何だか申し訳なさそうにぺこぺこしながら席へと戻って行った。僕も彼に合わせてぺこぺこと小さなお辞儀をした。
なんだ、彼らはとてもいい人達ではないか。親切な事に僕がうっかり財布を落とした事を教えてくれたのだ。杞憂だったのだ。疑り深い自分を少し反省した。安堵の溜息が心の底から出てきた時、またも店の扉が開く。
僕はその事に気付いたが、先程の緊張であっちの方が近くなっていたので席を立った。やはり第一に確認しておいて正解だった。確か今は誰も使用していないはずだ。僕が店に入ってからトイレに入った人を見ていなかった。
血圧が低下する際に起こるクラっとする現象に耐えつつ、用を足す。手を洗い、鏡で自分の顔を見つめる。よし、お前は落ち着きを取り戻した、周郎。今なら何が来たって怖くない、なんだって出来るさ。
「「おおう!」」
トイレから出た途端、先程財布を渡してくれた彼が立っており、思わず声が漏れてしまった。彼もまた、誰も入っていないと思っていた御手洗いから人が出て来たので驚いて声が出てしまったようだ。またしても二人してぺこぺこ小さくお辞儀をしあいながら、僕はその場を後にした。落ち着きを取り戻したはずの心臓がまたしても高鳴り、落ち着かせるように深呼吸をしながら席へと戻る。
しかし、おかしな事が起きていた。僕が御手洗いに席を立っている間に、先程まで僕が座っていた席の右隣に人が座っているのだ。スラッとした、ショートカットの女性のように見受けられる。僕が近付いて来たのに足音か何かで察し、彼女が振り返る。見覚えのある顔だった。
「…鴨志田、さん?」
綺麗に澄んだ声色だった。春の日に囀り遊ぶ小鳥を思わせる。しかも顔立ちも整っており、僕の好みのどストライクだった。僕はなんとか鼻の下を伸ばさないように努め、そうですが、と短く返事をした。
「私が手紙を出した者です。本当に来てくれて、ありがとう」
そう言って彼女は小さく笑ってみせた。僕は鼻の下を伸ばさないように努め、カウンターの席、彼女の隣に腰を下ろした。ひとつ間を空けて。
「何故、僕が鴨志田だと?」
ひとつ空いた空間を不思議そうに見つめてから彼女は僕の目を見た。透き通った美しい瞳だった。今度は僕がひとつ空いた空間を見る。
「なんて言うか、一目見て。あ、この人だ、って。探偵さんっぽい服装してたから」
僕の勝負服作戦は功を奏したらしい。依頼人にそれと分かってもらいやすい。僕はひとつ考える素振りをして、彼女に向き直る。
「失礼ですが、何処かでお会いしましたか?」
僕の質問に彼女はすぐ答えなかった。記憶の中に僕という存在を探しているのだが、見つからないのだろう。ごめんなさい、と返事が返ってきたのは少ししてからだった。
「いや、結構。さて、では本題ですが、今回の依頼というのは? お話を聞かせて頂きましょう」
そう言いながら僕は内ポケットから手帳とペンを取り出した。我ながら探偵らしい流れだった。しかし、ペンが見つからない。そういえば、依然落としてそのまま代わりを購入するのを忘れていた。女性の店員に何か書く物を貸して頂けますか、と声を掛け、店員がペンを持ってくるまで彼女はそこに静かに座っていた。店員に感謝の言葉を掛け、咳払いをして彼女に向き直った。
「改めて、お話をお伺いしましょう。まず、あなたのお名前をよろしいですか?」
少し緊張した面持ちで彼女は「はい」と返事をし、更に続けた。
「私は、加瀬綾乃といいます」




